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2011年8月

2011年8月31日 (水)

グキッと

鎌倉で、またやりました。駆け寄る娘を、中腰で受け止めたときに。せっかく治りかけていたのに
幸い座るぶんにはなんともないので、車は運転できました。コールリンデン(西蓮寺 仏教讃歌を歌う会)に間に合うように帰ってきましたが、痛々しく歩く私の姿を見て、コールリンデン参加の門徒さんが、接骨院を紹介してくれました。
接骨院で先生は、私の症状を丁寧に教えてくれました。「ほら、右足と左足の長さが、1センチほど違うよ」
痛みを取るだけの治療ならすぐにできるけれど、曲がった体を根本的に治したほうがいいよ、と先生に言われ、お世話になることにしました。
しばらく通院が続きそうです。  

2011年8月30日 (火)

大仏さま 阿弥陀さま

鎌倉に行ってきました。
大仏さんにお会いしてきました(高徳院 浄土宗のお寺)。
鎌倉の大仏さんは、阿弥陀如来です。珍しい坐像です。その造立に関しては、不明な点が多いということです。
   
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鎌倉を散策して目についたのが、笹竜胆紋(ささりんどう もん)です。西蓮寺の紋も笹竜胆なので、気にもなったし、親近感もありました。
マンホールのフタ・ゴミ収集車などに笹竜胆が書いてあり、「鎌倉市の紋なのかな?」と思いました。高徳院に行くと、そこにも笹竜胆があったので、「高徳院の紋が、鎌倉市の紋になったのかな?」と妻と話していました。
笹竜胆は「源氏頭領紋」と言われています。源頼朝が鎌倉幕府を開いたという縁から、鎌倉市は笹竜胆を市章とされたそうです。しかし、源頼朝自身は笹竜胆紋を使っていなかったという史実が明らかなのだそうです。

2011年8月29日 (月)

親鸞さまがおわします⑲

【第19回 師法然との別れという出遇い】
越後での生活にも慣れ、越後の人々との交流も日々深まりゆく親鸞聖人。
建暦元年(1211年)11月親鸞聖人は師法然上人と供に赦免されます。流罪から5年が経とうとしていました。聖人39歳の頃のことです。
親鸞聖人は、法然上人との再会を夢見ます。しかし、時は11月。雪深い越後の冬です。自分一人京に戻ることも困難です。ましてや家族もいます。聖人は、春が来て雪がとけるのを待つことにしました。
   
法然上人は赦免され、土佐から京の都へ戻りました。しかし、帰洛後間もない建暦2年1月25日、法然上人はお亡くなりになられました。
上人の訃報を聞いた親鸞聖人は悔やみます。
「どうしてすぐに上人さまに会いに行かなかったのか…」
悲しみに暮れる聖人でしたが、越後の人々の姿を見て、立ち上がります。
「上人さまのおかげで、会うはずのなかった越後の人々と出遇うことができた。その出遇いを通して、あらためて上人さまやお念仏のおしえの有り難さに目覚めることができました。そして、流罪に処した者に対する怒りに震える この私自身を見つめることができました。法(おしえ)に出遇うことがなかったならば、私はどうなっていたことでしょうか…」
   
死別とは、永遠の別れを意味します。しかし、別れを通して教えられること、出会えること、感じられることがあります。そのような こころの動きがあったとき、別れの中に、新しい出遇いがあります。永遠の出遇いが。

2011年8月28日 (日)

“蚊”は、夏の風物詩でないと…

アブラゼミやミンミンゼミの声に混じって、ツクツクボウシの鳴き声も聞こえます。
夏の終わりを感じさせます。
  
8月も終わりに近づく ある日、毎朝お会いする方に声をかけられました。
「おはようございます」
「おはようございます」
「ねぇねぇ、今年の8月は、蚊が少なかったよねぇ」
「えぇ、少なかったと思います。でもね・・・」
  
蚊が少ないと感じた方はいらっしゃいますか?
確かに、少ないとは思うのですが、実はこれから、蚊は活発化してくるのです。
8月に蚊が少なくなったけれど、9月の方が蚊が多くなったと思います。そのことは、数年前から、境内の掃除をしていて感じていました。8月に猛暑の日が増えた頃から(何年から?と言われると困りますが)、8月よりも9月の方が、蚊が増えた気がします。
私たちが、“節電”と思いつつも ついクーラーのリモコンに手を伸ばしてしまうような気温は、蚊にとっても暑くて、活動しないようです(専門的に調べたわけではありません)。気温が下がってから活動が活発化するのだと思います。ですから、ここ数年は、秋のお彼岸にも蚊がけっこういます。実は その対処もしています。お墓にお参りにみえた方、お気づきではないと思いますが。
  
気温が下がり、雨が多くなりだした今頃のような気候こそ、蚊の活躍の時期なのです。
「でもね・・・」の後、そのような話をしたら、
「じゃぁ、これから蚊取り線香の季節なのですね」って。
「えぇ、そうですね」
夏は過ぎますが、蚊取り線香のにおいは、これからのお付き合いになりそうです。 
   
  
以上は、ある朝の会話です。
冗談交じりで話せていますが、温暖化が深刻化し、日本もより暑くなると、冗談では語れない状況が訪れます。
蚊は、マラリヤなどの媒介となります。日本ではあまり聞きませんが、病気の媒介者となる虫です。東南アジアの国によっては、ボウフラを発生させないために水たまりを作らない、作ってはいけない決まりがあるようです。
もし温暖化が進み、日本でもそのような決まりごと(法律や条例)ができたとしたら・・・。たとえば、お墓の花立て。水のたまる場でもありますが、認められないことになるでしょう。お花を挿してお水を入れないとか、一旦お花を挿して 持って帰るとか、造花を挿すようになるとか、お花そのものを挿す習慣がなくなるかもしれません。
花立てどころの話ではありません。植木鉢で植物を育てることも、夏にプールで遊ぶことなどもできなくなってしまいます。
そのようにならないように、温暖化を食い止める努力が必要です。先ずできることは、やはり“節電”です。
    
