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2011年2月15日 (火)

涅槃

2月15日は涅槃会。
お釈迦さまがお亡くなりになられた日です。
実際にお釈迦さまが亡くなられた日は分かっていないのですが、いつの頃からか、2月15日をご入滅の日とするようになりました。
 
お釈迦さまのご入滅を涅槃(ねはん)といいます。
「涅槃」とは、焚き火の火・ロウソクの火が消えるように、煩悩が消えること…つまり悟りが開かれた状態を意味します。
もちろん、お釈迦さまは いのちあるときに悟りを開かれたのですが、いのちあるということは、食事もするし、眠りもします。お釈迦さまといえど、いのちある間は、完全には悟りの境地に達していなかったという考え方もあります。だから、お釈迦さまも、お亡くなりになって(煩悩がなくなって)初めて完全に悟りをえたと捉える考え方もあります。
そのような考え方から、「涅槃」とは、「さとり」を意味するとともに、「入滅(お亡くなりになる)」の意味もあります。
現代では、「涅槃」というと、「死」をイメージするでしょうか。でも、決して「死」のみを意味することばではないのです。「さとり」の状態なのです。 
煩悩・執着心・しがらみ…私のこころから、無くなりそうもないですね。
 
筋書き通りのおしえなら、「煩悩・執着心・しがらみのこころを無くしましょう」なんて言い出しそうですが、親鸞聖人は、そんなこと おっしゃいません(と、私が言っていいのだろうか)。
 
文章を書いてから、想像してみました。
美味しそうなご馳走がならんだテーブル。一緒に燭台もあり、ロウソクが煌煌と灯っています。テーブルの周りには、仲間がいて、楽しそうにしています。
「美味しそうだな」「早く食べたいな」「お酒呑みたいな」「話したい話題があるんだけどな」…煩悩だらけです。
でも、そんな状態が嫌ですか。何も感じずにいたいですか。
ロウソクが消えても食事はできるけど、たとえ煩悩だらけでも、ロウソクが煌煌と灯っている中で、いろんなこと考えながら、仲間とペチャクチャしゃべりながら、食事をする。それが、生きているということなんじゃないかなぁ。
涅槃とは、明かりが消えた状態ですが、そのことによって、明るさの有り難さを感じる。はじめから明かりがなかったら、明るかったとも、暗くなったとも感じないのだから。

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