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2011年5月

2011年5月29日 (日)

宗祖親鸞聖人御遠忌法要 東京五組団体参拝 参拝記

ただ今2011年5月28日(土) 午後11時
一週間前、東京五組団体参拝として宗祖親鸞聖人750回忌御遠忌法要に参拝してきました。
【東京五組団体参拝 5月20日~22日】
もう一週間経つんだ!と、カレンダーを見て驚きました。 
    
①プロローグ
団体参拝に出発する前日 5月19日
上の娘を連れて、近所の公園に行きました。砂遊びが大好きな娘。先に砂場にいた子供たちと仲良く遊んでいます。
砂遊びに飽きた子供たちは、砂場の外に出て、かくれんぼを始めます。「おじさんが鬼ね」と、ご指名を受けました。
公園を見渡しても、隠れられるようなところはありません。「かくれんぼったって…どこに隠れるんだ?」と、つぶやきながらも、鬼をつとめさせていただきます。
「イーチ ニーィ サーン・・・・・・ジュウー もういいかーい」
公園中に響き渡る声で数を数え、「もういいかーい」と叫びます(何年ぶりだろう)。
「もういいよー!!」の声で立ち上がると、私の横に娘がいました。2歳の彼女にとって、かくれんぼの意味も分からず、みんなでなにかをしているということが楽しいようでした。
といっても、他の子たちも3歳くらい。みんなすぐ近くにいました。かくれんぼにはなってないけど、なんだかとっても楽しい。
 
うまく隠れようとか、見つけてやろうとか・・・大人のつまらなさを感じました。
一緒になにかしてる。それだけで楽しいんだなぁ。   
明日から団体参拝・・・なんとなく、気持ちの入れ方が変わった出来事でした。
       
    
②団体参拝1日目
新幹線に直集合。240名の一行は、9:33発のひかりで「岐阜羽島駅」に向かいました。
出発前から携帯が鳴り続け(いろいろあったということです)、テンションが上がってきました。「さぁ、はじまるぞ!!」 なぜかワクワクしています。
  
この日のために作った五組御遠忌Tシャツやアジャセジャンパー(副住職の会オリジナルジャンパー)が車内を駆け回ります。みんな動いてくれるから、私は何も心配していませんでした。
待ちに待った御遠忌団参。門徒さんも楽しそうです。
 
「岐阜羽島駅」に着き、バス6台に分乗し、長浜別院へ。
(なぜ「米原駅」ではなくて「岐阜羽島駅」なの?と思う方もいたかもしれませんが、大人数がバスに乗ることを考えて、「岐阜羽島駅」にしました)
2号車のバスチーフだった私は、自己紹介や寺族紹介等をさせていただきました。マイクの調子が悪く、ご迷惑をおかけしました。 
 
1時間ほどで長浜別院近くの駐車場に着きました。案外近いんですね。
駐車場から長浜黒壁スクエアを通り、長浜別院へ。
東本願寺で集合写真を撮る時間・スペースがないため、今回の団体参拝中の集合写真は、長浜別院の境内で撮りました。集合写真係の私は、ショートカットして1番に長浜別院に着き、カメラの準備。1号車の方々が着くころ、「ようこそいらっしゃいました!!」と声をかけると、「なんで ここにいるの?」と驚かれました。
 
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集合写真を撮り終え、長浜別院の本堂に入っていただき、団体参拝開会式。
団体参拝団長の挨拶/正信偈のお勤め/長浜教区 沢面宣了住職のご法話/諸殿拝観
  
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沢面住職からは、絵本をつかって「いのちのつながり」についてのお話をいただきました。この団参中、沢面住職のお話に感動しましたというご門徒の声をたくさん聞きました。
いろいろな方が、いろいろな形でお伝えしている話ですが、この団体参拝という空気の中、子供たちにも伝わるように常々考えておられる沢面住職の姿が、多くの人のこころに届いたのだと感じます。  
       
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「集合写真を撮るから、長浜別院まで寄り道しないでくださいね」と、念を押しすぎたためか、長浜別院から駐車場までの復路は、みんな楽しそうに買い物をされていました。買い物の時間を取れて、商店街にも貢献できてよかったです。
   