  
「温暖化」と、数回書いていて思い出しました。倉本聰さんが仰っていました。
「温暖化」という表現は間違いだ。「温暖」というのは心地よい暖かさのことを言う。気温の上昇した様子は、「温暖化」ではなく「高温化」だ。「温暖化」なんて言葉でごまかしてはいけない。
(というようなことを仰っていたと記憶しています。間違いやニュアンスの違いがあったらごめんなさい)
   
「高温化」にともない、この夏に体調を崩した方もいらっしゃると思います。
また、夏から秋への移り変わりの時期も体調を崩しやすいものです。
どうぞお気をつけて、お体お大事になさってください。

2011年8月26日 (金)

ある夏の一日

今年の8月 寺の用事が少なかったので、物置の大掃除と、体のメンテナンスに時間を費やしました。
 
40歳になり、世田谷区から特定健康診査と歯科検診の案内があり、それぞれ受診しました。
誕生日が4月なので、とっくに案内が来ていたのですが、面倒くさがり屋で、目の前のことを片付けないと次に進めない不器用な人間なので、検診を放ってました。
「先に予定を入れてしまわないと、結局やらずに終わってしまうよ」という妻の一言で、8月に入り、何よりも先ず検診の予約を入れました。このままだと、検診の有効期限が切れてしまうだろうという妻の危惧だと思います。背中を押されたおかげで、検診の案内を無駄にせずにすみました。
特定健康診査と歯科検診の他に、ずっと調子が悪かった腰のメンテナンスもしようと接骨院にも通い始めました(数回 接骨院に通ったところで、ぎっくり腰をやりました)。
8月は3種の病院にお世話になりました。しかも26日(金)は、接骨院・歯科・内科、すべてに通院しました。こんなの初めてです。午前に接骨院、一度帰宅して、午後に歯科に行く途中、雷を伴う豪雨に遇いました。前が見えないほどの土砂降りです 
膝から下がずぶ濡れです。ズボンに雨がしみたなんて程度ではなく、ポタポタ滴り落ちています。病院に入って、靴・靴下を脱いで、ズボンの水をタオルで吸い取り 折り上げて、なんとか診察できる状態になりました(靴は使い物にならなくなってしまいました)。
「すみません」というと、「ひどい雨だねぇ 大丈夫だった?」と返してくれる。
手持ちのタオルで、濡らしてしまったイスを拭こうとすると、「いいから いいから」と制止してくれる。
歯科さん 内科さん、ご迷惑をおかけしました。お世話になりました(まだまだお世話になりますが)。
 
特定健康診査を終え、内科を出ると、雨はあがっていました。
「検査が終わって解放されたらホッとしたいでしょ。一杯飲んできなよ」という妻の声に甘えて、ちょっと一杯呑んでから帰りました。
お店を出ると、また雨が
ここにきて、雨が多いですね。一気に秋に突入でしょうか。
 

2011年8月25日 (木)

移ろうもの 変わらないもの

「同朋新聞」9月号が届きました。
四衢亮(よつつじ あきら)住職の「時言」を読みました。
      
スリーマイル島の事故、チェルノブイリの事故、その時は確かに問題になったし、問題にしたのです。その後その問題意識はどうなっていたか。私たちの意識はそれが高くても低くても、時に流され、熱くなり冷め、移り変わります。確かなのは、人間の問題意識ではなく、変わることなくそこにある問題そのものです。「問題」の方がはるかに深く大きく、私たちを捉えて離さないのです。今や、その問題から離れて無関係を決め込むことができる者(ひと)はいません
(真宗大谷派宗務所発行「同朋新聞」2011年9月号より)
     
読んでいて、胸に突き刺さりました。
当ブログ 前の文章で、砂浜を歩いていたときに感じた いのちの移ろい を書きました。砂浜を歩いていて、諸行無常を感たのです。
「諸行無常」…すべてのものは移ろう。“このまま”を保つことはない。
生ある者は衰え、いのちあるものは いのち終えていく
感じたこと、考えたこと、想ったことも、日々刻々と変化していきます
「諸行無常」のおしえをいただき、移ろいゆくいのちを感じていました。
しかし、起きた「問題」というものは、変わることなくあり続けるということを、 四衢住職のことばからおしえていただきました。
    
原発の問題、戦争の問題、家族の問題、様々な問題に囲まれて生きています。
いのちが移ろいゆくのと同じように、問題の解決に向けて努力協力をし、世に起こる様々な問題の結果も移ろいゆきます。解決ばかりでなく、破たんしたり悪化したりという結末もあります。
しかし、起きた問題そのものが消えることはありません。解決したから、問題そのものもなかったことに、というわけにはいきません。問題が起こった事実は重く、消してしまえるものではありません。 
   
今夏、戦争を描いた映画やドラマに現実味がないという投書を新聞で読みました。デジタル化により、映像がきれいで鮮明になり、時代の重さが表現しづらい(こちら側がイメージしづらい)のでしょうか。
戦争を描いた映画やドラマに出演される方々も、戦争を知らない世代ばかりになりつつあります。経験していない者には分からないという、経験至上主義は好きではありませんが、現実味を失う側面があるのも事実です。 
   
「諸行無常」を生きているけれど、「問題」が起きた事実というものは、消し去れるものでもないし、忘れられるものでもない。人生に打ち込まれる楔(くさび)として、移ろいゆくいのちを生きていかねばならないものだと感じました。

