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2011年7月

2011年7月28日 (木)

親鸞さまがおわします⑱

【第18回 この身のままで】
京の都より越後へ向かう舟。流罪となった親鸞聖人を乗せて、漁師は舟をこぎます。日本海の荒れ狂う海を、板子一枚にいのちを懸けて生きる人の姿を見ました。
流罪の地 越後では、過酷な環境の中、家族のために田畑を耕し、あるいは狩猟をしながら生きる人々がいました。
 
流罪を縁に、生か死か、日々ギリギリのところでいのちを懸けながら生きている人々との出遇いがありました。
彼らは、他のいのちをいただいている現実に、誰もが不安や恐れをいだいていました。
「罪深い私たちは、死んだ後は地獄に堕ちるのだろう…」
懸命に生きているにも関わらず、それに報われるどころか、不安を抱えながら生きる越後の人々。親鸞聖人は人間が生きるということの現実を目の当たりにします。
 
「田畑を耕すことも、漁や狩りをすることも、誰かがしてくださらねば、人は生きてはいけぬもの。にもかかわらず、身を以てそのお仕事をして生きている人々は、これほどまでに苦しんでいる。そのことに、私はあまりに無知であった」
 
聖人は、己の無知無力を思い知らされます。しかし、念仏禁止・流罪が言い渡された後も、念仏を称え続けられた師 源空上人の姿を思い出します。平穏無事を期しての念仏ではなかった。誰もが阿弥陀の慈悲に包まれて生きている。その目覚めが、人に立脚地を与えるのであった。聖人は、越後の人々に念仏のおしえを説きはじめました。
越後の人々は、聖人の説く念仏のおしえにふれ、「阿弥陀は、この私を見捨ててはいなかった。不安を抱えるばかりの生き方であったけれど、この身のままですくいの手がのばされていたのだ」という真実に目覚めました。
念仏のおしえに触れ、生きる力に目覚めた人々は、聖人からいただくお話を大切にされました。
  
念仏に対する処罰は許せないが、越後流罪というご縁をいただかなかったならば、この地の人々に、どうやって念仏のおしえをお伝えすることができたであろうか。このご縁をいただけたのも、師 源空上人のご恩であります。と、親鸞聖人は述懐されています。

2011年7月20日 (水)

獅子口

お暑うございます
台風のせいでもあるのでしょうか。蒸しますね
お元気でいらっしゃいますか。
暑い中、東京の7月盆も終わりました。今年は、お盆の直後が3連休だったため、お盆が1週間ほどあったような気がします。
  
お盆中、お参りにみえた門徒さんから質問をいただきました。
「副住職、屋根のてっぺんにある鬼瓦の、3本の角(つの)はなんですか? どういう意味があるんですか? お寺さんの鬼瓦って、必ず角が3本あるんで、気になってたんですよ」 
  
鬼瓦に角3本…気に留めたこともなかったので、名称も理由も知りませんでした。
質問をいただいたときにお答えできなかったので、調べてみました。 
 
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鬼瓦の上にある3本の角…あれは角ではなく、「経の巻(きょうのまき)」というのだそうです。お経の巻物ですね。それが3本乗っかっているのです。「経の巻」は、3本が基本形のようです。まれに5本があるそうです。
写真は、西蓮寺本堂の「鬼瓦」ですが、「鬼瓦」は総称で、厳密には「獅子口(ししぐち)」というのだそうです。
角は、必ずしも3本というわけではなく、1本の場合もあります。その場合、「鳥休み(とりやすみ)」というのだそうです。3本よりは、1本の方が鳥も休みやすそうです。
  
ちなみに、ご本山 御影堂の「獅子口」は、重さ3トンあります。
「日本家屋の屋根には、どうしてあんなに重たいものを乗っけるんだろう?」と思ったことはありませんか?
でも、あの重さが必要なのだそうです。重さがあってこそ、屋根が、建物がしっかりとするのだそうです。
重たさが必要・大事…人生も同じです。
  
「鬼瓦」は、魔除けのためとか、防火の願いを込めたものと言われています。
歴史的には、飛鳥時代からあったと言われています。時代を経て、装飾や願いが加わり、鬼瓦はいろいろな形へ変遷してゆきます。
西蓮寺本堂の獅子口のような形は、江戸時代頃からみられるようになったと言われています。
    
以上、いろいろなサイトにお邪魔してまとめさせていただきました。専門の方から言わせると、間違いがあるかもしれません。
また、「なぜ3本か?」「どういう意味があるのですか?」というご質問に、正確には答えていませんが、どうぞご了承ください。
     
   
  
