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2011年12月 1日 (木)

2011年12月のことば

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老いや病や死が、
人生を輝かせてくださる

 
老いゆく身に抵抗しますか?
「老人」と表現しますが、「老いた人」と受け取ると、避けたくもなります。しかし、いのちは老いゆくものです。「老いゆくいのちを生きる者」(限りあるいのちを懸命に生きる者)と考えると、何年も年を重ねた人も、生まれたばかりの赤ちゃんも、みんな「老人」であり、嫌悪するような表現ではありません。
年を重ねた人は、経験や知恵を重ね、それなりの風格・雰囲気を持っていませんでしたか? 本人も自分の人生に誇りを持ち、若い者は尊敬の念を抱いていました。いつからでしょう、自身は誇りを持てず、若い人は人生の先輩を敬わなくなったのは。「老い」に抵抗する生き方に、誇りも生まれなければ、尊敬の念も湧かないのかもしれません。
   
病を抱えた身は愛せませんか?
年が明けたら、神社やお寺にお参りし、「健康」を願うのでしょうか。しかし、「健康」を願う気持ちには、落とし穴があります。健康でなくなったときに、気力を失ってしまうのです。我が身を、いえ、病を呪うのです。
思うに、健康でいるときは、健康に感謝していないものです。健康が当たり前のように思っているのですから。しかし、健康でなくなったからといって、あなたのいのちは感謝できないいのちですか? 
ここまで生きてきた人生には、父母の縁があり、何一つ欠かすことのできない縁をいただいてきたからこそ、今の私がいるのでしょう。「感謝しましょう」と押し付けるのではありません。「健康だから感謝」の価値観を生きるのではなく、感謝を忘れずに生きる人生こそが、健康なのではないでしょうか。たとえ病を抱えてはいても。
    
死は許せませんか?
たしかに、それまでの温もりのある関係を、「死」は、一瞬で奪ってしまいます。憎いです、辛いです、恐いです。
死は、いのちある者すべてに訪れる真実です。病気・事故・寿命…死の原因は、いろいろ言われますが、「生まれたこと」に尽きるのです。生まれたから死ぬのです。
    
老いも病も死も、いのちに訪れる真実の姿です。自分にとって嫌なことは遠ざけて、良いことばかりを保っておきたい。そのようなことを考えていながら、精一杯生きていますか? 果たして、満足した人生を送れていますか? 見たくないものに目を伏せて、その結果、人生そのものが見えなくなっているのではないでしょうか。
現代は、老いず、病まず、死なないいのちに希望を見出そうとする時代です。しかし、考えてみてください。死なない、終わりのない人生とやらを。いつまでもやりたいことを続けたい、いつまでも好きな人と一緒にいたいなどという想いから、希望を見出そうとするのでしょうが、終わりがあるからこそ、あることに打ち込むことができ、終わりがあるからこそ、誰かを慈しむことができるのではないでしょうか。終わりのない人生は、生きる気力を失い、思考停止に陥ってしまうと思います。
   
身も蓋もない言い方をしてきました。「お前が老いに、病に、死に直面した時に、同じことが言えるのか!」とお叱りを受けることでしょう。実際どのようになるか分かりません。しかし、おしえに出遇い、それらすべてを含めて「いのち」というのだと教えてもらいました。「いのち」の真実の姿に目を背け、行いが悪かったからだ、誰々のせいだ、先祖が祟っているからだ、などと考えることはないと思います。
   
老いも、病も、死(自分の死も、大切な人を亡くすつらさも)も、経験した者にしか そのつらさは分かりません。誰かに代わってもらうこともできません。でも、そのつらさを自分のことのように感じている人が、今、現にいるのです。あなたのそばにいるのです。老いや病や死の苦しみは、本当のところ あなたにしか分かりません。でも、独り(孤独)ではありません。背けたくなる真実が受け入れられなくてもかまいません。泣きたかったら、泣いていいのです。不思議なもので、もう涙も出ないと思うほど泣いても、それでもまだ涙は出てくるのです。尽きないのです。でも、流し始めの悲しい冷たい涙が、涙は尽きないものなのだと感じられる頃には、温かい涙に変わっているはずです。それほどまでに涙するとき、そばにいる人の温もりに気づいているはずですから。
老いや病や死のない人生が、輝ける人生なのではありません。
老いや病や死を受け入れることができて初めて人生が輝き出すわけでもありません。
人生は元々輝いているのです。その輝きを、自身の迷いや、真面目な想いから生じた希望によって見えなくしてしまっていたのです。
人生は元々輝いている…自らが発する輝きではありません。周りからの温もりという輝きに照らされているからこそ、人生は輝いているのです。一人では輝けません(生きていけません)。輝きのあるいのちを生きていたのです。
  
    
  
掲示板の人形
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今月の人形は、雪だるまを乗せたソリを引くシロクマです。
烏山にある、木のおもちゃのお店「MUKU」で購入しました。
楽しくて可愛い おもちゃがいっぱいです。
お店のおじさんも、とても優しいです。  
    
   
     
(つぶやき)
12月になってしまいましたね。つい「早いなぁ」とつぶやいてしまう自分に、「この1年、なにしてた?」と尋ねる声が聞こえそうです。
年と共に時間の経過が早く感じられるのは、忘れてしまうからだとか。“忘れてしまう”というのは、「こういうもんだろう」「こうなるだろう」と、長年の経験から予測して生きるので、記憶にも残らないということ。まるで闘牛士のように、サラッ、サラッと振る舞っているから、日々の出来事が大したことに感じないのでしょうね。子どもの頃、1年がとても長く感じたのは、物事を予測するような経験もないから、常に必死で生きているし、起こった出来事をすべて受け止め記憶しているから。すべての出来事に一喜一憂し、真剣に悩む。時間の経過を遅く感じるはずですね。
わざわざ一喜一憂することもなく、煩わしいことは除外する術を身につけた大人は、もしかしたらとてもつまらない生き方をしているのかもしれません。
2011年、すべてを受け止めながら生きていかなければならないことが起こりました。
震災・御遠忌・プライベート…過去の出来事ではなく、未来からの呼びかけです。現在を生きる私に、「生きてるか?」「生きろ!」と呼びかけているかのようです。もうすぐ2011年も終わります。区切り(けじめ)は必要ですが、あらゆる物事はつながり、継続しています。2012年になっても、忘れてはならないことがいっぱいあります。

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コメント

普段の生活の目の前で生きてる人達のあらゆるフェイスは
人間の枠では到底理解できナインダろうか。ナゾのサンジョウ。

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