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2011年3月

2011年3月31日 (木)

寒さを経て、花は咲く

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寒かった3月も終わりに近づき、4月が近づくにつれ 暖かくなってきました。
ふと気が付くと、植物が芽吹きはじめています。
瑞々しい葉の輝きや 穏やかな花の匂いが 私の周りを囲んでくれています。
いつかきっと 輝ける光景が 私を包んでくださいます。
必ず

2011年3月28日 (月)

親鸞さまがおわします⑭

【第14回 人は、笑顔の奥に、どんなに悲しいことがあったことでしょう】

源空(法然)上人の吉水の草庵には、多くの人々が集っていました。その中に、親鸞聖人の妻、恵信尼(えしんに)さまもいました。恵信尼さまは、京都の貴族・三善 為教(みよし ためのり)の息女と言われています。
  
源空上人の教え―苦悩を抱えて生きる衆生を、その苦悩のままに、阿弥陀如来はおすくいくださいます―を聞き続けられた善信(親鸞)と恵信尼。ひたむきに教えに聞き入られました。
   
善信は、初めて源空上人の草庵に来た頃に比べ、顔つきが柔和になってきました。しかしお顔つきが柔和になられたのは、源空上人の教えによって、それまで抱えていた苦悩が無くなったからではありません。苦悩を抱えるには、苦悩を抱えるにいたった縁があります。縁とは、良いことばかりではありません。私にとってつらいことも含めて縁なのです。いくつもの縁が重なり合って、今の私がある。そんな当たり前のことに目覚め、善信は初めて前を向いて歩き始めたのです。
  
いつの頃からでしょう。そのような善信の変化に気付いた恵信尼さまは、源空上人からいただいた教えを語り伝える善信の姿を、頼りとされます。
恵信尼さまは感じます。「この方の笑顔の奥には、 どれだけの悲しみ・葛藤があったことでしょう。この方をおすくいくださった阿弥陀如来の誓願を、私も頼りとして生きてまいります。南無阿弥陀仏」
    
親鸞聖人は、日本仏教史上初めて公に結婚した僧侶として言われています。当時の結婚は、夫が妻の家に入る形が主流でした。そして、想いが変われば他の女性の元へ行くことも、当時の慣わしとしては批判されるようなことはありませんでした。そのような時代性の中、聖人と恵信尼さまは、生涯を共にされます(晩年は別々に住まわれますが)。
お互いに観音菩薩(慈悲の象徴)の生まれ変わりであると述懐されていることからも、おふたりにとって、お互いの存在の大切さが伝わって来ます。

2011年3月24日 (木)

ひとりで頑張る必要はありません

3月24日(木) 春彼岸7日目(最終日)
春のお彼岸も終わりました。
例年と比べたら参詣者の少ない春彼岸でしたが、震災後、あらゆる環境が不安定なことを考えると、多くの方が参詣されたと思います。
無事を伝えた方もいることでしょう 神仏に祈った方もいることでしょう とにかくお参りせずにおれないからという方もいることでしょう。
想いはさまざまです。でも、そこには、なにか見えない大きなものをよりどころとして生きたいという願いを感じます。
願いを持てるということは、願われて生きている真実があるから。
真実(よりどころ)と共に、生きていきましょう。
南無阿弥陀仏

2011年3月21日 (月)

便利さの陰で、語り合うべきことを語り合ってこなかったのかもしれない

2011年3月21日(月)春彼岸4日目
節電の呼びかけに応えて、多くの方が節電に努めていらっしゃることと思います。
西蓮寺でも、使わない部屋の電気はつけず、使わない電化製品のコンセントは抜き、一度に幾つも点いてしまう電球は外し、家族ができるだけ同じ部屋にいるようにし、夜も早く寝るなど、節電に努めています。
やってみて感じたことは、いかにいままで無駄に電力を消費していたかということ。
節電といっても、不便は感じません(不便を感じるほどに節電に努めろと言われてしまえば、現状返す言葉もありませんが)。
  
