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2011年2月 1日 (火)

2011年2月のことば

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 語られるに値しない人生はない
 書かれるに値しない人生はない

    井上 憲司
   
「同朋新聞」(真宗大谷派宗務所発行 2011年1月号)でインタビューを受けられている篠﨑一朗さん(葛飾区 蓮光寺門徒)は、余命一年弱の胃がんと診断されてから、それまで以上に親鸞聖人のおしえに 真向かいになられます。病にかかり、死を意識することを通して、自分を見つめることやいのちのことを深く考えることができたと語られています。『人生に何一つ無駄はない―末期ガンから見えてきた世界―』(東本願寺出版部)という本を書かれています。

39歳で癌告知を受け、41歳で命終された坊守の平野恵子さんも同じことを語られています。「人生には、無駄なことは、何一つありません」と。
   
「人生に何一つ無駄はない」と言われたとき、「そうですね」と頷けるか、「そんなことはない」と認められないか、自分の頭で分別してしまうのではないでしょうか。
しかし、篠﨑さんや平野さんが感得したことばは、「無駄と思われることも、実は無駄ではないんですよ」と諭しているわけでも、「考え方を変えてみましょう」と提案しているのでもないと感じます。
   
うちの娘(2歳)は、家族が合掌念仏する姿を見て育ち、今では自分から進んで合掌念仏をしています(ご本尊の前以外でも)。その姿に、「いいことがありますように」 「親が喜ぶから」「褒められるから」などといった損得勘定をまったく感じません。
無駄か無駄じゃないかなどという、分別のこころを越えたところで、篠崎さんも 平野さんも「人生に何一つ無駄はない」と感得されたのだと思います。
今月は「人生に何一つ無駄はない」と掲示しようと思ったのですが、「無駄はない」ということの意味を深く考えていたときに、ピタリとはまることばに出遇いました。
   
 語られるに値しない人生はない
 書かれるに値しない人生はない
  (「サンガ」№109 東本願寺真宗会館発行
    連載「リアルタイム」
     井上憲司さんの文章より
       元新聞記者・世田谷区存明寺門徒)
    
誰もが、筋書きのない人生(ドラマ)を生きています。つまらない人生などありません。「どうしようもない人生だ」「最悪の人生だ」と酷評する人(自分・他人)はいることでしょう。しかし、それぞれの人生に、数えきれないほどの登場人物がいて、その物語を描いている。傍観者が、無責任に評価を下せる人生はありません。
   
「短い人生、悔いが残ったことだろう」と歎く他人はいる。しかし、どんな短編であっても、あるいは一編の詩であっても、そこに、書かれた人生が確かに存在する。たとえ書きかけに思われる小説であっても、そのような表現方法もある。その続きは、残された者が紡いでいけばいい。たとえ 一編の詩であっても、そこには人に響き伝わるメッセージが込められている。そのことに喜びを感じたい。
   
いのちの数だけ、語られてきた人生、書かれてきた人生がある。それらすべての人生に、星の数ほどの人物が登場する。一人ひとりの人生は一冊の本だけれど、それぞれの本に登場する人物は、本を越え、あらゆる人物の人生に関わっている。この私も。
   
ある本ではヒーローでも、他の本では悪役かもしれない。ただの通行人役ということもある。名前が出てくる役もあれば、大勢の中の一人ということもある。役は何であれ、欠かすことはできない。
   
善導大師は、人生を織物に譬えてくださいました。織物は、縦糸と横糸から成ります。模様として表層に現れるのは横糸。そう、私の人生は、横糸なのです。星の数ほどの人々と共に織り成しています。しかし、織物は縦糸がなければ成り立ちません。その縦糸とは、阿弥陀如来。阿弥陀如来という縦糸があるから、模様(人生)が織り成されていきます。
   
幼子が手を合わすことができるのは、 人生に阿弥陀如来という縦糸があることを知っているからなのでしょう。だからこそ、損得勘定なしで手が合わさる。成長と共に損得勘定で物事を見る目が養われた者に、縦糸の大切さは感じ得ません。
私の人生中に出遇った出来事。無駄と思われる悲しみでさえ、そこに辿り着くまで書かれてきた人生と、人生模様を織り成す縦糸を感じたとき、「人生に何一つ無駄はない」と、念仏の声と共に出るのでしょう。
    
平野恵子さんは3人のお子さんにメッセージを遺されました。
「深い悲しみ、苦しみを通してのみ、見えてくる世界があることを忘れないでください。そして、悲しむ自分を、苦しむ自分を、そっくりそのまま支えていてくださる大地のあることに気付いてください。それが、お母さんの心からの願いなのですから。」
    
「人生に何一つ無駄はない」…ひとりの人生において考えると、「無駄はない」とは、ある事柄を連想しがちですが、生きとし生けるものすべてのいのちを見たとき、語られるに値しない人生、書かれるに値しない人生などないことに気付かされます。
  
 縦糸が張られている
 大地に支えられている
 語られるに値しないいのち
 書かれるに値しないいのちはない
   
   
    
掲示板の人形
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コメント

今月もまた、有り難いお話を伺ったとともに、
私の心の中をずばり言い当てられたような思いがいたしました。「まず損得勘定」「それがメリットになるか」「それがプラスになるか」ということばかり考えている私は、今月のおことばを拝読して、この文を書く前にしばらく沈黙してしまいました。年齢を重ねていくにしたがって損得ばかり考えるようになってしまっていたのですね。幼い子に教えていただくことは多いですね。利害や損得ばかりに眼が行ってしまいますが、まずはこうした自分をよく見つめることから始めることにいたします。今月も有り難うございます。今月の白骨にぜひ伺います。

☆がくさんへ
もう2月になりましたね。
1月の新年気分も、はるか昔ですね。
  
誰もが利害や損得で動いているものです。
国会中継で、そんな人間の姿を、たくさんの方が、自らさらけ出してくださっています。ありがたいことです。
ホント、「自分を見つめること」が大事ですね。私は、自分を見つめすぎちゃって、自暴自棄になりました(なんて言い方でいいのでしょうか)。
 
白骨の会、お待ちしています。
日曜開催の白骨、どんな動きがあるのか、楽しみです。

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