2011年8月23日 (火)

砂と波とを感じながら

海に行きました。
砂浜を、波を受けるか受けないかのところを、ゆっくりゆっくり、砂と波の感触を確かめながら歩きました。
 
波は、ひっきりなしに、寄せては返し 寄せては返ししています。
波が打ち寄せ、ひいていく。その度に、砂浜の風景は変わります。海の中で磨かれてスベスベになった貝・石・木。波が打ち寄せ、ひいていく。今まであったものが消え、今までなかったものが現れる。その連続が、休むことなく営まれています。
消えたり現れたりの変化。気にしなければ、まったく気にならないだろう。でも、その気にならないほどの変化を、私自身が生きている。身心も、環境も。ちょっとずつの変化を、連続して起こっている変化を、今、私は生きている。

波は、打ち寄せる波よりも、ひいていく波に力を感じる。
日常という、変化に気づかない日々の中で、不意に訪れる非日常。
非日常と言うけれど、考えてもみれば日常の一コマ。
特別なことではなかった。いつもと同じ風景に、見慣れてしまった風景に、貝・石・木以外のものが混じっただけなのかもしれない。気づいてしまっただけなのかもしれない。
 
貝・石・木以外のもの…タバコ・お菓子の袋・排泄物
きれいな砂浜 輝ける海 その場に身を置くと、汚すものが目につく。
誰がこんなもの捨てるんだろう。どうしてそんなことできるんだろう。
しかし、人生という大海原で、私はどれだけ汚いことばを吐き捨て、人を見下していることだろう。
きれいでありたい 輝いていたい 人生を、汚しているのは誰だろう。どうしてそんなことをしてしまうのだろう。
  
サクッ サクッ
ザザ―――ッ
 
砂と波の感触が、小さな私を、大きな世界へと導いている
一粒の砂でさえ、あの大海原とつながっている 
大海原で、私は磨かれている
磨かれるということは、磨かれるほどに汚れ、角があり、とがっているということでした
  
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2011年8月21日 (日)

社交の場

腰をかがめずに娘を抱き上げた瞬間、グキッとやってしまいました
あまりの痛々しさに、妻にすすめられ接骨院へ。
痛みの説明と治療をしてもらいました。
ベットから立ち上がり、カーテンを開けると、目の前に門徒さんが
     
「あら副住職!」
「こんにちは」
「お元気ですか?」との声に思わず、
「はい」
…言った瞬間に訂正しました。
「って、元気だったらここには来てませんよね
「そうよね
 
どこで誰に会うか、分からないものです。気を付けなければ。
  
それにしても、接骨院は(病院は、かな)社交の場ですね。患者さんだけでなく、お医者さんも含めて、たくさんの会話が飛び交います。ベットに伏しながら、いろいろな会話が耳に入ってきました。ちょうど高校野球の決勝戦をやっていたので、ほとんどがその内容でしたが。みなさん、いろんなことを知っているんですね。聞いていて面白かったです。 
    
病院は社交の場といえば、こんな話を聞いたことがあります。
上記のように、みなさん会話が弾んでいます。病院での会話が楽しみなのです。でも、気づいてみたら、いつも会う人が 今日はいません。
「あら、○○さん、今日は来てないのね」
「そういえばそうね。もしかしたら、病気じゃない?」
「そうね、心配ね」
笑い話みたいだし、実話みたいでもあります。
  
そういう社交の場って大切だなぁと、その場に身をおいていて感じました。
今夏は節電ということで、役所や公の施設などで 誰もが休憩できるスペースを設けているニュースをよく聞きます。日中は家を出て、そのようなスペースに集まり、そこだけで電気を使いましょうということです。で、たくさんの方が集まって、楽しく過ごしているそうな。  
   
お寺も、そういうスペースであるべきなのでしょう。実行しているお寺もあるのかもしれませんね。
今日(8月21日)は、「白骨の会(西蓮寺仏教青年会)」の日でしたが、誰もお見えになりませんでした。3ヵ月連続 加者ゼロ。おかげで、妻と声明の稽古ができています。
「会」として構えると、来づらいのかもしれませんね。「白骨の会」自体も、5年ほどやってきて、過渡期なのかもしれません。私自身のやる気の問題もあるのかも。ちょっと考えなければ。
それから、腰も治さねば… 

2011年8月20日 (土)

今日もいい天気だねぇ

8月19日(金)東京は久しぶりにほぼ一日雨が降っていました。かなり強い雨が。
8月20日(土)雨もあがり、乾ききっていた木々・葉・地面は潤いを取り戻しました。 
 
   
ことばを覚え始めた長女は、聞いたことばをすぐに口にできるようになってきました。
「今日はいい天気だねぇ」も、そのひとつです。
    
ことばを覚えるのはいいのですが、問題は意味を分かっていないということ。
抜けるような青空の快晴でも、どんより曇った曇天でも、ザーザー降りの雨天でも、朝起きて、外を見たときの第一声は「今日はいい天気だねぇ」です。
   
はじめは、「今日は雨だよ」などと突っ込みを入れていました。でも、どんな天気でも「今日はいい天気だねぇ」と言う娘を見ているうちに、「天気が良い悪い言うのは、自分の勝手なんだよなぁ」と感じました。
 
晴ればかりでも困ります
雨ばかりでも困ります
晴れてばかりだと、ヘトヘトになります
雨といっても、豪雨・長雨は困ります
晴れてばかりだと、乾燥してしまいます
雨が多いと、湿気てしまいます
曇っていると、気持ちも沈みます
   
イベントがあるとき、出かける用事があるとき、晴れている方がいいでしょう。
「今日はいい天気ですね」「天気に恵まれて
自然と笑顔になります。会話も弾みます。
雨が降ったときに、「今日はいい天気ですね」「天気に恵まれて」なんて言えないですね。
 
