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2011年2月19日 (土)

それぞれの大地を、誰もが同じいのちをいきている① 平等感

「頑張ったものが恩恵を受け、頑張らないものは何も恩恵を受けない。それが平等でしょ」
と言われたことがある。
  
確かに、それが普通の感覚なのだと思う。
「こんなに頑張ってるんだから、報われて当然」
「どうして何もしていない人が良い思いをするの?」
そういうふうに思ったことは、多々ある。
    
働きもののアリは、寒い冬を乗り越え、
遊び続けていたキリギリスは、寒い冬に、飢え 凍え死んでしまう。
頑張った者が報われ、なにもしない者は報われない。それでこそ平等。
   
でも、そういうことを果たして “平等”っていうのかな。
頑張っている人も、頑張っていない人も、同じ恩恵を受けてこそ、“平等”というのではないだろうか。
   
アリがキリギリスを恨むことも、羨ましいと思うこともなく、
キリギリスが「遊んでいたのに、申し訳ないなぁ」と萎縮することもなく、
寒い冬を乗り越えることができました。
めでたし めでたし  

そういうことが “平等” なのではないだろうか。 
そんなことを、ふと想いました。

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コメント

今回の記事にはどうしても納得がいきません。
かつてのソビエト連邦のような共産主義の国家においては、1時間に100個製品を作った人も1個しか作らなかった人も給与が同じということで、労働意欲も上がらず、やがてソビエト連邦は崩壊しました。
私としては、アリがきちんと報われるような世の中こそが真っ当な世の中と思います。キリギリスのように過ごしていても食うに困らないというのであれば、誰も働こうとはしないでしょう。

追記です。
私は、怪我をなさった方の手当てをするという職務に就くために、毎日勉強を続けております。
患者さんにとって最良な治療法は何か、いかにして痛みを少しでも減らせるかということを考えておりますし、そのためにも、これからも精進練磨に努めてまいります。
今回の記事のように、努力する者もそうでない者も同じだということになれば、良心を持って適切な治療をする医師と、手抜きをして出鱈目な治療をする医師は同じだということになります。
医師を例に取りましたが、アリもキリギリスも同じに扱うというのであれば、医師だけではなく、少しでも住み良く暮らしやすい世の中を創ろうと日夜努力している、いろいろな職業に就いている方々が報われないではないですか。
税金もそうです。
まじめに働いて税をきちんと納めている方と、納税せず脱税している方が平等に扱われるというのであれば、馬鹿馬鹿しくなって、誰も税など納めなくなるでしょう。

今日の毎日新聞の記事です。
http://mainichi.jp/life/today/news/20110219k0000e040049000c.html
働かない方が後で生活保護に泣きつき、真面目に働いていた方が泣きをみる。この制度の本来の在り方ではないでしょう。「平等、公平」とおっしゃる方は、大概がこれまで努力してこなかった方と思います。こういう方々の為に税を納めると思うと納得いきません。

 キリスト教では、人間からみて、どんな人間からみても文句なしに、人間的な尺度ではどう考えても天国に行く資格があるとしか思えない、善人、正直者、誠実な人でも、誰でもすべて平等に罪人、いわば、地獄行き決定が基本なのではないかと思います。神様が宇宙を創造する前から一部の人間は天国往きが決定しているかもしれませんが、それは決定済みなのであって、人間が、人間的な尺度で、どんなに善行を積もうがなんだろうが、神様が恩寵で天国に往く人に誰を選択されたのかとは無関係なのだと思います。

 それが、長年、大変な数の人間にとって救いと受け取られてきたわけですね。

 話を遡ると、ユダヤ教というものがありますね。
 
 キルケゴールが書いているので引用しようかと思いましたが、キルケゴールという人、あまりに文章が長い人なので、挫折

 簡単に言ったら、アブラハムという人がユダヤ人の元祖のような人なんですが、「神様は一体全体、私に何をお望みなのでしょうかぁ~」→「全く、完全に、じぇんじぇん分からないが、受け入れる」ということで、ユダヤ人というものが形成されたというお話。

 キルケゴールの文章はもんのすんごく長いですが。

 予めユダヤ人というものがいて、神様がわれわれに何を望むのかは分からないと諦めたということではないです。

 言い換えると、ユダヤ人というのは、特に信仰心が深かったとか、善人だったとか、逆に、呪われた民族だったとか、一闡提だったとか、極重悪人だったとか、そういうことは特になんもなくて、単に普通のひとびとだったのですが、人間側から考えると何の理由もなく、神様に選ばれて、ひでえ目に遭わされてしまう。しっちゃかめっちゃかです。(アブラハムのお話は聖書とかキルケゴールとかをご参照下さい。)出遭ってしまうわけです。向こうから来ちゃうわけですね。

 で、神様がわれわれに何を望むのかは分からないと諦めたことによって、ユダヤ人というものが成立しました。

 キリスト教の、人間には正義はかけらもなくて、正義ゼロ、人間は全員100%罪にまみれた罪人であるという根本的な考え方は、上述のユダヤ教の、一種、ある意味、変奏曲であると考えることができます。

 人間には正義のかけらもないという考え方は、宗教の根本なので、そういう意味では、人類に長年、大変にメジャーな考えではあります。これは事実。

 が、娑婆世界では、納得できない、人間的尺度から見たら納得できない、というのも事実ですね。

 実際、納得できないと思った人の代表も代表、典型的な例として、アドルフ・ヒトラーさんというひとが居ました。

 ホームレスとかがいるからいけないんだ、人間社会の全ての問題は、ホームレスにある、つまり、我々の側にはない、われわれは正義なのだが、ホームレスとかが、諸悪の根元であるから、ホームレスなどを強制収容所で、毒ガスで、この世から抹殺すれば、全ての問題は解決するという、非常に人間的な考えです。