2時間ほどかけて(途中一回休憩を入れて)京都へ向かいます。 
宿泊のリーガロイヤルホテル京都の宴会場へ。実際に240人分の席が用意されている会場に入ると圧巻です。下見の時とは違うなぁ。
  
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一日一緒に行動して、お寺の枠を超え、号車毎に打ち解けていたようで、和やかな食事になりました。
(食事が済み、一部 別のホテルに移られる方もいらっしゃいます。ご不便をおかけして、申し訳ありませんでした)
    
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街に出る用意もしてありましたが、みんな疲れていたし、だいぶお呑みでしたし、明日は御遠忌法要参拝なので、ホテルでおとなしくしていました。いつも日付が変わってから寝る私ですが、珍しくその日のうちに就寝しました(できました)。 
       
      
③団体参拝2日目 御遠忌法要参拝
朝食を済ませ、バスに乗り込み東本願寺へ。
バス乗降場で降り、係の誘導にしたがって御影堂へ。一法要で3,500人ほどの参拝者を、キチンと誘導くださり、ありがとうございます。蓮如上人の御遠忌の時よりもスムーズだったと思います。還座式の時よりも、窮屈感がなかった気がします。椅子の置き方を工夫されたのでしょうか。現場で動かれるスタッフは、大変なご苦労だと思います。みんなでお参りできましたこと、感謝申し上げます。
          
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室蘭大谷高校生の感話
吹奏楽部に所属する彼は、自分個人の練習も大事だし、みんなと合わせる練習も大切。そのバランスがうまく取れずに悩む彼に、「焦らなくていいんだよ」の友人の声。焦っているつもりはなかったけれど、知らないうちに態度に表われていました。そんな自分の姿を気づかせてもらった友人の一声。こんな自分のことを見ていてくれた友人。自分一人で頑張ってしまっていたけれど、そうではなくて、いろいろな人の力を借りながら生きていることに気づかされました。御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」から、そのようなことを感じました、とお話しくださいました。
感謝の気持ちを持って語る彼の姿に、親鸞聖人に遇われた方がここにいると感じました。
    
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勤行。「正信偈」のスピードの速さに、読み慣れた門徒さんもびっくり。草四句目下 本来の速さといえば、そうなのだけど、御遠忌のために同朋唱和の勤行集まで発行したことを考えると、もっとゆっくりお勤めするべきだったのでは。
  
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2時間の法要に身を置き、宗祖親鸞聖人の御真影の前で手を合わせ、阿弥陀堂へ。
私は何度もお参りしていますが、初めてご本山へお見えの方もたくさんいらっしゃいます。阿弥陀堂・御影堂を実際に目にし、建物の大きさ・荘厳の素晴らしさに目を奪われます。ここにも、古の人々の、念仏を想う気持ちが凝縮しています。阿弥陀如来に手を合わせ、バス乗降場へ。
   
バスが動き出すと、スタッフが手を振って見送っています。バスの中のみんなも、手を振って応えます。連帯感を感じます。
スタッフは、全国の教区からお手伝いに来られています。私個人的には、多くの人との再会を果たしていました。再会といっても、ほんの一瞬です。手を振りあうだけだったり、声をかけあったり、手を握り合ったり、抱きしめあったり…次はいつ会えるか分からない。でも、出遇えた事実があるから、再会を果たせる。「元気だった?」「また会おう」言葉は少ないけれど、凝縮された喜びが込められています。
 
御遠忌テーマからいただく いろいろな想い
再会によってよみがえる出遇いの真実
阿弥陀如来や御真影(親鸞聖人)の前に立ち、守られながら生きていると感じる温もり
 
御遠忌(だけに限らないけれど)とは、過去の偉人のご法要ではない。
おしえに生きた人々の歴史(温もり)が、今、私に届いている真実を確かめる場。
  
御遠忌を参拝できた喜びを胸に、ご本山を後にします。
一行は比叡山延暦寺に向かいます。
    
      
④団体参拝2日目 比叡山延暦寺
延暦寺会館での昼食の後、東塔 西塔を見学しました。
西塔の常行堂を特別に拝観させていただきました。
ここで親鸞聖人は不断念仏の修行をされていたのですね。身の引き締まる想いがしました。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
 