お盆中のあまりの暑さ(熱さ)に、ニャアもグッタリしています。日陰を探して移動していました(写真右下)。
 
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2011年7月 1日 (金)

2011年7月のことば

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 本願力にあいぬれば
 むなしくすぐるひとぞなき
 功徳の宝海みちみちて
 煩悩の濁水へだてなし

         親鸞聖人
 
  
  親鸞聖人「天親和讃」試訳
 阿弥陀の本願力に出遇うことができたならば、
 むなしい人生を送る人はいません。
 生きとし生けるもの
 すべてをすくいたいという、
 海のように広く際限のない
 阿弥陀如来の慈悲のこころは、
 この私に満ち満ちています
 自らの迷いに沈みながら、
 苦悩多き人生を生きる私たちを、
 誰ひとりへだてることなく
 包み込んでくださっています。
 迷いを振り払って
 むなしさを無くすのではありません
 今の私のまま、
 すべてを受け入れてくださっています。
  
 
海には、人を惹きつける魅力があります。その広大さと魅力を持つ海に、親鸞聖人は阿弥陀如来の慈悲のこころを重ね合わせます。そうかと思えば、親鸞聖人は、尽きることのない人間の煩悩をも海で譬えられます。
阿弥陀のやさしさと人間のむなしさ。相反するものだけれど、どちらも海で譬えられています。
煩悩を持つ衆生あってこその阿弥陀如来。すべてをすくいたいという阿弥陀如来の願いがあってこその衆生。
相反するものではなく、ひとつのものとして、阿弥陀と衆生を見ていたような気がします。
   
震災後、こころに残ることばに出遇いました。
誰も海を恨んでいる人はいない
畠山重篤さん(NPO法人「森は海の恋人」代表)のことばです。畠山さんは、東日本大震災で被災し、お母様を亡くされています。
親しい人・大切なものを奪っていった津波。海に対して、恐れと共に恨みの気持ちが湧いてきたとしても、なんの不思議もありません。
しかし、遺された者として海を臨むとき、恨みの眼で海を見つめるものはいないと畠山さんは言われます。畠山さんだけの感情ではなく、多くの人々の感情なのだとお察しいたします。
なにもかも奪い去ってしまった海。 しかし、生きとし生けるものすべてに恩恵を与えてくれる海。相反する力のようだけど、相反すると感じるのは人間の理性。実際は、常に海と一味となって生きていたのです。
   
「幸せを求めること」が人生の目的であるかのように語られる時があります。その「幸せ」とは、どのようなことを  イメージされているのでしょうか。
つらいことなど無い方がいい。悲しい過去など消してしまいたい。喜びに満ちた世界を生きたい。自分の理想世界を描き、その世界を生きることが「幸せ」なのでしょうか。
喜怒哀楽のうち、仮に、喜や楽ばかりの世界に身を置けたとして、そこに身を置き続けると、喜や楽とは感じられなくなります。それに、喜や楽は、それだけでは成り立たないのです。怒や哀があるからこそ、喜や楽を、喜や楽として感じ得るのです。反対に、喜や楽があるからこそ、怒や哀も生まれるのです。
さまざまな感情がごちゃ混ぜになりながらも生きてきました。喜びに満ちた瞬間だけでなく、否定したい過去や消し去りたい想いも含めて、私の生きてきた足跡です。
嵐に「アオゾラペダル」(作詞作曲  スガシカオ)という曲があります。
  
 悲しいページなんて
 なかったことにしようとして
 ぼくらは
 いくつも色を重ねてしまった…
 きっとぬりすぎた色って
 白に戻れないけど
 それでいい
 新しい色で明日を描こう
 
 明日を眩しいくらいに
 うまく描こうとして
 ぼくらは
 キレイな色をぬりすぎたみたい…
 ちょっとカッコ悪いことも
 こわれたユメの色も
 パレットに広げ
 もう一度明日を描こう
   
日本画や油絵は、目にすることができる絵画の奥に、幾重にも色が塗り重ねられています。その塗り重ねがあってこそ、目にしている色・絵は生み出されます。
人生というキャンバスも、何日何年もの足跡を重ねてきて、今のままの私という絵が描かれています。誰もがうらやむような完成されたキャンバスなんて、1枚たりともありません。人の数だけキャンバスはあり、目に見える色・絵だけでなく、その背後には、数えきれないほどの出来事が塗り重ねられています。
海に対する複雑な想いを抱え、喜怒哀楽すべてを塗り重ねた人生。意味のない色などないように、むなしい人生も、実はなかったのです。
 
   
   
 掲示板 今月の人形
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 暑いねぇ 
 
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 でも、みんなでいると楽しいね
 
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 しんらんさんも一緒

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