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2011年8月 9日 (火)

今、哀しいことより この哀しみがうすれることのほうが ずっとかなしい

8月9日を迎えました。
長崎出身の朋が、「8月9日は特別な日です」と言いました。
終戦から66年
核の危険性を訴え、核廃絶を願ってきた年月なのに、足下には原発が。
このハッキリと分かる矛盾に、どうして気づかずにいたのだろう…
自分の中で、自分事として受け止めていなかったんだ。
そのことがハッキリ分かりました。
「核爆弾は危険だ!! 廃絶を!!」
「原発は核の平和利用だ!! 安全だ!! 必要だ!!」
 
自分の主張を通すため、矛盾を厭わない。
その矛盾に、やがて苦しむ。
    
   
お恥ずかしい話ですが、最近知りました。
「核兵器をもたず、つくらず、持ちこませず」で知られる「非核三原則」。
「核兵器の陸上配備は認めないけれど、搭載艦船などの寄港は容認する」という「2.5原則」を訴える政治屋さんがいるということを。
「2.5」って…。
人のこころにグレーゾーンは存在し、それ故にどちらにしたらいいのか悩むのだけれど、「原則」に「0.5」はあり得ないと思うのですが。「非核三原則」において「2.5」を認めたら、それは果てしなく「二原則」を意味し、「二原則」が定着したら、「1・5」→「1」→「0.5」→「0」へと瞬く間になっていくことでしょう。
 
「0.5」には矛盾の匂いが。
    
   
8月6日 8月9日を「原爆忌」とも表現します。
「忌」に「忌む」「嫌う」「忌々しい」などという意味があるので、「なぜ、○回忌って、“忌”の字を使うのですか?」と問われたことがあります。
『“忌”には、「忌む」という意味とは別に、「敬う」という意味があります』と聞いたことがあります。
辞書には載っていませんし、出典がある話ではありませんが、「○回忌」をお勤めすることの意義(有り難さ)を考えたとき、「敬う」という意味も大切だなぁと感じました。
原爆の犠牲となられた方々の想いを敬い大切にいただくことが、8月6日 8月9日を迎えた者の努めなのだと思います。
戦後、多くの人が、敬いの想いを抱きながら手を合わせ、「核廃絶」を願ってきました。
でも、その想いにこれっぽっちの偽りもないのに、生き方としては正反対の道を歩んできたようです。
戦後66年目にして、そのことを気づかせていただきました。いえ、もしかしたら66年経ったからなのでしょうか。
  
“理想”は同じなのに、人は、まったく正反対の歩みをすることがある。
その「人」とは、AさんとBさんという話ではなくて、私の中にある「人」でした。
「子供たちの未来のため」(「自分のため」なのかもしれない)という私と、
電気のある生活を享受し、そこから抜け出せない私。
どちらも私です。
      
   
そんな「私」を
66年という時の経過により薄らいでいく記憶を
忘れたくない
忘れてはいけない
こころに刻み込むんだ
悲しみと共に

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