忙しい 忙しい けれど、なにもしていない私
○○のせいで やりたいことができない
という生き方を変えて、
やりたいことはできなくなっても ○○のために生きたい
と思うようになりました。
数日前、TBS「はなまるマーケット」を ながらで見て(聞いて)ました。
はなまるカフェのゲストは槇原敬之さん。
槇原さんは、今、犬を8匹飼われているそうです。
ホストの薬丸さんが「これだけ飼っていると、世話が大変じゃないですか? ツアーで留守にすることもあるでしょ」と尋ねると、
「大変です」と槇原さん。
でも、どうして8匹も犬を飼っているのか。
以前、犬を1匹飼っていたのですが、やはり面倒を見るのが大変で、実家のご両親にその犬を託したそうです。
犬のいない生活は、自分の仕事に専念できたそうですが、なにか物足りない。
そんなある日、友人が留守中、犬を槇原さんに預けたそうです。
犬を預かった槇原さん、かわいくてかわいくて仕方なかったそうです。
そのとき、先に書いたように想いが変わったそうです(ながらで聞いていたので、正確ではありません)。
この忙しいのに…
こんなに大変なら…
ペットを飼うこととか、子供を育てることとか、結婚生活を送るとか、
今までの生活が一変し、今まで出来ていたことが出来なくなる。
つい 元の 一人身勝手な生活がいいなと思い返してしまうけど、大変なら大変な 不自由なら不自由な生活の中で、私を私ならしめている大切なことがある。
それに、元の一人身勝手な頃に、自分のやりたいことが本当にできていたかというと、そんなことはない。
本当にやりたいことなら、どんなに忙しくたってできる。
本当にやらなければならないことなら、どんなに時間がなくても、なんとか手をつけられるもの。
不思議と、そんなものですよね。
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仰るとおり人間というのは不思議なもので…
逆に…
必要以上に、どうしてもやらなければいけないことというのを、おおごと、大変なこと、とてもじゃないがやりきれないこと…と思ってしまうと、手をつけることもできなくなりますね…。
あまりにも自分の想いで、勝手にというか、主観的にバーを上げすぎてしまう…という不思議な現象もおこりえます。
いま、出来る範囲で、別に深く考えず、悩まず、頭を空っぽにして、普通にこつこつ、少しずつ、手をつけておけば、3ヶ月後には80点取れることであっても、妙に、大袈裟に考えてしまい、昨日も手がつかなかった、今日も手がつかなかった……で、段々憂鬱になっていく、ますます、手がつけられなくなる…ということもありますね。
うちの会社では、お休みを取っている人の、統計上、最大の理由、ダントツの理由はメンタルヘルスなんです。
本人も分かっているけれど、どうしようもなくなってしまう。
仕事なんて、いのちにかかわりません。人生の一大事ではないです。
が、仕事をあたかも人生の一大事であるように、勘違いしてしまうのですね。
真面目な人しかなりません。
言ってみたら、真面目すぎというのか。ただし、病気ですから言えないですね。非難に聞こえてしまいます。
明日、あれしなきゃ、とか、100年後には死ぬ、どうしようとか、考えても仕方なくって、いまここで、できることをできるだけ(無理のない範囲で、という意味は、毎日、大残業とかではなくて、9時から5時の間に、1時間/労働日ずつ、すこしずつやっておく)やる…ということしかできないのですが、人間というのは、未来志向なのですね…。
100年後に死ぬときどうしよう……というような発想で、いま・ここを普通に地道にこつこつ生きられないという、不思議な不自由さがあります。
仏さまからご覧になられたら、実に、不自由。
自分で自分を縛っています。
不思議なことです。
けれども、ある意味、いとおしい存在でもありますね。
投稿: theotherwind | 2011年2月 6日 (日) 10:32
☆theotherwindさんへ
「いま、出来る範囲で、別に深く考えず、悩まず、頭を空っぽにして、普通にこつこつ、少しずつ、手をつけておけば、3ヶ月後には80点取れることであっても、妙に、大袈裟に考えてしまい、昨日も手がつかなかった、今日も手がつかなかった……で、段々憂鬱になっていく、ますます、手がつけられなくなる…ということもありますね」
ホント、そうですね。
ずっと手が付かなかったものでも、やってみたらあっという間に片付いたり。
手紙なんかは、時間が経てば経つほど、書けなくなってしまうものです。
でも、まさに「あぁ、いとおしい」存在です。
投稿: かつ | 2011年2月 8日 (火) 13:09