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比叡山延暦寺様におかれましては、団体参拝に際し、多々便宜をお図りいただき、ありがとうございます。山中ですから、坂が多いことは当然ですが、誰からも「疲れた」という声を聞くことがありませんでした。それだけ、目にすることの一つ一つが、胸に響いてきたのだと思います。
   
ちょっと急ぎ気味にバスに乗り込み、有馬温泉 向陽閣に向かいました。 
     
    
⑤団体参拝2日目 有馬温泉 兵衛 向陽閣
今回の団体参拝は渋滞もなく、予定通り(予定よりも早く)各目的地に着くことができました。おかげで、向陽閣に着いてから宴席まで、ゆっくりと温泉につかることができました。
早くも団体参拝二日目の夜が更けようとしています。みんなが、いろいろと抱かれた想いを語り合いながら、賑やかな宴席となりました。240人の宴席なんて、最近では珍しいのではないでしょうか。
それぞれ部屋に戻ってからも、語り合いは続いたようです。
 
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私は、また温泉に入りに行きました。
露天風呂に入ると、今回の団参で初めてお会いする門徒さんとお話する機会がありました。
御遠忌法要のこと・声明のこと・親鸞聖人のおしえのこと…興味が尽きないのだと思います。次から次に想いをお話しされ、時には質問され、どれくらい温泉につかっていたことでしょう。こういう会話って、なんだか久しぶりだなぁ。おかげでのぼせてしまいました。
次にお会いできる日(再会)が楽しみです。ありがとうございます。
     
    
⑥団体参拝3日目 北淡震災記念館・野島断層保存館見学
「北淡震災記念館・野島断層保存館見学」は、団参の行程を決めた頃から行くことになっていました。しかし、3月11日の震災を受けて、「このようなときに、ここに行くのはどうなのか?」というご意見も頂戴いたしました。委員会でも、検討を重ねました。しかし、当初の予定通り見学を決めました。
 
御遠忌法要参拝後、どこに向かうことも自由です。何の制約もありません。そのような中、有馬温泉に行くご縁をいただきました。そこから、3日目の行程も話し合い、「北淡震災記念館・野島断層保存館」見学に行くことにしました。
震災がなかったら、「ここに行くのはどうなのか?」という想いは湧かなかったことと思います。旅行の一見学地として、何の想いもなく見学していただけだったかもしれません。
いくつもの選択肢が考えられる中、兵庫という地を選び、さらに「北淡震災記念館・野島断層保存館」見学に行くことになりました。
「北淡震災記念館・野島断層保存館」のホームページでは、「完璧な“防災”はあり得ない。それなら、被害を少しでも減らすことを考えて欲しい。本物の断層を見て考えて欲しい」と訴えています。
偶々訪れることになった地で、偶々見学することになった施設。その施設のホームページからの呼びかけのことば。今回の震災を通して、目を背けるのではなく、目を向けてほしいという呼びかけが、私たち参加者に向けられていたのだと痛感しています。
  
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人それぞれ、いろいろなことを想われたことと思います。「来てよかった」という声も聞きましたし、「来たくなかった」という声も聞きました。上に書いた痛感したことは、あくまで私の思いに過ぎず、押し付けるものではありません。「来たくなかった」という想いを抱かれた方には、申し訳ないことと思います。
しかし、「遇う」ということを深くいただくとき、なにかしらの意味が込められているのだと思います。少なくとも、震災の影響を考えて、コースを変更するなどということをしなくて良かったと思います。
   
「遇う」に先立って、「遇う」ということが成り立っていた。つまり、「再会」ということ。
以前会ったことがある“人”と、再び会うことのみを「再会」というのではありません。場所や出来事との「再会」もありえるのでしょう。
一度足を運んだことがある場所にまた来れたという意味での「再会」ではありません。
たとえ初めて来る場所でも、そこは、呼びかけに応じて再び訪れた「再会」なのかもしれません。場との「再会」です。ご本山も、北淡震災記念館・野島断層保存館も。   
     