通勤・通学に電車を使われる方にとっては、時刻表通りに運行しない電車に不便を感じておられることと思います。でも、普段の70~80%の運行率とかでも、なんとかなっていることを考えると、今までいかに快適に生活をさせていただいていたのか、感謝の気持ちが絶えません。 このお彼岸も、電車に乗って参詣にお見えの方がおおくいらっしゃいます。ガソリンの供給不足により、いつも以上に電車を利用されている方が多いようです。
  
節約してみて、そういう状況に置かれてみて、初めて感じることがある。
後で取り戻せるものを一時的に失って、「初めて感じる」ことができたのなら、その気持ちを持ち続けていけばいい。
しかし、そういうことって、たいてい 失ってから気づく。
原発の問題…テレビや新聞・ネットニュースで目にしますが、本当はそんな悠長なことを言っていられる状況ではないのかも。チェルノブイリや東海村…原発について、電力の安定供給について、節電について、公共の交通機関がきちんと発着することの有り難さについて、夜遅くとも明るさ灯る道を歩ける尊さについて…語る場、語る機会は、今まで用意されてきた。それなのに、そのことをしてこなかった。悔やまれます。

2011年3月20日 (日)

このようなときに、被災地にいないものが争ってどうする

2011年3月20日(日)春彼岸3日目
某運送業を営んでおられる門徒さんがみえました。親御さん思いで、気は優しくて力持ちな方です。その方がさみしそうに仰られました。
「お得意さんに、被災地までの物資の運搬を頼まれたんです。でも、現在のガソリンの供給状況や道路状況では、そこまで行けないんですよ。ですからお断りしたら、『そんな奴だとは思わなかった。お前にはもう頼まん!!』って怒鳴られてしまいました。私だって、行けるものなら行きたいんですよ」
 
被災地に物資を持っていくだけが支援の方法ではありません。その方は、都内において飲料物を集め、現地まで運ぶ企業のお手伝いをしています。ガソリンも、ご自分のお仕事が終わった後、4時間以上並んで給油し帰宅し、睡眠時間は1、2時間と仰っていました。
今までも、お仕事の内容をお聞かせいただき、頭が下がる想いでしたが、こんにちのお仕事の様子をお聞かせいただき、あらためて感謝の気持ちでいっぱいです。
  
被災地に物資を運んでくれと頼んだ方も、「なんとかしたい」という気持ちからでしょうが、なんとかならない現実もあるのです。
このようなときに、被災から逃れた者が、誰かに怒りをぶつけてどうするのですか。被災された方々が、どんなに助かる支援物資を用意できたとしても、そこに争いがあったのでは、支援にならないのではないですか。
忸怩たる想いは、誰もが抱えています。でも、冷静に、できることをひとつずつ積み重ねていきましょう。

2011年3月19日 (土)

他人(ひと)のことを覚えていてくれるうれしさ

2011年3月19日(土) 春彼岸2日目
お彼岸のお参りにみえた方の、たくさんの方に声をかけていただきました。
「奥さんのご実家は大丈夫でしたか?」 
 
妻は秋田県出身です。実家も、現在秋田市にあります。
妻の両親も兄弟も親戚も、住まいも無事です。秋田県も、1日ほど停電が続いた以外は、そんなに被害がなかったと聞いています。
ご心配いただき、ありがとうございます。
  
ご心配いただき、声をかけていただいたこともうれしいのですが、妻の出身地をこころに留めていてくださったことが、こんなにもうれしいこととは思いませんでした。
 
他人(ひと)の情報って、聞きはしても忘れてしまいますよね。
でも、覚えていてくださるということは、その人自身を認めていてくれることなんだなぁと痛感しました。
ありがとうございます。 
  
