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2011年2月20日 (日)

それぞれの大地を、誰もが同じいのちをいきている② なにを学ぶか

昨日の文章を書いてから、昔書いた文章を思い出していました。加筆訂正して、あらためてアップさせていただきます。
 
   
   
境内の掃除をしていたら、3匹のアリが、自分たちの何倍も多きなイモ虫を運んでいました。
巣が近づくにつれて仲間のアリたちが寄ってきて、イモ虫の周りが真っ黒になるくらい大勢のアリが、巣まで運んでいきました。
それぞれのアリを観察していると、一生懸命運ぶアリ。手伝っているんだけど、みんなと違う方向に引っ張るアリ。近くまで来るものの加勢しないアリ。まったく我関せずといったアリ。いろいろな個性があります。
    
聞いた話では、アリは「8:2」の比率で、「はたらくアリ:はたらかないアリ」がいるそうです。
(読む資料によって比率はいろいろです。「7:3」と書いたものや、「7:2:1」で、「よくはたらくアリ:まぁまぁはたらくアリ:はたらかないアリ」なんて細かく書いてあるものもありました)
     
これからが面白い話なのですが、「8:2」のアリの中から、「はたらかないアリ」を取り除く実験をしたそうなのです。どのような結果が出たと思いますか?
   
はたらかないアリを取り除いたのだから、みんなはたらくアリばかりになるだろうと思ったら、ちゃんと2割の比で、はたらかないアリになったそうです。
生き物にはちゃんと役割があるんだなぁと思いました。人間の世界では、はたらけることがいいことで、はたらけないことはいけないことと思われています。
だから、「あいつらは役にたたない」なんて理由にもならない理由でホームレスと呼ばれる方々が襲撃を受け、時には殺されてしまったりします。
病気や老齢で、はたらけなくなったり寝たきりになったときに、周りの人間はその人のことを迷惑だと思ったり、本人は自分の存在を否定してしまいます。
 
「8:2」の、「8」でなければいけないという思いが、いつの間にか誰にも植えつけられているのではないでしょうか。「8」には「8」の、「2」には「2」の役目があるのに。
 
ある学校の先生が、ご自身のコラムに、このアリの例えを書いていました。
「人間はアリとは違うのだから、キチンと目標を持って、努力することが大事です」と書いてありました。
たしかに、学校の先生はそのように言わなければいけないでしょうね。「“2”でいいんだよ」なんて、言えないのでしょう。(すいません、コラムの否定しているわけではないんです。ただ、「そうなのかなぁ?」って思ったのです)
「2」も大事な役目があるのではないでしょうか。その「2」を取り除く教育を、学校でも職場でも、もしかしたら家庭でもしているのではないでしょうか。
      
私は、アリの話を初めて聞いたとき、アリも人間も同じだなぁって思いました。
「8:2」がなんの比率であっても、「はたらき者:はたらかない者」、「善:悪」、「社会の規律を守る者:守らない者」・・・「2」を取り除けば人間世界ははたらき者ばかりで、善人ばかりで、規律を守る者ばかりになるかといったら、やっぱり「8:2」の比率に戻ってしまう。それは、「2」にも役割があり、必要だからなのだと思うのです。
はたらき者ばかりで、善人ばかりで、規律を守る者ばかりの世の中は暮らしやすいだろうなと思っていたら、きっと人間社会が動いていかなくなると思います。きっと、窮屈なことでしょう。きっと、今よりも争いが増えることでしょう。
 
人には、その場、その環境において、今のわたしという役割がある。
いのちの意味・輝きがあることを、アリから教えていだきました。

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コメント

昨日の続きになりますが。
私も以前に「8:2」の話を聴いたことがございます。
今回の記事において、私は「8:2」について、病気や老齢で働けなくなったり寝たきりになった方々を8:2の「2」とは思いません。
私が言いたいのは、健康で、年齢的にも体力的にも十分働くことができるのに働こうとしないでブラブラしている方々について、おかしいではないかということなのです。

 凡聖逆謗斉回入 如衆水入海一味

 凡夫も聖人も五逆も謗法も、ひとしく大海に回入すれば、もろもろのみずの、うみにいりて一味なるがごとし

 諸仏世尊、もろもろの衆生において、種姓・老少・中年・貧富・時節・日月・星宿・工巧・下賎・僮僕・婢使を観そなわさず。

 ですね…

ポール ラファルグ (著)
怠ける権利 (平凡社ライブラリー)
文庫: 234ページ
出版社: 平凡社 (2008/08)
ISBN-10: 4582766471
ISBN-13: 978-4582766479
発売日: 2008/08
内容(「BOOK」データベースより)
ブルジョワ革命の屁理屈屋が捏ねあげた人間の権利などより何千倍も高貴で神聖な怠ける権利を宣言しなければならぬ―フランスの社会主義者にしてマルクスの娘婿が発した「労働=神聖」思想に対する徹底的な批判の矢が、一二〇年以上の時を超え“今”を深々と突き刺す。「売られた貪欲」「資本教」も収録。

