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2011年11月25日 (金)

東本願寺 御正当報恩講参詣

2011年11月21・22日(月・火)
ご本山 真宗本廟(東本願寺)の御正当報恩講に家族でお参りしてきました。
午後1時半に京都駅に着き、宿に荷物を置いてご本山へ。
ちょうど初逮夜法要が始まるところでした。御影堂はたくさんの参詣者で賑わっていました。端の方が空いていたので、そちらに場所を取りました。大勢のご門徒が一堂に会す御影堂でお勤めされる法要に、ワクワクしてきます。
 
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が、法要が始まってすぐに上の娘が「お外で遊ぶ」と言い出したので、娘を連れて外に出ました。若坊守は、抱っこされて寝ている下の娘と共に御堂に残りました。
外に出ると、娘は大喜びで境内を走り回ります。鳩に豆もあげました。娘の足元に豆を撒いたら、鳩が一斉に集まってきました。恐がるかと思ったら、頭や手に乗ってくる鳩に大喜びでした。
豆がなくなって、ふと阿弥陀堂左手を見ると、「子ども参拝案内所」なるテントがありました。近づくと、スタッフが針金ハンガーでつくった枠で、大きなシャボン玉を飛ばしていました。娘は大興奮。シャボン玉を追っかけて走り回ります。テントの中では、缶バッチや腕輪念珠を作っているお友達がたくさんいました。結局法要中テントで過ごし、娘は大満足でした。
 
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初逮夜法要が終り、若坊守と合流しました。
そしてまた御影堂へ。初夜勤行が勤まるところでした。
初逮夜法要では、大勢のご門徒が集まり、大勢の法中の出仕による盛大な法要が勤まります。しかし、法要も終わり、改悔批判(門徒感話・報恩講法話)になると、ゾロゾロ人が減っていきます。初夜法要が勤まる頃には、おそらく100名に満たない程度の参詣者しかいませんでした。でも、これなら娘が少しくらい騒いでも大丈夫かと思い、御堂の隅っこに陣取り、初夜勤行を勤めました。
正信偈草四句目下・同朋奉讃…毎日お勤めされている門徒さんや、法座に顔を出されている門徒さんなら、一緒にお勤めできる勤行です。大きい法要も終わり、気持ちを持ってその場に残っておられる門徒さんたち…人数は少ないけれど、初逮夜法要に負けないくらいの声が御影堂に響き渡りました。結局、次の日も娘に付き添って子どもテントにいたので、22日の初日中法要にも参詣できなかったのですが、21日夕刻の初夜勤行は、忘れられない報恩講の一場面になりました。南無阿弥陀仏
 
7ヵ月の娘がいるので、畳の部屋があるところに泊まりたいねという話になり、せっかくなので、ご本山の前にある宿にお世話になりました。部屋に食事(夕食・朝食)を出してもらい、落ち着かない娘2人がいても、ゆっくり気兼ねなく食事をとることができました。
写真は、宿の部屋から眺める東本願寺です。山田屋旅館の皆様、お世話になりました。
   
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11月22日(火)日中法要…例によって、私と長女は子どもテントへ。若坊守と次女は御影堂へ。
西蓮寺の本堂は内陣が狭く、登高座が置けません。そのため、儀式における登下高座を見たことがない若坊守は、登下高座を見られることを楽しみにしていました(しかもご門首の)。
ご本山での報恩講の勤行・登下高座・散華…初めて肌に感じながら身を置く報恩講に、若坊守は感動したらしく、法要の様子を事細かに楽しそうに話してくれます。法要の意味・意義は、こういうところにあるんだなぁと思いました。
 
法要が終り合流すると、御遠忌を機に誕生したキャラクターたちが境内を歩いているではないですか
娘以上に私が興奮し、大阪教区のキャラクター ブットン君を含めた4人のキャラクターたちと写真を撮ってもらいました。ひとりTDL状態でした(娘は、疲れているのか、あまり興味がなさそうでした)。
 
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おかほんくんに、表紙をめくったところも見せてもらいました。
   
