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2011年2月13日 (日)

迷惑を、かけて かけられて生きています

はたらく場を追われ、帰る家も、頼る身内も、語り合う仲間をも失った人が、この日本に溢れているといいます。このような社会状況を「無縁社会」と表現されています。
   
「無縁」という言葉を聞いて、「縁が無い」…「天涯孤独(あるいはそれに近い状況)」の人が増えているのかと思いましたが、そうではないようです。「縁」「つながり」は持っているのです。しかし、自分が苦境に立ったときに、頼れる人・弱音を吐ける人・助けを求められる人・迷惑をかけられる人がいないのだそうです。
「人に迷惑をかけられない」「弱いところは見せられない」 いざというとき、自分をさらけ出せる人がいないのですね。そういわれると、私も不安です。
そのように、いざというときに頼れるつながりがない人々が溢れている状況を「無縁社会」と表現されています。
  
「無縁」…確かに、「縁」や「つながり」がないことを「無縁」と言うのですが、仏教に立ち返ると、他の意味が見えてきます。
「無縁」の「縁」とは、「しがらみ」の意味もあります。人と人とのつながりに、本来「しがらみ」などないはずです。しかし、他者を見るときに、地位や学歴・収入・容姿など、いろいろなもので見ます。自分を表現するときも、地位や学歴・収入・容姿などで取り繕います。結果、相手を見下したり高望みをしたり、自分を偽ったり卑下したりすることになってしまいます。そして、他者との関係を築けなくなってしまいます。
そのような「しがらみ」が無くなる社会も、「無縁社会」と言えます(つまり、現代日本を表現されている「無縁社会」とは全く違う意味になります)。
 
いろいろな要素があった結果、(現代社会を表現されている)「無縁社会」が形成されているわけですが、私自身のものの見方・考え方が、自らを「無縁」化させている側面もあります。
 
周りの人を、人と思わない傍若無人な振る舞いが問題となっている現代日本ですが、
「他者に迷惑をかけたくない、かけてはいけない」という、対人関係に真面目すぎる方が多いのも現実です。
 
既に互いに迷惑をかけ、かけられながら生きています。「迷惑をかけたくない」「迷惑をかけてはいない」という思い上がりを捨てて、人に向かい合いたいものです。

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