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2011年4月

2011年4月28日 (木)

親鸞さまがおわします⑮

【第15回 念仏のおしえへの弾圧】
 
「ただ念仏」の専修念仏のおしえに帰依された親鸞聖人。しかし、専修念仏のおしえをよりどころとされたのは、聖人だけではありませんでした。 身分・貧富・性別・年齢の別を超えて、すべての人々に開かれた念仏のおしえ。当時の既成仏教が朝廷や貴族を相手に開かれていたのに対し、源空(法然)上人のおしえは、民衆にも開かれていました。源空上人の念仏のおしえは、多くの人々に、瞬く間に広まっていきました。

しかし、勢力を拡大する源空上人の吉水教団を快く思わない人もいました(もっとも、源空上人には、勢力を拡大する意思など全くありませんでしたが)。そのひとつが、比叡山の僧侶たちでした。
山に籠り、厳しい修行に努めることで悟りを得ようとする者にとって、「南無阿弥陀仏と念仏申せば、阿弥陀如来がおすくいくださいます」という専修念仏のおしえは、危うく、許せないものでした。
言いがかりに近い非難もありましたが、民衆の人気を背景に、自分勝手な専修念仏のおしえを説く僧侶(源空上人の門弟)がいたことも事実です。

この状況を憂慮した源空上人は、『七箇条制誡』を書き、門弟たちを戒め、署名させます。親鸞聖人も「僧綽空」と署名されています。

騒動は治まったかのように思われましたが、比叡山からの抗議の翌年 元久2年(1205)には奈良の興福寺から「興福寺奏状」が出されます。源空上人の教団の過失を九ヵ条挙げ、念仏の禁止を朝廷に申し出たのです。

しかし、源空上人の専修念仏のおしえに帰依していたのは、民衆だけではありませんでした。貴族や朝廷の中にも、おしえに帰依する者が大勢いたのです。いくら抗議が出されても、源空の教団に大きな処分が下されることはありませんでした。
ある事件が起こるまでは…。

2011年4月23日 (土)

Over the Rainbow

Dsc_0631
 
虹のかなたに
 信じる人々にとって現実となる世界がある
 
明日を信じて生きる人々に
 開かれた世界がきっとある
  
明日に向かって
 わたしは羽ばたく

2011年4月16日 (土)

おしえに生きてきた人々に出遇い、おしえに生きている現実を知り、念仏称える私の姿が後の人々に念仏を相続していくこととなる

本年は宗祖親鸞聖人の750回忌の年にあたります。
真宗大谷派では、真宗本廟(京都 東本願寺)において、3月4月5月、それぞれ19日~28日に御遠忌法要をお勤めします。
しかし、3月11日の東日本大震災によって、3月に予定されていた第1期御遠忌法要は中止となり、「被災者支援のつどい」として、法要が勤まりました。
このことについて、いろいろなご意見があったと聞いています。「このような災害が起きた時に、大きな法要をするものではない」「このようなときだからこそ、親鸞聖人のおしえを聞き開くために法要をお勤めするべきだ」
 
人の数だけ考え方はあるもの。どちらが正しいなんてことはありません。
話が変わってしまうかもしれませんが、ある百貨店にお勤めの方からこのようなことを聞きました。
震災後、百貨店を開店すれば「大勢の人が困っているときに、開店するとはなにごとだ」(百貨店は、華やかなところというイメージからでしょうか)と言われ、休業すれば「物が必要なときに休業するとはなにごとだ」と怒られるそうです。
自然災害という、人間の想いではどうすることもできない出来事に遭い、どうすることもできない中で、生きる道を必死で探している人々がいるのに、自分の思い通りにしよう思い通りにしようとする人がいる。どうしたらいいの?という話ですね。 
   