キャラクターを満喫し、「カフェあいあう」を開店している総会所へ。
ご本山から東に渡ったところに、総会所というところがあります。報恩講期間中、「カフェあいあう」をオープンしています。展示スペースには、震災や原子力問題に関するパネル展示などがあり、お仏華も飾ってあり、とても興味深かったです。子どもがいたので、カフェ部分に入るのは遠慮していたのですが、スタッフの方が紅茶とカルピスを用意してくださいました。美味しく頂戴いたしました。ありがとうございます。
子どもテントや「カフェあいあう」のスタッフ、あるいは境内で全国から参詣に来られる方々を誘導されるスタッフの皆さんのおこころに触れ、とても温かい気持ちになりました。スタッフの方々も、全国から加勢に来られた方々です。決して御役目だからとか、頼まれたからというのではなく、報恩講という時と場・そこに集まる人々を大切にされている温かいおこころを感じました。
「子ども参拝案内所」や「カフェあいあう」の設置、子どもたちを迎えるキャラクターたち、増設されている案内板やトイレ、インターネット映像配信…御遠忌を機縁として(それまでがどうこうという他意はまったくありません)、新しい動きが生まれだしているような気がします。この動き、想いを大切にしたいと思いました。
   
総会所を出て、東本願寺 飛び地境内地の「渉成園(枳殻邸)」へ。
井上雄彦さんが描かれた屏風「親鸞」が公開されています。ポスターとミニチュア屏風を購入していたので、絵は目にしていましたが、本物は迫力が違いました。そこに描かれている人間の表情に、生身の人間以上の苦悩を感じました。生きている人間以上に、人間のようでした(なんて下手な表現だ)。とにかく、その迫力に驚きました。11月29日まで公開されています。報恩講に参詣された方は、「渉成園」にもぜひお立ち寄りください。
    
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「渉成園」を後にし、ご本山を右手に眺めながら京都駅へ向かい、新幹線に乗りました。
ご法要に感動する若坊守、子どもテントが楽しかった長女、訳も分からず連れまわされた次女…ご本山の報恩講に家族で参詣できて、有り難く感じました。
11月というと「今年も終わりかぁ」といった感慨が押し寄せてきますが、真宗門徒は「報恩講から1年が始まる」と言い習わしてきました。まさにこれから新しい年を踏み出すといった気持ちです。
新たな気持ちに、南無の呼び声

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コメント

 そう!仰る通り。

 人数がすくなーーーい方が良いですよね。

 大人数で、「一同合掌」と、放送が入るのは、なんかちょっとやだ。やだは言い過ぎですけど。やだまでは思いませんが。でも、「一同合掌」と放送ででっかく入れるより、「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と、大きな声で言えば良いじゃんとは、思います。そうしたら、自然にみんな、なんまんだぶ、なんまんだぶと入るし、そのとき、合掌しないということはないと思うので。

 まあ、お参りしないで、自宅でインターネット配信見ている私が言ってはいけないですが(^^;)。

 全然関係ないですけど、多分、かんのん  ふっせつあびたけい、を今日、やってたんじゃあないかと思うんですが、なんか、お釈迦さまのお弟子さんのお名前が、ぶわーか、になってしまっているみたいな気がしましたが、なんかやだなぁとは思いました。

京都に行かない私といたしましては、11月28日にインターネット配信で午前中は坂東曲の結願法要を、夜は親鸞聖人讃仰講演会を拝見させていただきました。大変ありがたかったです。

初めてコメントさせていただきます。

私も、28日結願日中坂東曲楽しみに参詣しましたが、
ものすごい人、人、人・・・。

3歳の娘と1歳の息子と一緒だったため、
お堂に入ることもかなわず、
ずっと子供参拝案内所の三輪車であそぶはめに・・・。

でも、スタッフの方々が子供たちを楽しませようと
いろいろ配慮くださり、娘たちも、私も楽しませていただきました。
子供連れの家族の居場所を作っていただきありがたかったです。

あとで主人にきいたところ、
参詣の方も多かったのですが、出仕された僧侶の方々も多かったようで、
本当に盛大な御正当報恩講だったのですね。
子連れなので、法要は無理かもと覚悟はしていましたが、
やっぱり残念でした。


☆theotherwindさんへ
「一同合掌」と放送ででっかく入れるより、「なんまんだぶ、なんまんだぶ」…
 
なるほど!! 仰る通り!!
私も、役目上 法座にて司会をすることがありますが、勤行の際「一同合掌」「合掌をおときください」などと言ってしまってますね。私が「なむあみだぶつ」と言えば済む話でした。
次回からはそうしてみます。