バスで、昼食会場である「鳴門みさき荘」に向かいました。渦潮ははっきり見える時間帯・天候ではありませんでしたが、みんな気持ちが高揚しているのか、盛り上がっていました。みんなで一緒に食べる最後の食事。とても美味しくいただきました。
  
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⑦団体参拝3日目 新神戸駅から東京へ
仲良くなれたのに、もう帰路です。みんな、疲れて寝てしまうどころか、会話が盛り上がっています。
このつながりをこれからも大切にしたい。そういう場を作り続けていきたい。このつながりの継続が、750年の歩みなのだと感じました。
みなさんとご一緒できたこと、とても嬉しいです。ありがとうございます。
 
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最初に書きましたが、この文章は団体参拝から一週間後に書いています。
思い返すと、もっともっといろいろなことができたな、至らない点があったなと、反省ばかりです。反省は、次の団体参拝に生かしたいと思います(私は生きていませんが)。
    
        
⑧帰宅
私の留守中、娘2人の面倒を見ていてくれていた妻。ジィジ(住職)とバァバ(坊守)にもお世話になりました。
さぞお疲れのことと思ったら、みんな笑顔で迎えてくれました。上の娘は、3日ぶりの私との再会にテンションが上がりまくりです。旅の話をしようにも、娘のはしゃぎっぷりに圧倒され、話になりません。
誰かが言っていました。「旅行は、帰る場所があるからこそ、楽しめるんだよ」
本当にその通りですね。家族との再会を果たし、お内仏に手を合わせ、風呂に入って休ませてもらいました。
    
   
⑨エピローグ
5月23日(月) いつもの朝が始まります。
娘のオムツがなくなりそうだったので、妻と娘2人と共に、仙川の島○へ。上の娘を、お約束のモグリン(バイキンマンの乗り物)に乗せてから買い物をして、昼食も済ませて寺に戻りました。
   
今晩は、お仲間のお寺さんにお声掛けいただき、お通夜の加勢です。
そのお寺さんと、もうおひとりと、私。みんな昨日まで団体参拝で一緒でした。1日ぶりの再会です。「お疲れ様でした」の挨拶を交わし、打ち合わせをし、お通夜…翌日のご葬儀とお勤めさせていただきました。
   
御遠忌に際し、いただいたご縁。
「親鸞聖人に人生を学ぶ講座」主催者として、18ヵ月連続講座を開きました。
「親鸞聖人に人生を学ぶ講座」のお話をさせていただく立場にも立たせていただきました。
「東京五組同朋大会」もありました。残念ながら、余震が続く中「同朋大会」自体は中止となりましたが、だからといって何も無くなってしまったわけではありません。「同朋大会」に向けて、朋と共に作り上げてきた大切な想いが、しっかりと残っています。
そして、「東京五組 団体参拝」
その前線に立って、語り合い、協力し合ってきた朋 3人でお勤めをしています。2人の顔を見ながら、不思議な感慨が押し寄せてきます。ここまでが、私にとっての団参なのかもしれないな、と思いました。
 
なにも用事がない1日だったならば、朝からダウンしていたかもしれません。しかし、家族との日常・ご葬儀という非日常・朋とお勤めする親鸞聖人のおことば(正信偈・和讃)…それらすべてが、私を突き動かします。おかげで、ダウンする間もなく、何事もなかったかのように日常を生かさせていただいています。
      
    
⑩終わりという始まり
エピローグなんて書いたけれど、団体参拝が終わって終わりなわけ…はない。歩みはこれからも続く。いえ、歩みはこれから始まる。
宗祖としての親鸞聖人に再会し、おしえと共に、南無阿弥陀仏の念仏と共に生きていく身が定まる。
うまく生きる必要もないし、うまく生きるためのおしえでもない。
このままの私が、このままに生きていく。ふと気づくと、周りには朋がいる。親鸞聖人がいる。
どんな生き方をしていようとも、阿弥陀の光明は、遮られることなく、私に届いている。「みぃつけた」(いつも見ていますよ)という声をかけられながら。
 