たとえよく知らない人でも、
たとえ会ったことがない人でも、
たとえ いのち終えた人であっても、
その人のことを覚えていてくれる人がいる限り、
そこに、人は いのちは存在する

2011年3月18日 (金)

救援金箱設置しています

2011年3月18日(金) 春彼岸1日目
計画停電も噂され、公共の交通機関も時刻表通りには運行されません。ガソリンも足りず、車での移動もままなりません。しかし、そのような中お墓詣りに見える方がたくさんいらっしゃいました。いろいろな想いがあることと思います。
会って、お話ができる。そのことだけでも、どんなに素晴らしいことだということを感じました。みなさまもお顔を拝見できて、うれしくなりました。
 
お彼岸中、本堂前と玄関に「救援金箱」を設置させていただきます。
ご協力いただきましたお金は、ご本山(京都 東本願寺)に送付させていただき、被害に遭われた方々救済のために使わせていただきます。
お彼岸終了後に、一旦送付させていただきますが、今後も「救援金箱」は設置させていただきます。ご協力をお願いいたします。
 
お寺の前を通った中学生が、自転車を降りて、本堂前の救援金箱にお金を入れていってくれました。
「ありがとうございます」と声をかけると、恥ずかしそうに行ってしまいました。
とてもうれしかったです。ありがとうございます。
   
      
(すでに数日すぎてからのアップになります。すみません。お彼岸前日から口内を痛め、夜は早々に休ませていただいていました。でも、書きたいことがあるので、遅くはなりましたが、時系列で書かせていただきます)

2011年3月17日 (木)

欲しいものを手に入れるとき 手に入らない誰かがいます

食パン一斤手に入ることのうれしさよ
  
食パンを買うのに、いえ、食パンの姿が見えたときに、こんなにもうれしさを感じたことがあっただろうか。
 
食べ物を粗末にしないように、食べられることに感謝しながら生きてきたつもりでいた。なんて傲慢だったんだろう。
 
スーパーに行った。パン・卵・納豆・カップラーメン・小麦粉・飲料・・・保存の利くものが、すべて売りつくされている現実。その光景に、驚きというよりも恐怖を感じた。
 
「買い占めはやめましょう」
たしかに、買い占めはいけない。
しかし、物がなくなる現実の中に身を置くと、買い占めたくなる衝動も起きてしまう。
もし、今までに買い占めをした人がいたならば、買い占めたものを無駄にしないでください。パンのひとかけも、卵の一個も、麺の一本も、飲料の一滴も。自分の口に食べ物を運ぶとき、空腹に耐える人がいることを忘れないでください。

2011年3月16日 (水)

共に歩もう

たくさんのいのちが、いのちを終えてしまった
   
亡くなられたいのちに想いを馳せ より多くの人々が悲しみに暮れる
   
悲しい
   
でも、
 
他のいのちが いのちを終えていったことを悲しめる優しさを持ついのちなのだから
 
いのちを生きているうちから
   
悲しみと優しさを抱えて接することができるはず
 
別れてから涙を流すことができるのだから
 
一緒にいるうちから 苦楽の涙を共に流せるはず
 
手を取り合って
 
共に歩もう

2011年3月11日 (金)

三寒四温

20℃近い暑さの日があったかと思えば、0℃近い寒さの日もあり、最近の気温の変動には、体調管理も大変ですね。
冬から春に向かう、だんだんと暖かくなる頃の、暑さ寒さの繰り返しを「三寒四温」といいます。
が、今ブログを書くにあたり「三寒四温」で検索したら、本来はそういう意味ではなかったようです(というか、日本における季節の移り変わりを表した言葉ではないようです)。
 
中国や朝鮮半島では、冬期に、シベリア高気圧の影響で3日寒い日が続けば4日ほど暖かい日が続くときがあるそうです。そのような変化を中国で「三寒四温(暖)」と表現したようです。ですから、元々は中国の気候を表しているのですね。
日本でも、春に向かう頃の暖かさ寒さの繰り返しを、いつの頃からか「三寒四温」というようになったようです。それはそれで、日本で定着したことばになっていますね。 
 