でも、イベント・用事は、私の都合。天気に責任はない。
晴れてよかったと喜ぶ人の背後には、雨が降らないと困る人もいるかもしれない。
「恵みの雨だ」と喜ぶ人の背後には、「どうして雨が降ってしまったんだろう」と涙をこぼす人もいることだろう。
   
自然のうつろいの中を生きるいのちにとって、どのような天候でも、それは「いい天気」。
毎朝耳にする「いい天気だねぇ」の声に、晴れでも曇天でも雨天でも、「うん、いい天気だね」と返事が出来るようになりました

2011年8月18日 (木)

右 左 右 左 ・・・

でっかいものを
作ろうとして
はじめて 知った
 
でっかいものを作るには
それよりでっかい足場を
組む作業が必要な事
 
そして その作業は
地味で
単純で果てしない事
 
―でも
 
なんか 
 
今は
大丈夫なんだ
 
稚内まで自転車で
走ったって言うと
 
みんな「スゴイ」って
驚いてくれるけれど
 
僕は ただ 
 
左右交互に
ペダルを踏んだだけ
 
右 左 右 左
 
ただ果てしなく 
 
それを知ってるから
もう
ボクは大丈夫
(羽海野チカ『ハチミツとクローバー』⑨)
 
『ハチミツとクローバー』を読んでいて、感動したところ、泣いたところ、こころに残ったところは多々あるけれど、竹本君のこのセリフ(と、その背景にあるもの)はすぐに思い起こされます。
 
「でっかいもの」って、人生だと思う。たとえ どれだけの長さであったとしても。
で、「足場」って 自分で築くものではなく、私に先立って築き上げてくれた人々・はたらきがあるのだと感じた。
私の人生には、すでに「足場」を組んでくれた人がいる、はたらきがある。それを「阿弥陀」という(「アシバ」と「アミダ」…音が似てるなぁ)
「足場」が組まれている人生(人生の内容が決まっているなどという意味ではなくて)、「阿弥陀」のはたらきに包まれている人生だからこそ、私たちは、人生という道を歩めるのだと思う。一歩一歩。右 左 右 左って。
だから、大丈夫

2011年8月17日 (水)

しあわせの重さ

暑い日が続きますね。お元気でお過ごしでしょうか。
あまりに暑いので、タンスの肥やしと化している背広の虫干しをしました。
ご存じのとおり私はお坊さんなので、普段背広を着ることがありません。でも、まったく着ないわけでもないので、何着かは持っています。
虫干しのために物干し竿に吊るしながら、「これ、着られるのかなぁ…」と考えていました。
   
さかのぼること前日
池袋から寺に帰るまで、1時間ほど、眠ってしまった長女を抱えて歩きました。
(おかげさまで電車では座らせていただきました。でも、烏山から寺までのバスが、20分ほど待ち時間があったので歩いて帰ってきました)
抱えているときに動き回られるとズシリと重さを感じますが、ずっと寝たままで姿勢も変わらなかったので、それほど苦痛ではありませんでした。
が、2歳半の長女は13キロ弱。その重さを抱えながら思いました。「体重ピーク時の私は、更にこれだけの重さがあったんだなぁ。重たいはずだわ…」
 
学生時代の終わり頃、私の体重は、現体重+13キロほどありました。 
着ているもののサイズはまったく変わってしまいます。そんな昔の服・背広はありませんが、最近買ったものでも、サイズが合わなくなってきています。
40歳を過ぎ、「もうそろそろ太り始めるわよ」などと母と妻に言われています。私もそう思います。なので、背広も大切にとってはありますが、大きくなってしまった背広がまたピッタリ着られるようになるということは…。と、考えると、太らないように気を付けなければ、とも思う今日この頃です。
ちなみに、今夏2キロ痩せていました。 

2011年8月16日 (火)

ハチミツとライオン

2011年8月16日(火)
特に夏休みという夏休みもなく、娘にかわいそうな想いをさせているので、ちょっとだけ時間を作って、西武池袋本店で開催されている「羽海野チカ原画展~ハチミツとライオン~」に行ってきました。
って、娘がどうこうではなくて、私と妻が行きたかっただけの話なのですが。
 
漫画「ハチミツとクローバー」「3月のライオン」で知られる羽海野チカさん。
少女漫画のかわいい絵とは裏腹に、そのストーリーで描かれる人間描写は胸を打ちます。
妻に薦められて手にした「ハチミツとクローバー」。初めは、慣れないタッチになかなか読み進められませんでしたが、ストーリーに入ってしまうと、あっという間に全10巻を読んでしまいました。泣けます。
現在連載中の「3月もライオン」とともに、必読です。
 
その原画展ですが、やさしく かわいい原画に、作者の丁寧さ 想いを伝えたいまっすぐさを感じました。
原画を見ながらそのストーリーを思い出し、その背景にある登場人物のこころの奥底を感じていました。
 
漫画ができるまでの行程も説明してありました。
漫画家や小説家の多くがそうだと思うのですが、たくさんある想いを削っていく作業をされているのですね。
決まった頁数・行数の中に、伝えたいことを凝縮する。その作業は、制約もなく書き足していくよりも、大変な労力を必要とする。あるいは、泣く泣く削らなければならないことも出てくる。その悲しみは、本人にしか分からない。伝えたいことを出し切って表出してしまえれば楽だけど、それでは要点がぼやけてしまう。結果何も伝わらない。制約の中で、伝えたいことを表出していく。足していく作業よりも、削っていく作業の方が、相手に想いが伝わるのかもしれない。
 