750回御遠忌は、偶々出遇えただけのこと。偶々そのとき生きていただけのこと。でも、阿弥陀の光明が、すべての生きとし生けるものに届いている証が、750回忌御遠忌として表出してきたということは真実。
御遠忌を迎えるときに偶々生き、「ここに、人がいる」真実に気づかせていただきました。
御遠忌法要は終わりましたが、連綿と続く いのち に終りはありません。
また遇いましょう。これからも遇い続けましょう。
   
  
文章を書き終え、ただ今2011年5月29日(日)午前1時です。
本山での御遠忌法要期間も終わりましたね。スタッフの皆様、お疲れになったことと思います。皆様のおかげで、出遇った方々とご本山を参拝することができました。ありがとうございます。

2011年5月28日 (土)

親鸞さまがおわします⑯

【第16回 承元の法難(じょうげん の ほうなん)】
源空(法然)上人の念仏宗への訴えが、いくら朝廷に出されようとも、仏教界における争いにすぎないと、朝廷は処罰を下すことはしませんでした。上人のおしえにすくいを感じる者が、朝廷にも多くいたのです
    
ある晩、源空上人のお弟子である 住蓮と安楽が念仏のつどいを催しました。つどいには、身分や性別を越えて多くの人々が集まりました。その中には、後鳥羽上皇に仕えていた女官もいました。後鳥羽上皇が紀州 熊野への行幸中、上皇に断わりもなく、念仏のつどいに参加したのでした。
念仏のつどいも終わり、皆が帰り始めたそのときに、女官は住蓮と安楽にお願いをします。
「南無阿弥陀仏のお念仏のおしえこそ、私たちがすくわれるおしえであります。どうか出家させてください」
女性の身分を知る住蓮と安楽は、その願いに戸惑いますが、女官の必死なまでの願いに応え、ついに出家の儀を執り行います。
   
熊野から還幸した後鳥羽上皇は、女官の姿が見えないことに気づき、源空上人の弟子の元で出家したことを知り、激怒します。
今まで専修念仏のおしえに対して罰を与えてこなかった朝廷も、ついに処分を下します。住蓮と安楽、他二名が死罪。出家者に対する死罪は、前代未聞のことでした。そして、師である源空上人は土佐へ、親鸞聖人は越後へ、他に六名が流罪となりました。この、源空門下への弾圧を承元の法難といいます。
   
師である源空との別れに、親鸞は涙します。
「お上人さま、私は、お上人さまと離れたくはありません」
「たとえどこに、どのような境遇に身を置こうとも、念仏を 忘れてはなりません。念仏を称えることにおいて、阿弥陀如来の御前に、私たちはいつも一緒です。南無阿弥陀仏」
これほどの処罰が下されても、源空上人の口から念仏が途切れることはありませんでした。
源空上人75歳 親鸞聖人35歳
承元の法難が源空と親鸞、今生の別れとなりました。

2011年5月16日 (月)

ここに、人がいる

5月15日(日) 都内某寺様において永代経法要の法話をさせていただきました。
永代経・報恩講を合わせて、7回目の出講になります。顔見知りになった門徒さんもいらっしゃいます。お育ていただきまして、ありがとうございます。
以下、法話の一部を書かせていただきます。 
   
   
     