気温の変化や、花粉症で体調を崩されている方もいることと思います。お体お大事になさってください。 
 
 
感じるこころ
温もりを感じられるのは、寒さを知っているから

2011年3月10日 (木)

冥福は・・・祈りません

3月9日(水) 西蓮寺聞法会 開催しました。
西蓮寺聞法会は、副住職(私)が、お話をさせていただいています。
今回は『仏教家庭学校』春彼岸号に掲載していただいた文章をもとにお話をさせていただきました。
 
テキストを使っての話に先立って、真宗基礎講座・真宗の仏事についてお話をすることがあります。
前回の聞法会で、『真宗では「冥福を祈るとは言わない」と聞きましたが、なぜですか? 「冥福を祈る」と言えないのであれば、なんて言葉をかけてあげればよいのでしょうか?」というお尋ねがあったので、そのことに応えました。以下、お話したことの概略です。
    
  
身近な方が亡くなると、「ご冥福をお祈りいたします」と言葉をかけます。
しかし、真宗のおしえに触れた者は、「ご冥福をお祈りいたします」という言葉は使いません。
「冥福」の「冥」は「暗い」という意味です。闇の世界…死後の世界を表わしています。その死後の世界での幸福ということが「冥福」ということになります。
「冥福を祈る」ということは、「死後に迷いの世界(地獄)で苦しまないことを祈る」ことを意味します。
ということは、涙を流すほどに別れを惜しんだ亡き人が、地獄に堕ちるかもしれないという危惧を抱いていることの表われでもあります(たとえ、そのような気持ちはなくても)。
 
親鸞聖人は、
娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり。(中略)いよいよ 大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じそうらえ(『歎異抄』第九章)
ということばを遺されています。「阿弥陀如来の大悲のこころ・衆生をすくいたいという願いは頼もしく、私たちの往生は決定しているのです」と言われています。
  
亡き人はすでに「かの土(浄土)」に生まれているのです。生きている私たちが、亡き人の行き場所を心配して「冥福を祈ります」というのは、余計な心配なのです。
ですから、真宗のおしえに触れたものは、「ご冥福を祈ります」とは言わないのです。
 
しかし、気をつけたいことがあります。「真宗では、冥福を祈るとは言いません」と教えられたから言わないのではないのです。
亡き人から教えられることがある。亡き人からいただいてきた優しさがある。そのことが見えたとき、亡き人は決して供養の対象ではないことに気付かされます。迷いの存在ではないことに目が覚めます。亡き人は、いつまでも私を照らし、迷う必要のないことに心身をすり減らしながら 限りあるいのちを生きている私を目覚めさせる仏(師・先生)なのです。
亡き人に迷わないでくださいと祈っている私こそ、迷って生きているのではないですか? そのことを、亡き人から教えていただきました。その気付きがあるからこそ、冥福を祈る必要がないことに頷けるのです。
 
弔電や弔辞では「つつしんで哀悼の意を表します」「お悔やみ申し上げます」という言葉とともに、亡き人からいただいた恩をお伝えすることが、大切なことだと思います。

2011年3月 9日 (水)

後になって言うな

読売新聞 3月8日(火) 番組欄「モニター」に、倉本聰さん脚本の「6羽のかもめ」(1974年10月期の連続ドラマ)に託したエピソードが書かれていました。
 
1974年 大河ドラマ「勝海舟」の脚本を書かれていた倉本さんは、トラブルがあり降板しました。
もう仕事は来ないだろうと思っていた時に、フジテレビから誘われて「6羽のかもめ」を書きました。
その最終回「さらばテレビジョン」における、放送作家(山崎努さん)の憤りを込めたセリフにドキッとしました。
    