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 学校の先生が、封建時代に農奴は、クビになることはなく、世襲で、農奴に生まれたら、一生、職業安泰で、喰って行けた、もちろん、一日に6食、ご飯を食べて(何かお猿さんみたいですね…。現代から思うと。体にはもちろん良いのでしょう。自然ですから。)、利益を最大化しなかった…、封建時代は良い時代だった…と言ってました。

 正しいんですが、じゃあ、現代、そういう、本当に正しく生きられるかというと、そうはいかないよなぁ~と思いました。

 産業革命が起きて、工場が出来た頃の、記録を読むと、とにかく工場主、資本家が嘆いていますね、泣きが入っています。儲けられない、国家経済が破綻する、破滅、亡国。なぜなら労働者が怠け者だから。で、それまで、自然に一日6食だったのを、工場での労働開始前、昼休み、労働終了後の一日3食に半減させたりするわけです。

 法律をばんばん作ってますね。

 最低労働時間を設定して、一日12時間未満しか働かない怠け者は、法律違反の犯罪者ですから、厳罰です。(最高労働時間じゃないです。最低労働時間です。)

 そういう、労働者の血と汗と涙で、今の世の中、つまり、一日6時間労働にみんなで減らせば良いものを、自分だけ儲けたい、人を負かしたいから、物を作りすぎて、過剰生産で、価格が下がってしまい、結局、失業するという世の中を作ったわけなんですが、確かに、火星から見たら、アホとは言えます。

 アフリカなんて、何万年単位で見て、生活水準が下がってます。人類の歴史上過去に類例を見ない貧困。というか人類の平均値で生活水準は低下。アフリカだけの食料生産を見たら、食料需要より圧倒的に大きく生産してますが、先進国に輸出して、捨ててますからね。金儲けが目的ですから。もちろん地球全体の食料生産は需要より遙かに大きいです。

 勤勉=競争=金儲けをやめたら良いというのは正論ですが、個人では止められないです。

 止めたら失業してしまいます。

 だから、他人を犠牲にするしかないです。

 アメリカ合衆国なんて、一国見ても、国内で毎年大量に餓死者を出してますからね…。

 確かに、産業革命前、全人類史を見ても、人口が一定。増えもしないが減りもしない。エコだったのに、産業革命後、人口のグラフが垂直に急増し、公害は起こすはで、良いこと何もない、というのは、誰の目にも明らかな事実ではありますが、だったら、全員で怠けようというのは、完全に正しいですが、実行は、極めて困難ですね。

 人類というもの、どうしても、勤勉というか、生産力は向上してしまいます。

 昔だと、もちろん、ウサギならウサギは、一年に一回しか獲っちゃダメということで資源を保存しているという知恵はありますね。必要以上にいっぱい獲って、市場で売ったら、一瞬は自分だけ儲かる気はしますが、タブー。

 だけど、もっと大事なメカニズムとして、人間はどうしても進歩発展してしまうので、定期的に蓄積された財産を捨てるというお祭りをしていたわけです。これが安全弁になっていたわけですね。

 自分の財産である羊なら羊をわーっと殺して、みんなに只でふるまう。余るので捨てる。金とかなら、海に捨てる。

 これをやることで、持続可能な経済を維持していたわけです。

 こういうことをしないとすると、どうしても、勝ち組、負け組ができてしまいます。たとえば、勝ち組の自分が商品を売りたいと思っても、自分が一人勝ちしていたら、他人はお金を持っていませんから、もう売れません。自分も破滅です。ポーカーで自分だけにチップが集まっちゃったら、もうゲームそのものができなくなるという喩えがよく使われます。

 もちろん、貧富の格差が拡がれば、結果として犯罪が必然的に増えますから、警察官を今の何倍も雇わないといけなくなるし、刑務所も今の何倍も建てないといけません。あるいは自分が金持ちならホームセキュリティにお金をかける。学校が荒れれば、自分の子どもだけを学費の高い私立にやる。OECDが、GDPから、そういう費用を引いて、本当の国民所得を計算して出していますが、これをやると、本当の国民の豊かさという数値では、アメリカ合衆国は低くなってしまうだけでなく、年々、下がって行ってますね。競争社会は、結局、全員、貧困化していくわけです。

 現代社会は、今日、何故、朝ご飯を食べるのか→今から働かないといけないから、何故、今晩寝るのか→明日働かないといけないから……となり、人生が、金儲けという、人生の外部にある目的のための手段に墜ちてしまっています。