私は、親鸞聖人のおしえは、「ここに、人がいることを目覚めさせるおしえ」であると感じています。
2011年3月11日(金)午後2時46分 東日本を、大きな地震が襲いました。地震に続く津波・原発問題は、被害を更に大きくしました。この未曽有の災害に、人々は驚きと悲しみを感じています。
「このようなことが起こるなんて、この世には神も仏もいないのか」と思う人もいるかもしれません。しかし、この世は、災害・戦争・傷つけあい等無情なることが起こるものです。それらを無くすのが神や仏なのでしょうか。それらが無くなった世界を求めて生きることが、 いのちの目的なのでしょうか。
無情なるこの世を、いのちあるものは生きていかねばなりません。そのためには、支えとなるもの、よりどころとなるものが必要です。しかし、私が、「これこそよりどころだ!」と意識して頼りとしたものが、いかに頼りとならないものであったことか…。それは、この未曽有の災害を前にして明らかになりました。
無情なるこの世を、今、現に私は生きています。それは、支えとなるもの、よりどころとなるものが、既に私を支え続けていてくれたからです。私が、「これこそよりどころだ!」と選ぶのではなく、私の意識(想い)を越えたはたらきに、私は、既に支えられていたのです。そのはたらきを、「阿弥陀如来」と言います。
宗祖 親鸞聖人は阿弥陀如来を見出され、苦悩を無くすのではなく、苦悩を抱えながらも生きていける道…「南無阿弥陀仏」の念仏の道を歩んでいかれました。
苦悩を無くすことを求めての念仏ではありません。苦悩ある人生・無情なるこの世だけれども、私を生かすはたらきがある。それを阿弥陀如来といいます。阿弥陀如来が、衆生(生きとし生けるもの)をすくいたいという願いが、「南無阿弥陀仏」の念仏として、私と共にあります。
   
人生において、出会いは大切な出来事です。言い方を変えると、出会いこそが人生です。しかし、「出会いは大切」「出会いに感謝」などといった場合、私にとって都合のいい出会いをイメージし、私にとって都合の悪い出会いは、わざわざ「出会い」などと考えられません。
真宗において「出会い」は、「出遇い」と表現され、大切にされます。「遇」には、「偶然」という意味があります。親鸞聖人は、「たまたま」と読まれています。偶然の出遇い、たまたまの出遇いには、私にとって都合のいいこともあれば、都合の悪いことも含まれます。にもかかわらず、真宗において「遇う」ということが大切にされるのは、私の意識(想い)を超えたところにある出遇い、自分ではどうすることもできないところにある出遇いを通して、初めて出遇えるなにかが あるということを表しているのだと思います。
災害を通して、今まで見えていなかったものが見えてきた。今まで軽んじられてきたいのちの重さが感じられるようになってきた。
自分の想いなど通用しないところに、初めてなにかを感じ、初めてなにかを想い、初めて見えてきたものがある。それらとの遭遇を「出遇い」と言います。
苦悩を抱えながらも、親鸞聖人のおしえに出遇われ、念仏申しながら、生き抜かれた人々がいる。その証が、その歴史が、親鸞聖人亡き後、750年も続いてきたのです。
光を射して、私を導いてくださる阿弥陀如来。苦悩を抱えながらも、念仏をよりどころとして生きる姿を示してくださった親鸞聖人。頑張る力を与えてくれているおしえ。
頑張れる大地が、今、私の足下にあります。
   
「永代経法要」というと、先祖を想い、供養讃嘆することをイメージします。
先祖代々から受け継いできたいのちが、今、私となって生きています。時間という縦のつながりです。
この震災を機縁に、空間という横のつながりを強く感じています。
世界中の人々が、行ったこともない国・会ったこともない人々を想い、復興・平和を祈って手を合わせてくださっています。視覚的に人は見えないけれど、“想う”という意味において、人が見えています。いのちが見えています。人が見えることによって、憂いは優しさに変わります。
時間軸において、亡くなられた方と対面することはできないけれど、亡き人を縁に、「南無阿弥陀仏」の念仏をいただいています。そういう意味で、亡き人と遇っているのです。
空間軸において、会ったことのない人・行ったことのない地域の人々のことを想う縁をいただいています。そういう意味で、人と出遇っています。
出遇いの中を生かされています。縦のつながり、横のつながりをいただいて、今、私は生きています。その感得が、永代経法要を勤めるということの本当の意味なのだと思います。

最初に、「私は、親鸞聖人のおしえは、『ここに、人がいることを目覚めさせるおしえ』であると感じています」と言いました。「ここに、人がいる」とは、今お話ししたような感得を意味します。