テレビの仕事をしていたくせに、本気でテレビを愛さなかったあんた、テレビを金もうけとしか考えなかったあんた、よくすることを考えもせず偉そうに批判ばかりしていたあんた
  
「親鸞聖人のおしえに導かれているくせに、」
「僧侶として生きているくせに、」
「寺に身を置いているくせに、」
 
まるで自分のことを言われているようでした。我が身を振り返りました。
どのような仕事をしている方でも、自分のこととして置き換えられるセリフです。
 
「モニター」は、放送作家のセリフで締めくくられています。
何年たっても、あんたたちはテレビを決して懐かしんではいけない。今にして思えばあの頃テレビは面白かったなどと、後になってそういうことだけは言うな
   
どんなに偉そうに批判していても、時がたてばあきれるくらい簡単に思い出にしてしまう。
懐かしい思い出なんかにならないほど、本気で向き合わなければ。

2011年3月 8日 (火)

視野は大きく 行動はごく身近なところから

都内にある国際協力機構(JICA)の地球ひろばで、世界中の誰もが安心して人間らしい生活ができることを目指す「人間の安全保障」の展示が開かれている。
(読売新聞 3月7日付 「編集手帳」より)
 
日本国内における格差の広がりが問題化・顕現化しています。
世界に目を向けると、さらに大きな格差があることに気づかされます。
紛争に巻き込まれ
食べるものが手に入らず
飲み水を確保するために何キロもの道のりを、水の入った重たい容器を持って歩く

日本では考えられないことが、世界では起きています。「このままではいけない」「なんとかしなければ」と思いはしても、何をすればいいのか分からない私。なかなか腰の上がらない私。
そんな私に、 
「国際協力というと大げさなことのようだけど、子供たちを助けたいという気持ちが、立派な国際協力と思う」(読売新聞 3月7日付 「編集手帳」より)
と、JICAが表彰したエッセイコンテストで中学生が教えてくださっています。
 
先ずは自分の気持ちから。
 
宮崎駿さんが、「エコについて考えるのなら、自分の半径300メートルの自然のことを考えなさい」とおっしゃっていたことを思い出しました。
 
大きなことをやろうと考えて何もできないよりも、自分の周りから。
 
ゴミを捨てないということでも、大きな国際貢献・エコにつながると思います。
 
視野は大きく
行動はごく身近なところから

2011年3月 6日 (日)

天国の会

妻が会社勤めしていたときの友人たちが寺に遊びに来てくれました。妻も含めて同期5人。
勤務していた当時、その5人の集まりに私も声をかけていただきました。計6人。
  
昨日、一年ぶりに同期の5人が集まったのですが、計9人になっていました。
妻と私が結婚して、子供を授かりました。
同期どうしで結婚されたご夫婦も、子供を授かりました。
昨年結婚された子が、奥さんも連れてきてくれました。
  
食事をしながら、人数が増えて賑やかな様子を眺めていて、不思議な感じでした。
みんな それぞれの道を歩み、それぞれにつながりが生じ、それぞれのつながりとのつながりを持たせてもらう。
縁とはこういうものなのだなぁと感じました。
   
次に会うとき、何人になっているだろう。 
   
(おまけ)
タイトルの「天国の会」とは、勤めていた会社のそばにあった居酒屋さんの名前(天国)です。
安くて美味しいお店で、集まりに初めて声をかけてもらった頃はそのお店を常宿にしていました。いつからか 集まりを「天国の会」と呼ぶようになりました。

2011年3月 5日 (土)