ブログはササッと(でもないけれど)書けるのに、毎月の寺報はなかなか描けない理由が分かりました。ブログは積み重ねの文章(文章量の制約もなく、思ったままを書いた文章)だけど、寺報は削っていく文章(表出している分の3~5倍は書いてます)だから、毎月末に冷や汗・脂汗を垂らしていたのですね。
  
「漫画家や小説家の多くが」と書きましたが、羽海野チカさんは、より綿密に、より想いを込めて作品を作られているのだなぁと感じました。毎巻終りに書かれている漫画のご苦労がしのばれます。
   
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池袋までの往復の電車の中 私は長女を、妻は次女を抱っこしていました。
すると、往復とも、ふたりして席を譲っていただきました。とてもうれしかったです。ありがとうございます。
 
自分たち(私と妻)の趣味で連れて行った原画展ですが、長女も 原画展の空間が気に入ったようで、大興奮でした。おかげで、帰路は西武デパートから寺まで、眠ってしまった長女を抱っこして帰ってきました。席を譲っていただけて、とても助かりました。
   
素敵な原画展と、人の優しさに触れ(それと暑さも)、4時間ほどの夏休みを満喫させていただきました。
 
「羽海野チカ原画展~ハチミツとライオン~」は、8月18日(木)まで開催してます。

2011年8月15日 (月)

二つの白法あり、よく衆生を救く。一つには慙、二つには愧なり。

父王を殺害したアジャセ王の苦悩を察知した釈尊は言います。
「アジャセ王の為に私は涅槃に入りません」と。
それを聞いた弟子の迦葉(カショウ)は驚いて尋ねます。
「釈尊よ、一切の衆生を救う為に涅槃に入らないと言うべきではないのですか。どうして父王を殺したアジャセの為に涅槃に入らないとおっしゃるのですか」
「迦葉よ、あなたは思い違いをしている。私の『アジャセ王の為』という思いは一切の罪を犯したものに及ぶのです。一切の煩悩を持つ衆生に及ぶのです。煩悩があるからこそ衆生というのであって、ないものは衆生とは言いません。アジャセはその代表である。私はそのアジャセを救うまでは涅槃に入ることはできません」
そのように言うと釈尊はアジャセを念じつつ慈悲の光明を放ち、その光明に照らされたアジャセ王の体からは、苦悩から生じた全ての瘡(かさ…出来物)が治癒されたのでした。
(『涅槃経』より)
      
  
「アジャセのすくいって、どのように説かれているんでしたっけ?」という朋の問いが、勉強しなおすきっかけをくれました。
   
父王殺害の罪を犯すアジャセ。しかし、その苦悩の果てに芽生えた“慙愧”のこころ。罪を犯した自信を愧じる(はじる)とき、そのとき初めておしえに真向かいになれる。慙愧のこころこそが、人をすくう尊い法として、いただくことができるのです。信心など持ち得ないこの私の身に、信心が芽生えるのです。
慙愧のこころの果てに、信心が芽生える。それこそアジャセのすくいであり、私たち一人ひとりのすくいなのです。
   
すくわれる人間と、すくわれない人間がいるのではありません。
父王を殺害した悪人と、殺害など犯さない善人がいるのではありません。
尊いおしえと、尊くない(功徳のない)おしえがあるわけではありません。
   
慙愧のこころは、誰にも生じうるのです。
慙愧のこころが芽生える種を持ちながら、種を撒きながら生きているのですから。
    
    
アジャセは、「自分のようなものを、どうして釈尊はすくおうとしてくださるのか」と、家臣の耆婆(ギバ)に問います。
耆婆は応えます。「例えば7人の子を持った親が、7人に対する想いに違いはないけれど、しかし病める子には特に慈しみの心が深くなるものです。衆生に対する想いに違いはないけれど、罪あるものには特に慈悲の心が深くなるものです」
  
7人に対する想いに違いはない。しかし、病める子には、慈しみのこころがふかくなるもの。
お釈迦さまのおこころであり、そのおしえをいただいて生きる者の本来あるべき姿なのだと思います。
でも、苦しむ1人よりも、他の6人を大切にする生き方(マイノリティよりマジョリティを大切にする生き方)をしているのではないだろうか。
そのような気持ちが、8月15日、自身の中に芽生えていました。それを慙愧というには、あまりにもおこがましい…

2011年8月12日 (金)

大海の一滴

たとへば大海の深広にして無量なるを、たとい人ありて、その一毛を析きて(くだきて)、もって百分となして、一分の毛をもって一渧(いってい)を沾し(しおし)取らんがごとし。
(『仏説大無量樹経』上巻より)
 
たとえば、限りなく深く広い大海の水に対し、人が、一本の毛を百ほどに細かく裂き、その裂いた一すじの毛で一滴の水をひたし取るようなものである。
(現代語訳 参考『浄土三部経』本願寺出版社)
 
無量寿仏がさとりを開き、最初の説法の場に集まった声聞(おしえを聴聞する者)の数は、数えつくすことが出来ないほどでした。その数を知ろうとしても、私たちが知り得るのは、海の水に対して、100分の1ほどに裂いた髪の毛につく、ほんの一滴の水の量にすぎません。
聴衆の数の大小の意味もあるのでしょうが、それほどの徳の深さ、おしえの広さをそなえているのが、無量寿仏のさとりの内容であるということを表現しているのではないでしょうか。
   