さて、3月のゴタゴタを経て、4月5月の御遠忌法要のお勤めが決定しました。
私の個人的な考えです。誰かを批判したり、それこそ自分の思い通りにしたいという話ではありません。
親鸞聖人の750回忌法要が、歴史に名を遺す一個人のご法要であるならば、延期や中止にすればいいでしょう。しかし、750回忌を迎えるご縁をいただき、そこから親鸞聖人のおしえを訪ねる動きが出てきました。
その動きは、親鸞聖人のおしえを教学的に捉えるということではないはずです。
親鸞聖人在世の頃の京の都も、戦乱の影響や飢饉によって、多くの民衆が亡くなったとききます。まさに、現代の、地震・津波によって被災しているかのように。そのような時代に、親鸞聖人のおしえ、南無阿弥陀仏の響き、阿弥陀如来の温もりを感じ、「南無阿弥陀仏」と念仏を称えて、一生を頑張って頑張って生き抜いた人々の歴史が、今に伝わっているのだと思います。
つまり、宗祖親鸞聖人のご法要をお勤めするということは、親鸞聖人一個人のご法要をお勤めするということではなく、そこに、おしえに生き抜いた人々を見出し、今もなお、この私におしえが届いていることの証として、ご法要が勤まるのだと思うのです。
「今、いのちがあなたを生きている」という御遠忌テーマも、このような意味が、現実が、想いが込められたものといただいています。
今回の災害を経て、会ったことも、話したこともない被災された方々に対し、日本という枠を超えて、多くの国の人々が祈りをささげています。いのちが軽んじられている時代などと言われもしますが、そんなことはない、いのちがつながりといて生きている事実が、如実に表れているではないですか。こういう事実も、御遠忌テーマは私たちに訴えているのだと思います。
今頃このようなことを言わなければならないのは、親鸞聖人の750回忌を迎えるに当たり、何もしてこなかったことの表われのような気がします。今からでも遅くはない。困難に立ち向かっていった人々の歩みは、私たちの足下に届いているはずです。そうでなければ、私たちは立ち上がっていないでしょう。なにもできずにいるだけでしょう。でも、そうじゃない。見えていなかっただけです。南無阿弥陀仏のお念仏の大地に、今、立ちましょう。  
  
3月の御遠忌が中止となり、「このようなときだからこそ、親鸞さまのご法要に参詣したかった」というご門徒の声も、多く聞かれたといいます。
オウム事件以降、「日本人の宗教離れが進んでいる」などとよく言われます。果たしてそうなのだろうか? 実際のところは分かりませんが(宗教心はあると思うのですが)、「そのように言われている」という憶測・マスコミが声を大にする情報から、私たち寺に住まう者は、宗教離れが進んでいると思い込み、親鸞聖人を大切に想う人も少なくなっている、お念仏を称える人も少なくなっている。さぁ大変だ、親鸞聖人のお念仏のおしえを復活させなければいけない!などと考えてはいなかっただろうか。
宗祖親鸞聖人を、念仏のおしえを大切にしている人々が、今の世にもこんなにいる。それなのに、「誰もいないから」「誰もいないだろう」という前提に立ってしまっていたのではないだろうか。
中越の震災後にボランティアで炊き出しに行った際に、家具等が倒れてしまったお宅の片づけを手伝わせてもらったことがあります。家の中に入ってびっくりしたことがあります。地震で、家具や食器や飾り物や、あらゆるものが散乱していたのですが、そんな状況の中、1か所だけきれいにされ、輝いているところがありました。お内仏(お仏壇)です。どこよりも先ず、お内仏を整えられていたのです。整えられているお内仏と、そのおこころに自然に手が合わさりました。
大切にしている人たちと、おしえの復活や再興を試みる人たち…前提がまったく違っていました。かみ合うはずがありません。
この未曾有の出来事によって、いろいろなことを感じさせていただきました。逆の言い方をすると、これほどのことがないと目が覚めなかったのか!ということにもなります。
 
3月の御遠忌が中止になったことをブツブツ言っているのではありません。何年もかけて準備してきたものを、自分たちの決断で中止にせざるを得なかったこと、お察しします。作る側の気持ちも分かるので(テーマがわかりづらいだの、マスコットが必要なのかどうかだの、盛り上がりに欠けるんじゃないかだの、問うべきことはそこか?ということで この何年間か浪費してきてしまいました)、苦情を述べているのではありません。
 
御遠忌法要をお勤めするということは、親鸞聖人一個人を偲ぶという意味ではない。おしえに生きてきた人々に出遇い、おしえに生きている現実を知り、念仏称える私の姿が後の人々に念仏を相続していくこととなる。
また、名称は「御遠忌法要」ではなくなっても、そこに親鸞聖人はいるのです。「被災者支援のつどい」と銘打っても、「御遠忌法要」であることに変わりはないのです。「ここに、人がいる」という自覚において。
 