讃歌 弥陀の誓願

朋よ
 
私は あなたを傷つけただろうか
 
誰もが“平等”にすくわれる
 
奥底の気持ちが伝わると思いました
 
すくわれる内容も同じだと思われましたか
 
罪を為(な)さなかった者は
  
罪を為さなかったままにすくわれる
   
罪を為した者も 
 
罪を背負ったままにすくわれる
 
それが平等 阿弥陀如来の眼 阿弥陀如来のものさし
 
阿弥陀の眼は 生きとし生ける者 みないのちあるものとして映る
 
衆生の眼は 他人どころか 私にすらいのちを見出せない
 
阿弥陀のものさしは 生きとし生ける者 みなにピッタリ合わさる
 
衆生のものさしは 他者の 合わないところを浮き彫りにする
 
同じ恩恵を受けてこその平等
  
阿弥陀の平等は 平同(誰も選ぶことなく 誰も嫌うことなく 誰も見捨てることのない はたらき)を内包する
   
衆生の平等は 差別を明らかにする
 
罪を為した者に対する批判で留まらず
 
罪を為していない者に対してまで批判してしまう 私のものさし
   
   
朋よ
 
私はあなたを傷つけただろうか

私も あのような事件を起こしたかもしれない
 
私も 気持ちは分かる やったことはいけないけれど
 
そのようなことばが出る背景に 阿弥陀の平等を見ていました
 
恨み 捨てられない
     
羨み 持っていていい
   
妬み 恥ずかしいことではない
   
憎しみ 一生抱えて生けばいい
      
それらすべてひっくるめて 今の私
 
今の私にならしめる 数え切れないほどの縁
 
どれひとつ欠けても 今の私ではない
 
違う私がよかったという想いが 私を苦しめる 
 
でも 他の私など あるのだろうか
 
他の人生を想像し 私を苦しめる
 
私が経験してきたことは 私にしか経験できなかったこと 
 
経験してきたことのつらさが 私を苦しめる
 
私を苦しめる思い出の数々  
 
誰も分かってくれる人はいないと 私を苦しめ
 
分かってたまるかと また私を苦しめる
 
私に憎しみの気持ちを持たせたヒトを 憎めばいい
 
でも 人生という道を歩む責任は 私にしかない
 
憎しみと優しさは あざなえる 縄のごとし
 
大きな憎しみをもつ者は 
 
大きな愛情(あなたを想う気持ち)ももらっているはず
  
太い(大きな)憎しみと 細い(小さい)愛情では 縄(人生)はあざなわれない
 
憎しみと同じ大きさの愛情に包まれているからこそ
 
憎しみと その愛情を感知して生まれた優しさが 人生をあざなう
 
憎しみのないところに 優しさは生まれず
 
優しさあるゆえに 憎しみも生ずる
  
一見矛盾したような気持ちを抱えて生きて行けるのは
 
その人生を経験した私のみ
    
私が積み重ねた経験を 誰かにさせたいか
 
私が歩んだ道程を 誰かに歩ませたいか 
      
いいえ 誰にも譲りたくはない
   
同じ苦しみを味あわせたくないからなんて理由ではない
 
私の歩んできた道は 私が刻み込んできた人生なのだから
     
   
朋よ
     
私はあなたを傷つけただろうか
   
他人(ひと)が 私を見る目を気にするというけれど
 
一流 二流 三流 四流 人物や物事にランクをつけるけれど
    
気にしているのは 誰でもない私自身 
 
自分で思っているほど 他人は私を見ていない
 
自分の価値観を 世間の評価に合わせる必要はない
   
世間の評価は無責任 つまりなんにも見てはいない
  
なんにも見てはいない目を気にして生きるよりも
      
私を見ている まっすぐな眼に生きたい
       
それが阿弥陀如来の眼
 
自分では こんな恥ずかしい人生でしたというけれど
   
阿弥陀の眼から見れば 尊い人生 
   
あなたの頑張りを見

あなたの一生懸命さを知り
  
あなたの哀しみによりそう
   
阿弥陀の眼

その眼が あなたを称(たた)えています   (了)
   
   
  
      
  
今日の文章は特定の誰かを指して書いたわけではありません。
あるいは、お詫びの文章なんかでもありません。
「朋よ」…阿弥陀の眼からすれば 生きとし生けるもの すべてです。
朋よ

