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2011年8月 1日 (月)

2011年8月のことば

Dsc_0724
蟪蛄(けいこ)春秋(しゅんじゅう)を識(し)らず、
伊虫(いちゅう)
あに朱陽(しゅよう)の節(せつ)を知らんや

   曇鸞(どんらん)『浄土論註』
 
(文意)
蟪蛄春秋を識らず、
伊虫あに朱陽の節を知らんや

 
 蟪蛄とはセミのことです。
 伊虫とは「この虫」という意味で、
 ここではセミを指します。
  
 夏に成虫となるセミは、
 春や秋があることを知りません。
 春や秋を知らないこの虫が、
 どうして朱陽の節(夏)を
 知ることができるでしょうか
 (いえ、できません)。
     
      
残された時間が少ないことを知ってか知らずか、セミはいのちを尽くして鳴き続けます。
セミは、毎年 計ったように夏に成虫となります。春や秋、もちろん冬がどのような季節か知らないわけです。さて、そうすると夏について詳しいかというと、そういうわけではありません(「僕は春や秋のことは知らないけれど、夏のことならまかせてよ」なんて胸を張れるわけではないのです)。
「春秋」を識らないということは、自分が生きている季節が「夏」だということも分からないのです。「季節」と書きましたが、「季節」があるということすら知らずにいることでしょう。比べることができて初めて「夏だ」「春だ」「秋だ」と知ることができるのです。夏に成虫となるセミは、春も秋も識らず、夏だということも知らないでいのちを終えていくのです。
   
果たしてこのことばは、セミのことを語っただけのことばでしょうか(いえ、そうではありません)。
例えば…そう、私のことです。自我という想いの中を生きている私は、他者(ひと)の想いを知りません。
(注…私は「他者」と書いて「ひと」と読むようにしています)
   
自分を正当化し、自分さえよければいいと思いながら生きている私。他者の声は耳に入らないし、自分の想いとは違う環境に身を置きたくはありません。それでも、「そんな私だ」ということを知り、身を切り裂く悲しみを抱えているならまだしも、そういうわけではありません。
他者の想いに身を寄せることもなく、他者の悲しみに鈍感な私は、「そんな私だ」という気付きすらありません。「私」と書きましたが、「私」という存在すら知らずにいることでしょう。他者の いのちの認識に立って初めて「私は」「他者は」と知ることができるのです。
他者の想いを知らずに生きるということは、私自身が見えないということなのです。
(注…本当は、他者の想いを知ることなどできません。「あなたのことはよく分かっているよ」などと言うのは傲慢です。しかし、他者の想いを感じることに努めることはできるのではないでしょうか。そのような意味で、「他者の想いを知る」と書かせていただいています)
    
「法」とは「おしえ」です。「仏法」は「仏さまのおしえ」ということです。
「法」は、「さんずい」と「去」から成ります。水が去るのですから、そこには水の流れがあります。「法」とは、流れる水の如きもの。つまり、「法」をよりどころとして生きるということは、生きるということに動きが生じるということです。
生きることに動きが生じる…こころやからだが動き出す。悩み、苦しみ、泣き、叫び、他者と手を取り合い、他者のいのちを感じながら、刻一刻生きる我がいのちを感じ得るのでしょう。
「法」をよりどころとすれば、仏法聴聞していれば、こころの平穏が訪れるのではありません。ますます こころの動きが活発化していくのです。
水は、動きがないと淀み、腐ってしまいます。いのちも、生きることに動きがないならば、淀み、腐ってしまいます。
「法」をよりどころとして、悩みがなくなるのではありません。悩むこころの動きが、他者を、私を、感じさせてくれるのです。
暑さにうなだれる夏。しかし、春秋・冬を識らせていただいているおかげで、暑さも季節の変化のうちと、四季の味わいを感じられます。
さまざまな苦悩に直面する人生。その苦悩を取り除くことに努めてしまうのは、「法」に出遇っていないから。「法」に出遇え得ない私のこころは、淀み、腐っていきます。「法」をよりどころとする人生に、他者の想いを知り、私自身を見つめ得る。苦悩は取り除かれないけれど、淀みを生きていた私のこころに、動きが、流れが生じます。
   
    
   
 掲示板 今月の人形
 Dsc_0725
新婚旅行でエジプトに行った際に買ってきた人形です。
アヌビス神(左)とホルト神(右)をかたどっています。
新婚旅行には、2008年の2月に行きました。掲示板に飾るつもりで人形を買ってきたのですが、飾る機を逸してきました。2011年8月、やっと飾ることができました。
尚、本文と人形とは関係ありません(セミの人形を探し回ったのですが、巡り会えませんでした)。

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コメント

お初に失礼致します。
あることを検索しておりまして、偶然に拝見させて頂きました。
(偶然どころか、必然のご縁かも知れませぬが)
読み応えのある、学ばせて頂ける、そして気づかせて頂けるページでした。
私、今とても慌ただしく暮らしておりまして自分のブログの更新もままならない
有様ですが、またゆっくり拝見させて頂きます。
まずはお礼を一言申したくて。失礼致しました。

☆yoーサンさんへ
初めまして コメントをありがとうございます
 
「気づかせて頂けるページでした」…ありがとうございます。
自身の学びが浅いもので、学びのあるブログか否か 分かりません。
自身の気づきを正直に綴っています。その内容に異論反論はあるかもしれませんが、そこのところではなく、読まれた方がそれぞれに「気づき」があれば幸甚です。
 
私も、ブログを拝見させていただきます。

仏様の御教えが聞こえてくるニッポンでは水の有り難みに気付きにくいですよね。
損してるような得してるような。まぁ、全衆生を捨てないという海外への心つかいですかね。
今年は豊作の天候でしたが、被災地で苦しんでいる方々を忘れないで合掌したいです。
えーっと、津波で農耕地が減ったので宗祖はや阿弥陀様への御ぶっぱんがへるのかなと。終

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