と、『大無量寿経』の勉強をした次の日の話 
          
8月盆の時期となり、お墓参りの方が多くみえます。
「みずのでるこうえんいく。ともだちのとこいく。(訳:水遊びのできる公園で、友達と遊ぶ!!)」と娘がせがみますが、寺も忙しいので、出かけるわけにはいきません。
かわいそうなので、ビニールプールを出してあげました。
しかし、プールを置く場所の近くに、水の出る蛇口がありません。井戸水をくみ上げる蛇口はあるのですが、残念ながら西蓮寺の井戸水は飲み水には適しません。
そこで、洗面所からプールまで水を持って行くことにしました。
しかし、ホースもバケツもありません。掃除用のホースやバケツはありますが、さすがにそれで水を入れるわけにもいきません。仕方がないので、洗面器に水を入れて、プールに水を満たしました。
洗面器40杯分…洗面所とプールを40往復しました。汗びっしょりです。
  
「プールできたよ!!」
呼ぶと娘は大喜びで遊び始めました。
遊んでいるうちに、娘はゼリーやプリンについているプラスチックのスプーンで、プールの水を外に出し始めました。
洗面器で40杯分の水を、このスプーンだと何杯分あるんだろう…
   
海の水と、100分の1に裂いた髪の毛に付く滴を比べる、その発想の壮大さを思い起こしていました。
それと、ジャッキーチェンの「酔拳」(だったかな)の修行のシーンで、桶に入った水を、腹筋しながらお猪口で別の桶に移すシーンも思い出していました。
暑い夏の一日でした

2011年8月11日 (木)

安全を究めれば、“危ない!!”という叫びが出るはずです

“安全”に気を遣わない人はいないと思う。
最近のニュースを見ていると、「いない」とは言い切れないけれど。それも切ない。
  
とはいえ、
ケガをさせないように、
事件・事故に巻き込まれないように、  
そういう注意を払っているものです。
     
でも、
どんなに注意を払っていても、ケガをさせてしまうこともあるものです。
事件・事故に発展してしまうこともあるものです。
大惨事になることも、「絶対ない」と言い切ってしまえることではありません。
 
安全だからね
安心だからね
 
そう言うからには、
これだけのことをすればOK
これだけのことをしているのだから大丈夫 
なんてことは ありえない。
     
努力を盾に、安全・安心を誇ってはいけない
努力尽きせぬところに、それでも安全・安心はやってこない。
でも、安全・安心を願うところに、尽きない努力が生まれる。 
   
安全
安心
口にするからには、これでOK これで大丈夫などという限界点を作ってはいけない
  
どんなに努力しても、
どんなに注意しても、
どんなに愛情を注いでいても、
ケガをさせ、
事件・事故に遭うことはあり得ること。
  
誰からも非難されないほど努めていても、
フッと気が抜けることもある。
ここまで頑張ったのだからと、張りつめていた気持ちが緩むときがある。
そうならないように、頑張るのではない。
そうなることもあるものです。それが人間。
 
大切なのは、
ケガをしたとき、、
事件・事故に遭ったとき、
そこからどのように対処・対応するか。
「安全・安心に努めていたのだけど…」
などと言う暇があったら、行動に移さなければ。
 
何が起こるか分からない。
何をしでかすか分からない。
   
封じ込めようとするのではなく、
そのとき どう動くか、考えておくこと。調べておくこと。話し合っておくこと。
できることは、いっぱいある。
 
何も起こらないことを安全・安心って言うんじゃないんだなぁ。
何かが起こったとき、それに対処できる術を研鑽していてこそ、「安全です。安心です」と言えるんだなぁ。
でも、実際に何かが起こることを考え、研鑽している人にとって、安全・安心はあり得ないことだと気づく。
 
安全よ 安心よ
何もしていないほど、口から出ることば
 
子供を見ていてそう思う。
他のなにかだと思いました?

2011年8月10日 (水)

私こそが人間の“悲しみ”だ!!!

昨日、「悲しみは忘れたくない」「悲しみを忘れてはいけない」という想いで文章を書きました。
で、それから考えていました…
 
人は、想いを力にして行動します。
喜怒哀楽など、さまざまな想いがあります。
哀(悲)も想いであり、行動を起こす原動力となります。 
 
哀(悲)は行動を起こす源となり、忘れないための種でもある。
でも、喜怒哀楽どの想いでも同じことではあるけれど、哀(悲)が他を傷つける方に動く場合もある。
忘れたくない、忘れてなるものかという想いが強ければ強いほど、行動は暴発する。
 
他を傷つけるのならば、忘れてしまった方がいいのだろうか。
いえ、それは違う。
想い(理想)が同じでも、歩む方向がまったく異なる場合があるように、他を傷つける道を歩む人にも、傷つけない人と同じ想いの根っこがあるのだから。
 
仏の慈悲・大悲の内容は、「与楽抜苦(よらくばっく:楽を与え、苦を抜く)」と教えられました。
「与楽抜苦」という、仏の、衆生に対する悲しみ
衆生が抱く悲しみとは、どこが違うのだろう。なにが違うのだろう。どうして違ってしまうのだろう。なにが違わしてしまうのだろう。
結論はありません。いえ、この問いの連続こそが、結論なのかもしれない。問い続ける限り、忘れることはないのだから… 
   
   
  
(補足)
「与楽抜苦」に関して書いた過去の文章
①「仏教青年会
②「苦しみがなくなるということ

2011年8月 9日 (火)

今、哀しいことより この哀しみがうすれることのほうが ずっとかなしい

8月9日を迎えました。
長崎出身の朋が、「8月9日は特別な日です」と言いました。
終戦から66年
核の危険性を訴え、核廃絶を願ってきた年月なのに、足下には原発が。
このハッキリと分かる矛盾に、どうして気づかずにいたのだろう…
自分の中で、自分事として受け止めていなかったんだ。
そのことがハッキリ分かりました。
「核爆弾は危険だ!! 廃絶を!!」
「原発は核の平和利用だ!! 安全だ!! 必要だ!!」
 