「遇う」という字に込められた想いには、私にとって都合のいい「出遇い」もあれば、都合の悪い「出遇い」も含まれると言いました。
しかしそれは、いいこともあれば、悪いこともあるという意味ではありません。人と人とのつながりの中を生きるということは、うれしい想いをする人がいれば、その時同時に悲しい想いをする人も発生しているのです。その自覚において、人と出遇えます。
未曾有の災害を通して、出遇うことがなかったかもしれない人々に出遇い、私の中から発することがなかったかもしれない、人を想う(人が見える)気持ちが表れた。他人(ひと)だけでなく、自分にも遇うことができました。
そのような意味で、「ここに、人がいる」ことを気づかせてくださるのが、親鸞聖人のおしえなのだといただいています。

2011年5月 1日 (日)

2011年5月のことば

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明日、世界が滅びようとも
今日、私はリンゴの木を植える

      
「リンゴの木を植える」とは、象徴表現であり、実際に木を植えるという意味ではありません。
明日、世界が滅びるかもしれないというときに、発育を見届けられないことを分かっていながらも、リンゴの木を植えるとは、どういうことでしょう。
しかし、考えてもみると、明日、世界が滅びないという保証・確約はどこにもありません。地震・津波・原発事故…今のような状況になろうとは、誰も考えずに生きてきました。
明日は何が起こるか分からぬ世界を、今日とも明日とも知らぬ身を、私は生きています。
ということは、「世界が滅びるのを分かっていながらも、リンゴの木を植える」という意味ではなく、「明日は何が起こるか分からないいのちを生きているけれども、私は、いつもと同じようにリンゴの木を植える」ことだといただけます。
日常を生きる。なにか特別なことをするのではなく、今日も、いつもと同じように生きる。
いのちの終わりを迎えたときに、なにか特別なことをしようというのではない。いつ終わるか分からぬいのちだからこそ、今日も、いつもと同じように、日常を生きる。
朝起きて、顔を洗い、朝食をとり、会社や学校に行き、あるいは家事をし、仕事を勤め、昼食・夕食をとり、風呂に入り、床に就く。
平凡な生活だと こぼすような日々を送れることが、どれだけ難しく、有り難いことであったか。
特別なことをする必要はない(やめる必要もない)。同じことの繰り返しでも、そこに、いのちの営みはしっかりと根付いていて、人生という果実が実っていました。
   
どうせいつかは汚れるのだから掃除はしなくていいと、汚れたままにしておけるでしょうか。
どうせいつかは別れるのだから出会いは必要ないと、人に会わずに生きられるでしょうか。
どうせいつかは死ぬのだから何も食べなくてもいいと、何も食べずにいられるでしょうか。
掃除をし、人に出遇い、たくさんのいのちをいただきながら、私は今まで生きてきました。今、生きています。これからも生きていきます。
たくさんのリンゴの木を植えながら生きてきたのです。たとえ汚れると分かっていても、たとえ別れがあると分かっていても、たとえ死ぬと分かっていても、せずにおれないのです。無駄なことなどないのです。
   
今回の震災の後、ボランティアとして被災地に行った朋が悲しそうに言いました。
「あまりに無力で…」
被害の甚大さに、人ひとりができることの小ささを痛感し、無力な自分を嘆いています。まるで責任を背負うかのように。
何事を為すにも、はじめの一歩があります。逆に言うと、はじめの一歩を踏み出さなくては、何も始まりません。
今、多くの人が、いろいろな形で、リンゴの木を植え始めています。
はじめに、「発育を見届けられないことを分かっていながらも」などと書きましたが、発育(目に見える結果)を求めながら一歩を踏み出してはいないことでしょう。せずにおれない何かがある。こころの底から突き動かされる何かがある。
平凡な生活だとこぼしていたのは、三度の食事を口に運びながら、「ただ動いていただけ」だからかもしれません。
せずにおれない何か、こころの底から突き動かされる何かを感じ、「ただ動いていただけ」の私が、リンゴの木を植えるという一歩を踏み出しました。「生きる」ということを感じながら。
   
今月のことばは、マルチン・ルターの言葉であるとする説が有力なのですが、出典が分かっていません。参考にする資料によって文言が違うので、掲示するにあたり、語句の体裁を整えさせていただきました。
初めて目にした時、格好いい生き方だなぁと感じましたが、よくよくいただいてみると、「今を生きる」ということでした。
   
   
   
掲示板の人形
Photo Dsc_0682

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