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2011年1月 1日 (土)

2011年1月のことば

住職年頭の挨拶 
明けましておめでとうございます。
2011年(平成23年)を迎えました。本年は浄土真宗の宗祖 親鸞聖人の750回忌のご法事の年でもあります。50年に一度のご法要です。私たちは貴重なご縁をいただくわけです。ご法要をお勤めさせていただくことによって、あらためて親鸞聖人の教えに目を向けたいと思います。
親鸞聖人は29歳のとき、師である法然上人に出遇って、 お念仏の大切さを学びました。そして35歳のとき、流罪を経験して、いなかの人々にお念仏を布教していかれました。
「お念仏」は、親鸞聖人の教えの中心です。加えて大事なのは「聞法」です。「お念仏」と「聞法」これは、浄土真宗における車の両輪です。
この大きなご法事の年に、私自身の手が合わさることの大切さ、教えに耳をかたむけることの大切さを肝に銘じて歩んでまいります。また、ご門徒の皆様にも、その大切さをお話していきたいと思っております。
本年もよろしくお願い致します。
西蓮寺住職 白山謙弌(釈謙弌)
  
   
2011年1月のことば
 Dsc_0409
 思うこと ひとつ叶えば また ひとつ
 
年頭にあたり、願い事をする人が多くいることと思います。願い事をして、仮にその願いが叶ったとします。さて、それで満足できるでしょうか。さらなる願いが湧いて出てくるのではないでしょうか。或いは、願いが叶って得た環境・境遇を維持するために、また願いを立てるのではないでしょうか。相田みつをさんの詩が思い起こされます。
    
  おさい銭
 百円玉一ッ
 ぽんと投げて
 手を合わす
 おねがいごとの
 多いこと

    
願いは尽きないものですね。今に満足できないで、果たして満足は得られるものでしょうか。
自分の意思でここまで生きてきたと思っている、私先にありきの思い。しかし本当は、様々な縁によって、私が私として成り立たせてもらっています。自分の意思でやってきたつもりが、実はなにひとつ自分の意思では成り立っていなかったのです。様々なご縁をいただいて、私が私としていのちをちょうだいしています。
愛すること、信じること、敬うこと、そして願うこと。これらのことを、自分の想いとして起こしているつもりでいる。でも、それらのことが出来るのは、私が愛するよりも先に、私を愛してくれる人がいて、そのことによって、愛することができるのです。信じることも、敬うことも、願うことも。私は信じられています。敬われています。願われています。そのおかげさまで、私は私として生きています。
私を愛してくれる人…身近な人だと、両親・つれあい・友人など。しかし、人と人とが出会えば、そこには衝突が起こるもの。たとえどんなに愛していても、ひとつのズレで、たちまち関係は崩れてしまいます。でも、その程度の人間感情を超えた愛(はたらき)が、今、誰に対しても注がれています。
たとえ私がどんなに嫌っても、疑っても、そんなことには関係なく、私を包み込むはたらきがあります。そのはたらきを阿弥陀といいます。「南無阿弥陀仏」と念仏を称えることができるのも、私が念仏申すのではありません。私に先立って、阿弥陀が願いをかけてくださっているからこそ、「南無阿弥陀仏」と念仏が出てくるのです。
 わざわざ願いを立てなくても、私自身が願いをかけられた存在なのです。「願いによって満足を求めるのではない。すでに円満具足しているいのちを生きていることに目覚めてほしい」
 
   
 
今月の掲示板の人形
Dsc_0401

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コメント

新年おめでとうございます。ことしも宜しくお願い申し上げます。お念仏をいただき自己の中の願を確認していく、毎日を送っていきたいと思っています。

☆やすさんへ
おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。私も、願を確認して参ります。南無阿弥陀仏
体調を整えられ、またお会いできる日をお待ちしています。

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