自分の主張を通すため、矛盾を厭わない。
その矛盾に、やがて苦しむ。
    
   
お恥ずかしい話ですが、最近知りました。
「核兵器をもたず、つくらず、持ちこませず」で知られる「非核三原則」。
「核兵器の陸上配備は認めないけれど、搭載艦船などの寄港は容認する」という「2.5原則」を訴える政治屋さんがいるということを。
「2.5」って…。
人のこころにグレーゾーンは存在し、それ故にどちらにしたらいいのか悩むのだけれど、「原則」に「0.5」はあり得ないと思うのですが。「非核三原則」において「2.5」を認めたら、それは果てしなく「二原則」を意味し、「二原則」が定着したら、「1・5」→「1」→「0.5」→「0」へと瞬く間になっていくことでしょう。
 
「0.5」には矛盾の匂いが。
    
   
8月6日 8月9日を「原爆忌」とも表現します。
「忌」に「忌む」「嫌う」「忌々しい」などという意味があるので、「なぜ、○回忌って、“忌”の字を使うのですか?」と問われたことがあります。
『“忌”には、「忌む」という意味とは別に、「敬う」という意味があります』と聞いたことがあります。
辞書には載っていませんし、出典がある話ではありませんが、「○回忌」をお勤めすることの意義(有り難さ)を考えたとき、「敬う」という意味も大切だなぁと感じました。
原爆の犠牲となられた方々の想いを敬い大切にいただくことが、8月6日 8月9日を迎えた者の努めなのだと思います。
戦後、多くの人が、敬いの想いを抱きながら手を合わせ、「核廃絶」を願ってきました。
でも、その想いにこれっぽっちの偽りもないのに、生き方としては正反対の道を歩んできたようです。
戦後66年目にして、そのことを気づかせていただきました。いえ、もしかしたら66年経ったからなのでしょうか。
  
“理想”は同じなのに、人は、まったく正反対の歩みをすることがある。
その「人」とは、AさんとBさんという話ではなくて、私の中にある「人」でした。
「子供たちの未来のため」(「自分のため」なのかもしれない)という私と、
電気のある生活を享受し、そこから抜け出せない私。
どちらも私です。
      
   
そんな「私」を
66年という時の経過により薄らいでいく記憶を
忘れたくない
忘れてはいけない
こころに刻み込むんだ
悲しみと共に

2011年8月 8日 (月)

心から聞こえる“声”が・・・大きな悲鳴を上げている

「ONEPIECE」63巻読了。読み応えがあります。
 
気心の知れた仲間どうし故に起こる、手加減なしのぶつかり合い。涙。和解。
正義と正義のぶつかり合い…によって起こる争い。
悲しみの果てにある喜び。
生まれによって差別があるのではない。差別は人間の想いが生み出しているもの。
などなど…
   
読者それぞれのこころに、植えつける何かがあることでしょう。
書くだけナンセンスな気がしてきました。
  
それでも、63巻を読んでいて感じたことを書きます(私が想いをふくらませただけなので、本の内容とは関係ありません)。
誰もが“理想”を描いて生きています。
同じ“理想”を持った者がいたとします。
さて、ふたりは手を取り合い、協力して“理想”を実現することができるでしょうか。
そうすることが出来る場合もあります。
でも、それが出来ない場合だってあります。
同じ“理想”を持ちながら、協力できない。
いえ、協力する しない以前に、全く違う方向に歩みだすことがあります。
例えば、平和という“理想”のために、「相手を知る」という道を歩みだす者、「戦い」という道を歩みだす者。
どちらが正しいということはありません。
「相手を知る」道を選んだのに、争いが起こることもあります。
「戦い」の道を選んだのに、戦わずして済むこともあります。
まったく性質の違う道を選び、まったく違う行動をしているけれど、“理想”は同じ・こころは同じ・向いている方向は同じということが、起こりうるものです。
そこには、深い悲しみが生じます。
「平和」という“理想”を掲げ、仮にその“理想”が実現できたとして、悲しみがなくなるものなのか。いえ、深い深い悲しみが、「平和」の背景にはあるものです。
思うに、「脱原発」「反原発」派と「原発推進」派がぶつかり合っている今の日本。相反する想いなのだから、ぶつかり合いが起こるもの当然と思っていました。でも、もしかしたら、共通の“理想”を求めているのかもしれない。「安全」とか「便利」とか「「裕福な生活」とか。“理想”の中身は分からないけれど、「脱原発」「反原発」と「原発推進」は、相反するものとして考えるのではなくて、共通の“理想”が引き出した衝突かもしれない。
そのようなことを感じました。
今後 日本が、世界が、どのような方向に進むのかは分からないけれど、その背景には、深い悲しみがある。そのことを、決して忘れてはいけない。

2011年8月 7日 (日)

楽しい 思索の季節

曽我量深先生は、「暑い夏は、思索に適した季節だ」と仰ったと聞いたことがあります。
毎年夏になると、そのことばを思い出します。
 
今年は、6月から暑くなり、夏が早まった気がします。
7月になる頃には、蒸し暑さに体が適応できず、ちょっと調子を崩していました。思索どころではありませんでした(もしかしたら、体調を崩す時期だからこそ、頭を使えという意味だったのかなぁ)。
      
調子を崩してと言っても、どこかが悪くてという意味ではなく、「なんだかエンジンがかからないなぁ」程度のことです。お盆をお迎えするし、ご法話の依頼もいただいていたので、頭は使っていたし、体も動かしていました。
(『「親鸞講座」も「団参」も終わって、気が抜けてるんでしょ』とは、妻の声。よく見てくれています)
  
本を読む気にもなれず
たまに本を読んでも、頭に入らず
ご法話聴聞の場に身を運ぶことからも遠のき
仏法から遠のいていた感覚でした。
以前は、7月になるとご本山の夏安居に参加していたのに…
そんな楽しい 思索の季節も、今は昔といった感じでした。
  