☆やすさんへ
先日は白骨にご参加くださりありがとうございます。
ネット配信は、ご本山に行かない人をも生み出してしまう両刃の剣かなとも考えてましたが、
やはり、「行きたくても行けない」方のためにも、あった方がいいですね。

☆きしさんへ
はじめまして、コメントをありがとうございます。
28日は、すごい人だったらしいですね。公称20,000人の参詣だったとか(本当か否かはべつにして、それほど多くの方が参詣されたということですね)。
 
私も、御影堂での法要に参詣できなかったと書きましたが、
決して御影堂という場にいることだけが参詣だとは思いません。
子どもテントで過ごしていても、
子ども連れでもないのに、満堂のため御影堂に入れなかった人も、
報恩講にお参りするという気持ちをもって、ご本山に身を運んだ事実が、報恩講参詣の醍醐味なのだと思います。
お子さんと一緒にご本山にお参りされましたこと、そのことが報恩講参詣したことだと思います。
素敵な時間を過ごされましたね。
  
それにしても、子どもテントのスタッフの皆さんのお気持ちは嬉しかったですね。
今後も継続してほしいなと思ました。
 

 あるいは…

 ご法話の後に拍手が入ってしまった場合、ご法話をされた先生によっては、戻ってきて「あー、法話が良かったなぁと思われた方は拍手ではなくて、ここはお念仏でお願いします」と言われて、再度、歩み去る方もいらっしゃいますが、それも技(←悪い意味では無くて)で、「おおーー、うまいなぁ」と思ったということはあります。拍手入って終わりとか、しーーーーんというか、ほとんど全然なんまんだぶが聞こえないとかよりも、その回は笑いで終わっても、次回から、何人かは念仏するだろう、ということはあると思うのですね。

 が、もっと、上手いやり方というか、それも言わなくても、ただ、ご自身が、ご本尊に向き直って念仏されるというのが、一番、スマートでもあり、何も言う必要もなく、その場で、その時から、なんまんだぶ、なんまんだぶと自然発生的に、その背中を見て、念仏の声が出る、そして、身につくと思います。

 口で言うのではなくて、言葉ではなくて、身で示す。

 すると、他の人にもすっと伝わりやすいと思います。

 良いご法話とは、なんまんだぶ、なんまんだぶと会場から声が自然発生したご法話であるという基準で良いと思います。

 自分で法話しておいて、自分で、なんまんだぶと受けるのはなぁ、というのは、当たらないと思います。何故ならば、良いご法話とは本願力に乗じたご法話だからと思えば良いのだと思うのです。仏様のお仕事なのだと思います。(それができるということは、そのお坊さんに本願力に乗じる力があるからですね。)でも仏語が伝わってきていて、自分が今、話せる(そして自分で自分が言っていることが聞こえる)のであれば、そこで、自分がなんまんだぶと口から自然に出るものを止めることはないですよね。

 多分、昔、お講なんかで、お坊さんを呼ばなくて、集まっているときでも、何か、良い話が自分の口を借りて出たら、なんまんだぶ、聞いていた方も、なんまんだぶ、自分の口から出たフレーズであっても、ハッとさせられたら、何か反省させられたら、なんまんだぶ、と自然に口から出ていたんじゃあないかなぁという気がするんです。いえ、昔は生きてませんが…。

 なんまんだぶが口癖で、何か言うたび、称えてるなあという人になったとして、別にいけないことは多分ないんじゃないかなぁと。寝ても覚めても、立っても座っても。トイレで称えても良いですとかあったような…。

 現代はお寺でもなんまんだぶの声はすごく小さいですが…(儀式の一部として、式次第(?)に「念仏」とある部分の話ではなくて。)

 かんのん ふっせつ あびたけい ですが、天台宗では、ぶゎーかもっけんれん とかの ぶゎあ 部分は、「ば」と「ま」の間の発音なのだそうです。

 元々パーリ語で「マハー」(多分、大きいという意味?)と言っているんじゃあないかと思いますので、「まかー」とか「まはー」なんでしょうね…。

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