2011年3月 3日 (木)

手が合わさる

33回忌をお迎えされるご門徒からお尋ねがありました。 
    
「今度33回忌をお勤めするんです」って近所の方に言ったら、「33回忌は最後の年忌だから、親族をちゃんと集めてお勤めしなきゃダメよ」って言われました。都合で息子が来られないので、日を改めて、もう少し親戚にも声をかけた方がいいでしょうか。 
    
    
お尋ねに関しては、「その必要はありません。どうぞご都合つく方だけで、お参りなさってください」とお答えいたしました。
近所の方は親切でおっしゃったのでしょうが、仏事に関して不安にさせるような親切・迷信って多いですね。仏事を、祟りと結びつけて考えておられるからでしょうか。
   
お亡くなりになってから、何年にもわたって、その方を偲び手を合わせる。私にとって、それだけ大切な人なのです。相手にとっても同じでしょう。祟るとか祟られるとか、そういう関係ではありません。
 
お亡くなりになって、そこで関係も想いも途切れるのであれば、ご法要をお勤めすることはありません。
でも、ご葬儀をはじめ、ご法要をお勤めしてきた歴史というのは、寺がそうさせてきたからではなくて、そういう営みをさせる想いが、人間にあったからではないでしょうか。
 
生きている私が 亡き人に対してお参りしているつもりが、
亡き人から、なにか大切な呼びかけをいただいていた。
限りあるいのち、どのように生きていますか?と。
そのことに気付かせていただくのが、日々のお内仏(お仏壇)でのお参りであり、ご法要なのだと思います。

ご法事は、しなければいけないことだからするのではなく、せずにおれないことなのです。
形式的なことをいえば、33回忌で終わりではなく、37回忌・50回忌と続きます。
しかし、手を合わせるのは、お参りするのは、常のことです。
一周忌からだんだんと年回が重たくなっていくというものでもありません。だから、33回忌だから、親族そろって最後のお送りをして、という考え方もしなくていいのです。
私といういのちが続く限り、亡き人のいのちも続いています。
私の姿を見て、手を合わせる人が相続されていく。そこに、いのちの連続性があります。始めも終わりもないいのちが。
  
その、いのちが受け継がれてきた表われのひとつが、「宗祖親鸞聖人750回忌御遠忌」です。一個人・歴史的偉人のご法要ではないのです。
御遠忌を迎える縁の中に、「南無阿弥陀仏を、教えを、人を、場を」大切にしてきた人々のいのちがあります。「今、いのちがあなたを生きている」のです。そのことを教えていただくのが、御遠忌であり、私たちの日々のお勤めでもあります。
    
年回をお勤めするということは、人との出会いがあったということ。
私が、なにを感じるかという宿題をいただくということ。一生かけて問いをもち続ける宿題を(答を出す宿題を、ではなくて)。

2011年3月 2日 (水)

御遠忌の月を迎えました

2011年も3月に入りました。いよいよ宗祖親鸞聖人の750回御遠忌法要をお勤めさせていただくときが参りました。
昨日、たまたま手にした東本願寺の出版物に「親鸞聖人の御遠忌を8年後に控え、云々」と書いてありました。
この出版物が出てから、もう8年経つのか…。この出版物を読んだときは、御遠忌はまだまだ先のことだなぁと思ったものです。
  
御遠忌に向け、西蓮寺が所属します東京五組では、「東京五組同朋大会」「東京五組団体参拝」の準備を進めて参りました。その準備も佳境です。
流されて御遠忌をお迎えするのではなく、この8年の歩みを思い起こしながら、意思を持って御遠忌にお参りしたいと思います。そして、楽しみながら。
   
ご本山では、ご法要・様々な催しがあります。御遠忌を機会に、ぜひ京都 東本願寺へお参りください。
御遠忌第一期法要は、3月19日から28日までお勤めされます。

御遠忌カレンダー

2011年3月 1日 (火)