4月5月の御遠忌法要をお参りするだけが、そのお参りではありません。いつでも、京都の東本願寺をお参りください。
京都の東本願寺をお参りすることがかなわなくても、阿弥陀如来のご本尊をお参りください。そのことを通して、過去の人々とも、いのちを亡くされた人々とも、目の前を生きる人々とも、この私自身とも、遇うことができます。 

2011年4月 1日 (金)

2011年4月のことば

東北地方太平洋沖地震により被災されました皆様に
心よりお見舞い申し上げます
2011年3月11日 (金) 14:46 
強く、長く、大きな揺れがありました。ただならぬ気配を感じ、机の下にもぐりました。2階では孫が叫んでいます。今までに経験したことのない揺れに、何をしたらいいのか、頭も体も反応できませんでした。揺れが収まりテレビをつけると、すさまじい勢いで津波が陸地を襲っています。正直、何が起きているのか分かりませんでした。
ありきたりの言葉ですが、自然に対する人間の無力さとともに、自然をもなんとかしようとしてきた人間の傲慢さを思わずにはいられません。
今という時代に、このような惨劇が起きたこと。何を意味しているのでしょうか。私たちに何を訴えているのでしょうか。何をすればいいのでしょうか。震災から、多くのことが問われています。
しかし、日本国内にとどまらず、世界中の人々が日本のことを祈ってくださっています。今、世界がひとつになっています。独り(ひとり)ではありません。共に前に進みましょう。
 西蓮寺住職 白山謙弌(釈謙弌)
   
   
   
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 人が見えると
   憂いは 優しさに変わります

    
私は、親鸞聖人のおしえは、「ここに、人がいる」ことを目覚めさせるおしえだといただいています。
「ここに、人がいる」…なにを言っているんだと思われるかもしれません。そんなこと目覚めさせられなくても、人がいることぐらい分かっている、と。
視覚的には、人は見えているのかもしれません。しかし、本当に人が見えていると言えるでしょうか。
自転車に乗っていて、自分の前を歩く人に、「どけ」と言わんばかりにベルを鳴らす。「どうせ誰もペースメーカーなんかしてないんだから」と、優先席に座りながら携帯電話をいじる。足りているのだけれど、必要ないのだけれど、物が不足して不安だからと買いだめをする。「使える奴」か「使えない奴」か、人を資材として判断する。罪を犯したという一点だけで犯罪者を見、「ひどい奴だ」とののしる(いったいどれだけの傷を受けて、罪を犯さざるを得なかったのでしょう)。
「自分さえよければいい」という視点で生きていると、人が見えなくなるようです。
「自分さえよければいい」という思いは、憂いや不安があるからこそ湧いてくるのかもしれません。憂いや不安があるから、それを払拭しようとして自分本位に振る舞う。結果、人を人とは思わぬ行動に出てしまう。
人とは、他者だけではありません。自分も含まれます。自分で自分の姿は見えないものです。憂いゆえに、人を人とは思わぬ行動をとる私は、自分すら見失っているのです。自分も含めて、人が見えていない私に、優しさなどあるはずがありません。
しかし、この災害を縁に、多くの人々が被災者に救いの手を差し伸べています。世界中の人々が祈りをささげています。
目の前に生きている人間さえ、人を人とは思わなかった私が、会ったこともない人、災害によっていのちを亡くされた人を想い、なにかせずにおれないと思い立っています。
震災によって、今までにない憂いを抱えています。それほどの憂いは、誰だって抱きたくありません。しかし、この憂いによって、今まで見えていなかった多くの人々が見えてきました。そこに、今まで表出されなかった優しさが溢れ出してきました。
「人(いのち)」が見えるとき、憂いは、憂いだけでは終わりません。「優しさ」が生まれます。
「優しさだけじゃ、なにもできない」という人もいることでしょう。しかし、今まで見えていなかった人(自分も含めて)が見えると、人生の歩みも変わります。それぞれの歩みが変われば、必ず大きな変化が生じます。
「ここに、人がいる」という目覚めを経て、憂いが礎となった優しさを持つ人がこんなにもいるのです。必ず、復興への道が開かれるはずです。
    
    
  
掲示板の人形(Prey for Japan)
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