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2011年8月10日 (水)

私こそが人間の“悲しみ”だ!!!

昨日、「悲しみは忘れたくない」「悲しみを忘れてはいけない」という想いで文章を書きました。
で、それから考えていました…
 
人は、想いを力にして行動します。
喜怒哀楽など、さまざまな想いがあります。
哀(悲)も想いであり、行動を起こす原動力となります。 
 
哀(悲)は行動を起こす源となり、忘れないための種でもある。
でも、喜怒哀楽どの想いでも同じことではあるけれど、哀(悲)が他を傷つける方に動く場合もある。
忘れたくない、忘れてなるものかという想いが強ければ強いほど、行動は暴発する。
 
他を傷つけるのならば、忘れてしまった方がいいのだろうか。
いえ、それは違う。
想い(理想)が同じでも、歩む方向がまったく異なる場合があるように、他を傷つける道を歩む人にも、傷つけない人と同じ想いの根っこがあるのだから。
 
仏の慈悲・大悲の内容は、「与楽抜苦(よらくばっく:楽を与え、苦を抜く)」と教えられました。
「与楽抜苦」という、仏の、衆生に対する悲しみ
衆生が抱く悲しみとは、どこが違うのだろう。なにが違うのだろう。どうして違ってしまうのだろう。なにが違わしてしまうのだろう。
結論はありません。いえ、この問いの連続こそが、結論なのかもしれない。問い続ける限り、忘れることはないのだから… 
   
   
  
(補足)
「与楽抜苦」に関して書いた過去の文章
①「仏教青年会
②「苦しみがなくなるということ

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