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2011年8月 7日 (日)

楽しい 思索の季節

曽我量深先生は、「暑い夏は、思索に適した季節だ」と仰ったと聞いたことがあります。
毎年夏になると、そのことばを思い出します。
 
今年は、6月から暑くなり、夏が早まった気がします。
7月になる頃には、蒸し暑さに体が適応できず、ちょっと調子を崩していました。思索どころではありませんでした(もしかしたら、体調を崩す時期だからこそ、頭を使えという意味だったのかなぁ)。
      
調子を崩してと言っても、どこかが悪くてという意味ではなく、「なんだかエンジンがかからないなぁ」程度のことです。お盆をお迎えするし、ご法話の依頼もいただいていたので、頭は使っていたし、体も動かしていました。
(『「親鸞講座」も「団参」も終わって、気が抜けてるんでしょ』とは、妻の声。よく見てくれています)
  
本を読む気にもなれず
たまに本を読んでも、頭に入らず
ご法話聴聞の場に身を運ぶことからも遠のき
仏法から遠のいていた感覚でした。
以前は、7月になるとご本山の夏安居に参加していたのに…
そんな楽しい 思索の季節も、今は昔といった感じでした。
  
なにを書いているのか…
「西蓮寺掲示板のことば 2011年8月のことば」(前の文章)に書きましたが、
「法に出遇い、こころが動く。法との出遇いがなければ、身もこころも淀み、腐っていく」ということを感じていました。 
なんだか、法(おしえ)にふれていない自分が(心配せずとも、法の中に生きているんですけどね)、どろどろとした淀みの中にいて、腐っていくかのような感覚に襲われていました。
  
そんな感覚の中、8月のことば「蟪蛄春秋を識らず、伊虫あに朱陽の節を知らんや」も思い起こしていました。
淀みの中にいる私は、実はなんにも知らずに生きていたんだなぁ…ブクブクブクブク
 
淀みの中にいる感覚…7月はそんなときを過ごしていました。
でも、そのおかげで生まれたのが「ことば こころのはな」2011年8月号です。
うむ、結局思索していました。
8月に入って、エンジンがかかってきたような感じがしています

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