2011年3月のことば

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誰もが
温もりという願いの中を
生かされています

     
親が子供の名前を考えるとき、そこには願いが込められています。その願いには、温もりがあります。「願い」を「温もり」と言い替えられるのではないだろうか。そのように感じています。
 
「願い」というと、私利私欲に満ちたものが思い浮かびます。「あれが欲しい」「これはいらない」「あのようになりますように」「このようになりませんように」…誰もが「願い」を持っています。誰もが「願い」が叶うように努めます。願うことそのものは止められません。しかし、たとえ「願い」は止められなくても、私利私欲に満ちた「願い」は、その「願い」が叶うとき、悲しみに沈む人がいることを忘れてはいけません。
   
受験・就活・恋愛。行きたい学校・入りたい企業・付き合いたい人。それらが手に入るとき、そこから漏れ溢れ、悲しむ人がいます。「そんなことを言っていたら、何もできない」と思われるでしょうか。
受験で、私が受かるということは、他の誰かが落ちるということです。だからといって、受験をやめるとか、わざと落ちるように解答するなどということはできません。私利私欲に満ちた「願い」は、誰もが捨てられません。生きるエネルギーにもなります。捨てられはしないし、捨てるものでもありません。でも、「願い」が叶うそのとき、悲しみの涙が流れている事実を、感じられる私でいたい。
 
自分の「願い」が叶わないときもあります。そのとき、誰かが「願い」を叶えているのかもしれません。恨み・羨み(うらやみ)のこころが芽生えることでしょう。そのこころも忘れてはいけないと思います。恨み・羨みのこころを、「願い」が叶った誰かに向けていいと言っているのではありません。恨み・羨みのこころが芽生える私であったということを、忘れずに生きていきたい。ずっと人を恨み・羨みながら生きていく人もいるかもしれません。しかし、恨み・羨みのこころが、優しさに変わることもあります。
やましいと言われるこころを持ち合わせている私であった。そのことを知ることは、痛みを知ることであり、優しさの種を持つことでもあります。
   
「名前だって、親の欲が込められているじゃないか」と言われれば、そうですね。でも、そこ(名前)には確かに「願い」が込められている。血のかよった、温もりのある「願い」が。
「こんな子に育てた覚えはない」「こんな親の元に生まれたくはなかった」…子の成長とともに、親と子の間に確執が芽生えることもあります。縁をいただく、関係を持つということは、良い事ばかりではありません。関係を持ってしまったばかりに、つらい出来事も起こります。でも、つらい出来事は、関係を持った人との間だからこそ生じるのです。子の成長と共に、たとえ何が生じても、そこには名前で表わされた温もり(願い)が、確かにあります。生きていていいんだという証が、名前にはあります。
 
私は、私利私欲に満ちた「願い」を超えた、温もりある「願い」と共に生きています。
だからこそ、亡き人を想い、何年経っても、どんなに忙しくても時間を作って、お参りをするのではないですか。名付け親・名付けられた子の関係で語ってきましたが、その関係に限りません。名前を呼び合う仲に、温もりがあったのです。そう考えると、私がお参りしているつもりだったけれど、私がお参りさせていただいていたんだなぁということに気付かされます。いつまでも恩をいただいているのです。
   
「南無阿弥陀仏」を名号(みょうごう)と言います。「名前」です。
阿弥陀如来は、「我が名を称えよ。称えたものは救われる(あなたの救いもなしに、私の救いはありえない)」と 「願い」を建てられました。「私の名を呼んでほしい(念仏を称えてほしい)」…生きとし生けるものすべてに向けられた「願い(温もり)」を。
私は、「願い」の中に生きています。「南無阿弥陀仏」と称えるたび、阿弥陀如来の温もりに包まれて生かされていることを感じます。合わせた手を通して。
   
   
 
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