待ってくれている父(阿弥陀) 待たれている私
2011年12月5日(月)
茨城県笠間市 光照寺様 前住職のご葬儀に参列しました。
前住職は、2011年11月28日に還浄されました。親鸞聖人と同じご命日です。しかも御遠忌の年の。お仲間のご住職方から「かっこよすぎる」と言われていました。
前住職とは、一度お話したことがあるだけでしたが、現住職は、私の数少ない理解者。こころの友です。訃報に接し、絶対に行かねばと思いました。
光照寺様には、「親鸞聖人に人生を学ぶ講座」で出講した際に、何度もお世話になりました。そのときには、前住職は病に伏しておられました。
上野駅から電車に乗り友部駅まで。講座で何度か目にしてきた車窓からの景色も、今日は違って見えました。
全7回の講座中、印象に残っていることがいくつかあります。その一つが、現住職の挨拶です。
光照寺様が初めて会場となったとき、現住職(当時は副住職)は、「皆様こんにちは。光照寺をお預かりしている副住職です」と話し始められました。
「○○寺をお預かりしている」…私にとって、初めて耳にする表現で、新鮮でした。以来、耳の底に残っています。彼の口から発せられた「光照寺をお預かりしている」が。
それは、彼だけがお寺をお預かりして、護持しているわけではありません。彼とその奥さん(若坊守様)でもあるけれど、それ以前に、彼にバトンを渡す役目をされていた方がいる。つまり、父と母。彼が「お預かりしている」と言ったときに、何かしら目に見えない、大きな流れのようなものを感じていました。それは、彼に至るまでに代々受け継がれてきたもの。お寺を、親鸞聖人のおしえを大事にして、生きてきた人々の歴史でした。
たった1度、挨拶程度にしかお話したことのない前住職。講座の際にはお会いしていませんが、でも、彼が「お預かりして」と言ったところに、確かにいらっしゃったことを覚えています。対面はしなかったけれど、でも、いつもいてくれました。
ご葬儀の最後に、現住職による謝辞がありました。「前住職は、いえ、父は、私のことを待っていてくれていました」。涙と共に語る彼の挨拶の中に、前住職はしかと生きておられました。
彼や彼の家族、ご門徒が前住職のいのちを感じ続けられるところに、親鸞聖人のおしえが、一本の道筋として見えてきます。
「待ってくれていました」…待たれている私。待つ人、待つはたらきがあるからこそ、私たちは歩めるのですね。たとえ寄り道しようとも、道を間違えようとも、挫折して座り込んでしまっても、でも、待っていてくれる人がいる(はたらきがある)。どんなに寄り道しようとも、たとえ違う道に行ってしまっても、どれだけ座り込もうとも、この私を待ってくれています。
本堂から法中(お仲間のお寺さん)や親類が退堂した後、彼と向き合う時間がありました。
「ありがとう」「ありがとう」
再会を約束し、お寺を後にしました。振り向くと大きな掲示板がありました。
南無阿弥陀仏
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