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2011年10月 1日 (土)

2011年10月のことば

Dsc_0945
時の流れに身をまかせ
ただ過ぎゆくだけならば、
過去に起きた出来事が
過(あやま)ちとなって表われる。

     
諸行無常
生ある者はいつしか衰え いのち ある者は、いつかいのちを終えてゆく。
流れる時の中を生き、誰しも、すべてのものが、刻一刻と変化しています。
こころの底から涙した悲しい出来事も、腹の底から笑った楽しい出来事も、時が経つとともに、記憶の彼方へ追いやられてゆきます。次から次へと積み重なる出来事に、過去の出来事は下へ下へと埋没してゆきます。
悲しい出来事を忘れるために、時は流れてゆくのかもしれません。出来事のひとつひとつを覚えていては、先に歩み出せなくなるのかもしれません。人と人との間を生き、自然の中を生かされている私に、さまざまな出来事が襲ってくるのですから。
時の流れに身をまかせ、一日一日の生活を送るうちに、「起きた出来事」のことをいつしか忘れてしまう。
しかし、どんなに時が流れ、社会が変わり、風景が変化し、私のこころに動きが生じても、「起きた出来事」という変わらぬ事実がある。
自然災害、原発問題、戦争の歴史、家族の争い。忘れてしまいたい悲しみや消し去りたい出来事は、誰もが抱えています。たとえ記憶は消せたとしても、「起きた出来事」という事実は消えません。しかし、流れる時の中を生きる私たちの感情は薄れ、記憶はぼやけてゆきます。「起きた出来事」と「私の想い」は、時の経過とともに隔たり、なかったこととしてしまいます。
悲しみを消したくて、欲望のまま、時のながれのままに過ぎゆけば、また同じ過ちをおかすこともあるでしょう。直面している原発の問題がそうなのかもしれません。
終戦から六十六年。核の危険性を訴え、核廃絶を願ってきました。しかし、私たちの生活の中に原発は厳然としてあります。このハッキリ分かる矛盾に、どうして気づかずにいたのでしょう。利便性の享受を望み、矛盾を厭わなかった。そして、その矛盾に苦しむ。
悲しい出来事は、時が解決してくれるという人もいます。そういうこともあります。「あんなに苦しかったのにね」と、振り返る余裕ができる日も来るものです。もちろん、そのようなことばかりではありません。何年経っても消えない悲しみや恨みもあります。喜怒哀楽、どの感情も、そこには、感情を生み出す「起きた事実」があります。
「起きた事実」は、流れゆく時の中で、楔(くさび)として打ち込まれています。つかまるものが何もない流れの中では、本当に流されてゆくだけです。「起きた事実」という楔があるからこそ、立ち止まってゆっくり考え、今まで流れてきた方をあらためて見つめ直し、これからの流れを観察することができます。現在・過去・未来…諸行無常を生きるとは、ただ流れに身をまかせて生きることではなく、一つひとつの楔を確かめながら生きてゆくことなのかもしれません。
諸行無常の響きに、老いゆく姿を想像する人もいます。いのちの営みの中、死もありますが、誕生もあります。後を生きる人に、自身の楔(経験・想い)を話すことが、後の世につながっていきます。そこには、決して朽ち果てることのない誕生があります。諸行無常とは、秋の淋しさ・冬の寒さではなく、春の芽吹きを表わしているのでした。

諸行無常。すべてのものは移ろう。このままを保つことはありません。生ある者は衰え、いのちあるものは いのち終えていく。感じたこと、考えたこと、想ったことも時々刻々と変化する。「諸行無常」のおしえをいただき、  移ろいゆくいのちを感じていました。しかし、「起きた出来事」は、変わることなくあり続けます。「諸行無常」を生きながら、「起きた出来事」という事実が、楔として人生に打ち込まれています。楔を忘れる時、人はまた過ちを重ねます。
     
   
   
掲示板 今月の人形
Dsc_0934
クマでしょうか イヌでしょうか…
   
Dsc_0935
境内に流れる小川(というか、循環式の池)を背に

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コメント

ニゲム(ドラいもん要語)なんて目の前の生活にオわれてればいいんだぁ。(絶望)

それもまた 人生かな

本日はお邪魔しました。

亀屋陸奥 松風
http://kameyamutsu.jp/main.html

森八 千歳
http://www.morihachi.co.jp/okashi/pages/chitose.html

☆theotherwindさんへ
昨日は白骨にご参加くださいまして、ありがとうございます。
松風、美味しく頂戴いたしました。食べたことはありましたが、いわれは知りませんでした。ありがたいお味が致しました。
千歳、知らないと言いましたが、食べたことあります。とっっっても甘いお菓子ですよね。
ご丁寧にお知らせいただきありがとうございます。

松風は海先生もいわれには「えっ」と驚かれてました。千歳を聞法会に持っていって、松風は話だけでしたが…(^_^;)。京都の西本願寺の中で販売していて、浄土真宗本願寺派のご門徒さんの報恩講のお土産では鉄板らしいです。同じお店は「お供物」だったかなあ、ミニミニおけそくを販売しておられますね。心棒に既に色がついたお菓子を須弥盛り風に張り付けて、お内仏に…というもの。京都で「おけそくさん」と言うと小さいお餅になるので、おけそくとは言っていないのだと推定。

金沢の千歳と突然言われてもお菓子の名前までは覚えていませんよね。仰る通り、大変に甘いです。一個でかなりお腹一杯な気分になります。虎屋は千歳鮨とか呼んでいるかも…。求肥(漢字?)を砂糖に漬け物にした(?)時代があるのかも知れませんね。何でお菓子がなれずし(漬け物)なのか、確かなことは分かりません。京都だとうば玉(?)とかいうお菓子にあたるのかも…。金沢では多分、紅白なのでお正月のお菓子かも知れません。

 昨日、海先生とお話ししたら、西蓮寺さん、ブログやっておられますね…と仰っておられました。

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