 人生は本来は外部に別の目的を持たない自己目的的活動です。生きるのに理由はありません。

 売ってお金を儲けるために魚を捕るなら、魚釣りは手段に過ぎません。魚釣りを楽しむために魚釣りをするなら、魚釣りはレジャーであり趣味です。

 人生は、本来は、レジャーであり趣味でなければいけません。

 等々、正論も正論。反論の余地は何もないです。

 ですが、実行は極めて困難ですね。

 実際、毎月150時間以上、サービス残業を数年、私はやってます。ま、労働基準法違反ですが。ストレス性胃潰瘍も持ってますし。ほおっておくとガンになるそうです。

 で、そうやって働くことは、世界的に見ると、他人の幸福を奪っている以外のなにものでもないです。他の要素はゼロで、他人を収奪、簒奪、搾取している以外の要素は一切ないわけで、何一つ誇れることではないです。ゼロです。というかマイナス。悪です。

 ですが、やめられないですね。一個人では。

 世界のみんながいっぺんに止めるしかないです。

 一人4時間も働けば、必要なものは全て生産はできるでしょうが…

 

人間の場合は、アリよりもっと複雑ですね。

人間の場合、私に仕事があるのは、他の方から頂いていることが、アリの場合より、もっと明らかです。

他の方がいなければ、私の仕事はありません。

ですから正論から言えば、私は忙しいのにさぼっている人がいる…と私が愚痴を言うのはおかしいことになります。

別に私が仕事を頂ける理由は何もないのに、他の方から仕事を頂いているわけです。

今年、私は48歳になりますが、どう考えても、私より若い人の方が優秀に決まっています。時代は進歩していますから。もちろん、私より若い人の方が給料は安いですから尚更効率が良いので、私が仕事を辞めてホームレスとなるのが、世のため、人のためとなりますが、私は自己中心的ですから辞めたくないですね。われわれ大人が世の中を不況にしてしまい、しかも、会社に居座っているので、私が辞めれば、若い人が数人雇えるのに、若い人が雇えません。

若い人はこれから経験を積めば、学習すればますますのびるわけですが、私は、死んでいくだけなのですから、ますます、罪は重いです。

けれども、一人一人の人間は、みな、自己中心的ですから、仕事がなくて、餓死する人は、本人が怠け者だからだ…と、いう、真っ赤な嘘に、嘘と知りつつ、自己正当化のために、しがみついてしまうわけです。

人間とは罪深いものです。

> 私が言いたいのは、健康で、年齢的にも体力的にも十分働くことができるのに働こうとしないでブラブラしている方々について、おかしいではないかということなのです。


私見ですが、福祉で助けれもらおうとお役所に行ったが、もう手一杯で、あなたは若いし健康だから、と断られ、餓死する人がいる現代の日本の現実において、どうでしょうか…。

あるいは、別の観点で、実は服の中に札束を縫い込んでいるが福祉のお金を受け取っている人がいたとします。

そういう人と、そうでない人を仕分けするには、今の、何十倍も税金を使って、特高警察を作り、密告を奨励し……と、社会的なコストがかかりすぎます。

税金が無駄です。

そうではなくて、単純に、福祉の予算を数倍にして、税金をばらまいた方が安上がりです。

要するに、こいつは駄目な奴だという判断、審判、死の宣告、ガス室送り、餓死しろという宣告を誰が公平にできるのかという問題ですね。

それを実行に移すには、あまりにコストがかかりすぎと思います。

単純に、食べ物やシェルター、職業教育、医療を与えて、人々の生きる力、命の輝きに期待した方が、効率が良いように思います。

> 健康で、年齢的にも体力的にも十分働くことができるのに働こうとしないでブラブラしている方々について、おかしいではないか

 今、偶々読んでいる本、もっとも今日会社の帰りにこの部分とあとちょっとだけ読んで、その後、電車の中で寝てしまったのですが、そこに、こうありました。

われわれが心を悩ますのはわれわれにやさしい良心が人間なみの程度においてあるため[...]に生じるのである。[...]しかしわれわれの現実の生活においては、この良心を苦しめるような事ばかりが起る。良心があれば、他人の無理な行為に対しては怒りが起る。怨みが結ばれる。その怒りや、怨みが容易に晴らされれば、少しは簡単なのだが、種々の事情でそれが出来ずに、凝ッと忍耐しなくてはならぬ。そこでそれが内攻する。あたかも飲んだ酒が発しないような苦しみである。しかもその怒りと怨みとの対手がかえって、自分よりも繁栄し、世の喝采を博するような例は少なくない。[...]

厭離穢土、欣求浄土というが、この世界が穢土であることを一度つくづくと痛感しなくては浄土を欣求する気は起らない。そしてこの世界を穢土と感ずるのは自分が浄い願い、美しい情操を持っているからである。ここが浄土門の微妙なところで、結局は自分で正義を求め、善を追い、理想に憧れる心の強いものでなくては浄土門の信仰は起らない事になる。

倉田百三『法然と親鸞の信仰(上)』講談社学術文庫

 「おかしい」ではないかと憤ることは、そう憤る本人にとって苦しいことではありますが、無駄なことではない、と取りました。

 良心や正義感あってのことですから。世の中をよくしたい、公平な世の中にしたいという気持ちですから。

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