なにを書いているのか…
「西蓮寺掲示板のことば 2011年8月のことば」(前の文章)に書きましたが、
「法に出遇い、こころが動く。法との出遇いがなければ、身もこころも淀み、腐っていく」ということを感じていました。 
なんだか、法(おしえ)にふれていない自分が(心配せずとも、法の中に生きているんですけどね)、どろどろとした淀みの中にいて、腐っていくかのような感覚に襲われていました。
  
そんな感覚の中、8月のことば「蟪蛄春秋を識らず、伊虫あに朱陽の節を知らんや」も思い起こしていました。
淀みの中にいる私は、実はなんにも知らずに生きていたんだなぁ…ブクブクブクブク
 
淀みの中にいる感覚…7月はそんなときを過ごしていました。
でも、そのおかげで生まれたのが「ことば こころのはな」2011年8月号です。
うむ、結局思索していました。
8月に入って、エンジンがかかってきたような感じがしています

2011年8月 1日 (月)

2011年8月のことば

Dsc_0724
蟪蛄(けいこ)春秋(しゅんじゅう)を識(し)らず、
伊虫(いちゅう)
あに朱陽(しゅよう)の節(せつ)を知らんや

   曇鸞(どんらん)『浄土論註』
 
(文意)
蟪蛄春秋を識らず、
伊虫あに朱陽の節を知らんや

 
 蟪蛄とはセミのことです。
 伊虫とは「この虫」という意味で、
 ここではセミを指します。
  
 夏に成虫となるセミは、
 春や秋があることを知りません。
 春や秋を知らないこの虫が、
 どうして朱陽の節(夏)を
 知ることができるでしょうか
 (いえ、できません)。
     
      
残された時間が少ないことを知ってか知らずか、セミはいのちを尽くして鳴き続けます。
セミは、毎年 計ったように夏に成虫となります。春や秋、もちろん冬がどのような季節か知らないわけです。さて、そうすると夏について詳しいかというと、そういうわけではありません(「僕は春や秋のことは知らないけれど、夏のことならまかせてよ」なんて胸を張れるわけではないのです)。
「春秋」を識らないということは、自分が生きている季節が「夏」だということも分からないのです。「季節」と書きましたが、「季節」があるということすら知らずにいることでしょう。比べることができて初めて「夏だ」「春だ」「秋だ」と知ることができるのです。夏に成虫となるセミは、春も秋も識らず、夏だということも知らないでいのちを終えていくのです。
   
果たしてこのことばは、セミのことを語っただけのことばでしょうか(いえ、そうではありません)。
例えば…そう、私のことです。自我という想いの中を生きている私は、他者(ひと)の想いを知りません。
(注…私は「他者」と書いて「ひと」と読むようにしています)
   
自分を正当化し、自分さえよければいいと思いながら生きている私。他者の声は耳に入らないし、自分の想いとは違う環境に身を置きたくはありません。それでも、「そんな私だ」ということを知り、身を切り裂く悲しみを抱えているならまだしも、そういうわけではありません。
他者の想いに身を寄せることもなく、他者の悲しみに鈍感な私は、「そんな私だ」という気付きすらありません。「私」と書きましたが、「私」という存在すら知らずにいることでしょう。他者の いのちの認識に立って初めて「私は」「他者は」と知ることができるのです。
他者の想いを知らずに生きるということは、私自身が見えないということなのです。
(注…本当は、他者の想いを知ることなどできません。「あなたのことはよく分かっているよ」などと言うのは傲慢です。しかし、他者の想いを感じることに努めることはできるのではないでしょうか。そのような意味で、「他者の想いを知る」と書かせていただいています)
    
「法」とは「おしえ」です。「仏法」は「仏さまのおしえ」ということです。
「法」は、「さんずい」と「去」から成ります。水が去るのですから、そこには水の流れがあります。「法」とは、流れる水の如きもの。つまり、「法」をよりどころとして生きるということは、生きるということに動きが生じるということです。
生きることに動きが生じる…こころやからだが動き出す。悩み、苦しみ、泣き、叫び、他者と手を取り合い、他者のいのちを感じながら、刻一刻生きる我がいのちを感じ得るのでしょう。
「法」をよりどころとすれば、仏法聴聞していれば、こころの平穏が訪れるのではありません。ますます こころの動きが活発化していくのです。
水は、動きがないと淀み、腐ってしまいます。いのちも、生きることに動きがないならば、淀み、腐ってしまいます。
「法」をよりどころとして、悩みがなくなるのではありません。悩むこころの動きが、他者を、私を、感じさせてくれるのです。
暑さにうなだれる夏。しかし、春秋・冬を識らせていただいているおかげで、暑さも季節の変化のうちと、四季の味わいを感じられます。
さまざまな苦悩に直面する人生。その苦悩を取り除くことに努めてしまうのは、「法」に出遇っていないから。「法」に出遇え得ない私のこころは、淀み、腐っていきます。「法」をよりどころとする人生に、他者の想いを知り、私自身を見つめ得る。苦悩は取り除かれないけれど、淀みを生きていた私のこころに、動きが、流れが生じます。
   
    
   
 掲示板 今月の人形
 Dsc_0725
新婚旅行でエジプトに行った際に買ってきた人形です。
アヌビス神(左)とホルト神(右)をかたどっています。
新婚旅行には、2008年の2月に行きました。掲示板に飾るつもりで人形を買ってきたのですが、飾る機を逸してきました。2011年8月、やっと飾ることができました。
尚、本文と人形とは関係ありません(セミの人形を探し回ったのですが、巡り会えませんでした)。

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