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2011年11月15日 (火)

僧 と 憎

ふと「僧」と「憎」は、偏は違うけど旁(つくり)は同じなんだなぁ、と思いました。
「僧(そう…お坊さん)」と「憎(ぞう…にくしみ)」の旁が同じことに興味がわきました。「僧」と「憎」に共通する何かを見出した人が、このような漢字をつくったのではないだろうか、などと思いました。
旁である「曽」には、どのような意味があるのでしょう。久しぶりに漢和辞典を開きました。
   
「曽」には、「重ねる」「重なる」という意味があります。「層」という漢字がイメージしやすいですね。
ですが、「曽」は、「ソウ」という音を表すために当てられた文字のようです。
お坊さん(僧…ソウ)を表すために、人偏に「ソウ」という音を表す「曽」を足して「僧」。
こころから湧き起る憎しみ(憎…ゾウ)を表すために、りっしんべんに「ソウ」という音を表す「曽」を足して「憎」。
つまり、「曽」そのものに特別な意味はないようです。
「僧」と「憎」に、特別似通った姿を見出しての意味はありませんでした。

でも、贈呈の「贈」は、お金を意味する「貝」に「重ねる」の意味を内包する「曽」。ということは、贈り物は一回きりのことではなく、継続してこそ贈ることの意味があるのかもしれないですね。
「増」は、「土」に「曽」。「増す」ということがイメージしやすいですね。 
「ソウ」という音を表すとはいえ、「重ねる」「重なる」という意味が内包されていることの重みを感じます。
   
「僧」は、こんにちでは僧侶単体をイメージしますが、元々は「僧伽」(サンガ)といって、仏法をよりどころとして聴聞する仲間を表します。つまり、個人ではなく集団なのです。人が集まり、仏法聴聞する。その姿や様子が「僧」という漢字には含まれているのですね。
人が集まるのは仏法聴聞の場とは限らないだろうと思う方もいると思います。しかし、「人身受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く」というおしえをいただくと、「なんのために人としての身を受けたのか、仏法聴聞のためにほかなりません」と聞こえてきます。つまり、人がこの身を受け、集まる場と言ったら仏法聴聞の場以外にないのです。突き詰めていえば、仏法聴聞の場に集まっている者だけを「僧伽」というのではなく、生きとし生けるものすべてが「僧伽」なのですね。
 
面白いのは「憎」
人のこころが積み重なって、「憎」となるのです。
「人のこころ」といったって、いろいろな感情があるだろうと思う方もいると思います。憎悪のこころもあれば、愛情だってある。
憎悪のこころが積み重なって「憎」なのは分かりますよね。そのまんまですもの。
で、愛情が積み重なって、“愛情”だと思います?
「かわいい かわいい」と育てた我が子に裏切られ(と、感じ)、それまで注いできた愛情が、そのまんま憎悪のこころに変わります。   
「好きだ 好きだ」と周りが見えなくなるほどに好意をいだいてきたあの人に迷惑がられ、好意が憎しみに転ずる。
決めつけるわけではありませんが、そう言われればそうだなぁと思いませんか?
でも、愛情や好意が憎しみに転嫁するのは、関係を築けたからですよね。その場合の憎しみには、「転嫁する」と表現しましたが、やはり愛情や好意がまだまだ含まれているわけで…(それだけに、ただ「憎い」以上につらいのかもしれませんが)。
人のこころが積み重なって「憎」となる。人間の姿を言い当てた漢字だなぁと思いました。
 
愛情(慈悲のこころ)が重なって、重なって重なっても愛情のままなのが仏のこころ。
愛情が重なって、重なって重なるほどに不安・押し付け・憎悪のこころまでもが重なってゆくのが、人のこころ。
 
(余談)  
ここまで書いていて思いました。「今年の漢字」はなんでしょうね。12月12日発表だそうです。
今年ほど人のこころに大きな揺さぶりを起こした年はなかったのではないでしょうか。いろいろな想いが込められて、「今年の漢字」の応募・発表があることと思います。
漢字そのものにも、深い意味が込められています。「今年の漢字」として発表される漢字には、漢字そのものの意味だけでなく、人それぞれの想いも詰まっているのですね。
毎年、興味程度で気にはしていましたが、たったひとつの文字が内包する人々の想いにまで、思いが至りませんでした。ソウゾウが、人生を豊かにします。

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コメント

「法然と親鸞」展に行ってきました。平日だというのに大混雑していました。絵伝と書簡の出展が多かったです。「教行信証(坂東本)」と「名号本尊」、「西方指南鈔」、「阿弥陀経註」、書簡等で、聖人の御自筆を見ることが出来たことに感激しました。あとは蓮如上人書写の「歎異抄」や「安城の御影」を見ることが出来たことがよかったです。

☆やすさんへ
「法然と親鸞展、行ってよかった~♪」という気持ちが伝わってきます。コメントをありがとうございます。
実は、私はまだ行けてません。
チラシに載っている「地獄極楽図屏風」を見たかったのですが、前期展示でした
御直筆は感動しますね。「正信偈」や「阿弥陀経註」の朱の多さに感動した記憶があります。一度書いてしまって終り、ではなく、いつまでもいつまでも 想いをめぐらされていたのだなぁということが伝わってきます。

法然と親鸞展、うちの両親は平日の昼間に行ってきて、感動してましたが、私は今日行こうと思っていたら、昨晩、寒気がして気持ち悪くなって寝たことと、今朝、ミニ台風状態なので、今日は挫折…。来週だなぁ。でも前売り券買いそびれたし、もらってあった割引券もどこかに消え、結局、書店のしおり(¥100引き)しかみつからないのでした…。

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