 つまり、人間の理性、文明、そのまんまです。

 極めて人間的な発想というか、人間の理性、人間の文明とは正にヒトラー以外のなにものでもないですね。そのまんまです。

 ちょっとひねりがあります。

 では、ヒトラーとかスターリンとか、あるいは、ヒトラーやスターリンを熱狂的に、激烈に、思いっきり、賛同した一般大衆が、ホームレスは、われわれの理性、文明、システムの必然的な、システムの正常な部分であって、もしもホームレスがいなかったら、われわれの社会システム全体が崩壊してしまい、われわれの社会システムが作動しなくなるという当たり前の事実、現実を直視できていなかったのか、そんな当たり前のことに気がつかなかったのか、誤謬があったのか……というと、さすがにそんなことは有り得ません。

 そんな、誰でも知っていることは、知っていたわけです。

 正に、そういう事実、現実を知っていたからこそ、その事実、現実を隠蔽する幻想として、あり得ないこと、嘘と知っていて、知りながら、ホームレスとかが、諸悪の根元であるから、ホームレスなどを強制収容所で、毒ガスで、この世から抹殺するという、ヒステリー症状を呈したわけですね。

 ですから、ホームレスは、われわれの理性、文明、システムの必然的な、システムの正常な部分であって、正にわれわれのシステム全体を作動させている当のものであり、もしもホームレスがいなかったら、われわれの社会システム全体が崩壊してしまう、という現実、真実、事実を知れば、全体主義(個人は言ってみたら一つの身体の細胞にあたり、全人類が有機的に結びつく共生を目指すという理想主義、つまり、人間理性や文明そのもの)は、回避できるということは、ないわけです。

 ファシズムというのはロマンティックです。いのちは全体として大きな海のようなもので、そこから、飛沫が空中に飛ぶ。その一滴が私。で、また、海に落ちて、大きないのちに還っていく…というようなものが、ファシズムですね。定義上。

 こういう幼稚と言えば言えますが、ロマンティックな考えは、人間誰にでもあります。

 こういう幼稚さは、人間であることの本質的、原理的なものなので、なくせません。

 浄土真宗では、霊魂はいかなる意味でも存在しない、と言い切っても、こういうファシズムはなくならないと思います。

 キリスト教の定義とは、キリスト教の唯一にして最大のポイントは、死後の世界を語ることの禁止にある…というのは事実でしょうが、それでも、ナチズムはなくならないです。

 現に、元ナチの幹部は、今、グリーンピースという団体を作って活動しているのではなかったかと思いますが、かなりの人間が支援していると思いますね。(グリーンピースという団体の幹部は基本的にはみんな元ナチだったと思います。)

 人間、誰でも、自分は正義、あいつらは怠けている、あいつらがいるからいけないのだという、嘘を自分につくものです。
 
 私がそういう嘘つきだから言っているだけではなくて、誰もがみんな、そういう嘘つきなのだと思います。構造的に。

 なので、みんな危ういと思います。

 われわれは真面目に働いているよね、そうだよね、あいつらさえいなければ…と言われてしまったら、乗ってしまうのが、普通だと思います。

 パワーポリティックスですね。

 自分にとって、こんなに自明なことを、何故、あいつらは分からないのだ。それはあいつらが悪い。だからあいつらはガス室送りだ。問答無用に権力で黙らせよう…というのは、人間が人間である限り、どうしても、そういう考え方をしてしまうものだと思います。

> (グリーンピースという団体の幹部は基本的にはみんな元ナチだったと思います。)

ナチというのは、簡単に言ったら、如来蔵思想です。つまり、山や川や草や木に如来が内属しているという、幻想ですね。実体。

こういう幻想は、誰もが持っているわけです。

ユダヤ教や、キリスト教や、浄土真宗が、それは間違いと、どんなに言っても、なくならない幻想です。

E・ピーターズ『異端の徒弟 -修道士カドフェルシリーズ(16)』光文社 (2005/7/12)という小説があるらしいです。

「生まれたばかりの赤ん坊が、洗礼を受けていないという理由だけで地獄に落とされるというのか?」

とか

「人は、神の恩寵を受けるために日々努力するべきであり、ただ単に救いを待つべきものではない」

とか

思いっきり、異端も異端。正に異端の定義そのまんまを口にする登場人物が出てくるらしいです。

聖アウグスティヌスが、アウグスティヌス著作集(9)ペラギウス派論駁集, 教文館 1979年などなどで、反駁している考え方そのものです。

けれども、こういう異端な考えというものは、なくならないと思います。

あなたもわたしも、みーんな異端だと思うのです。

自分の子どもが生まれたばかりで亡くなってしまったとします。人間は誰でも100%みんな罪人だというフィクション=真理を、受け入れられるでしょうか?

私は全く自信ありません。

私は一生、如来蔵思想を克服できないと思います。

ホームレスは、彼ら自身が怠け者だからホームレスなのであるという幻想にしがみついてしまう、そういう嘘を嘘と知りつつ、そう思いたい自分、というものが、いつでもあると、私は思います。

そういう自分を、かなしいとか、いたましいとか、感じないとは言いませんが、かなしいと思えるということはあっても、では、そのような嘘を脱却できるとは、思えません。かなしいことです。

> 現に、元ナチの幹部は、今、グリーンピースという団体を作って活動しているのではなかったかと思いますが

↑ ここは、根も葉もない噂かもしれないので、言い過ぎました。

また、仮に、過去、ナチにコミットしていたからと言って、今、どうのこうのに直結するのは、間違いですね。

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