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2010年11月11日 (木)

また お遇いしましたね

存明寺報恩講にて、佐野先生から「遇うは再会なり」(お話の題ではなくて、私の受け止めのことば)というお話を聞きながら、昔書いた「掲示板のことば」の文章を思い出していました。
 
2004年10月「出会いとは 再会である」ということばを、掲示しました。
あぁ、こういうことを書いてたなぁ。出会いとは再会だったなぁ…と、お話を聞きながら、センチメンタルな気持ちになっていました。今もつらさに変わりはないけれど、もっとも沈み、もがいていた時期だったような気がします。
   
お寺の門前の「ことば」は、毎月1日に変えています。「ことば」を掲示するだけでなく、そのことばを掲示した想いもお伝えしなければいけないのではないか…ということで始めたのが、寺報「ことば こころのはな」です。
   
2004年10月~12月
この頃は意識していなかったけれど、後で読み返してみて、「あ、これ3部作だなぁ」と自分で感じた文章になっていました。そのことに気付いたとき、この3部作でもって大事なことは語りつくしていると思いました(大それた言い方ですが)。落ちたところからの悲鳴だったのかもしれません。(その頃はどん底にでもいるような気でいましたが、今思えば全然浅かったです。「どん底に落っこちたなら、もっと掘れ!」です)
       
その、自称3部作の文章と、この文章は このことを表わしているなぁと感得した「おしえのことば(縁・愚禿・本願)」です。
2004年10月「出会いとは 再会である」…縁
2004年11月「楽を求めて苦しみを除くと、今まで味わったことのない苦しみが芽生えてくる」…愚禿
2004年12月「ともかくも あなたまかせの 年の暮れ(小林一茶)」…本願

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コメント

「どん底に落っこちたなら、もっと掘れ!」
しんどいことや辛いことや苦しいことから逃げずに真正面からぶつかり、どっぷり浸かる覚悟を持ちなさいと言われているような気がいたします。
新たな気付きを頂きました。ありがとうございます。

☆がくさんへ
「どん底に落っこちたなら、もっと掘れ!」
複数の方が仰っていますが、私は養老孟司さんのことばとして聞いています。
大好きなことばです

慶はうべきことをえてのちによろこぶこころなり
『一念多念文意』
慶喜といふは信をえてのちによろこぶこころをいふなり
『尊号真像銘文』

遇うべき人にすでに遇わせていただいた…ということなのでしょうね…

歓喜はうべきことをえてんずと、さきだちてかねてよろこぶこころなり
『一念多念文意』

必ずきたるべきもの、必ずくる、それは、実際には、1秒後にくるかもしれないし、50年後にくるかもしれないが、必ずくるのだから、0.000001秒後にきて全然おかしくないので、気持ち的には、もうすでにそこまできているわけで、主観的には無限小の時間後にくるべきものということになり、あるかないかわからないものではなくて、0.00001秒後にきてまったくおかしくないもの…ということになりますから、やはり、いつでもつねに、いままさにこようとしているもの、確かなものとして、あることになりますね。

(未来完了形と言うのでしょうか……。不勉強で分かりませんが、もしかするとフランス語とか勉強すると分かるのかもしれません…。「未来」という言葉を使ってしまうと、未だ来ていないのは、ないのと同じになりますから、言葉は良くないですが。まさに来ようとしているもの、気持ち的には無限小の時間後に来るもの。)

ですので、やはりどちらも再会なのでしょうね。

☆theotherwindさんへ
すでに慶べる環境に身を置いているのですね。

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