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2010年10月19日 (火)

こんなこと書くのも恥ずかしいんだけど、書かずにおれませんでした

前の文章で、10月16日に東京六組様のお待ち受け法要に参詣させていただきましたと書きました。
その際、湯浅成幸先生のご法話に先立ち、3名の方の感話がありました。
「感話」とは、日々思っていることや、今感じていること、悩みや感動を語ることです。
 
3名のうちのおひとりが、私が「親鸞聖人に人生を学ぶ講座」で話したことを受けて、感話してくださいました。
 

真宗では、大切な師・教えに出会うことを「出遇う」と表現するけれど、その出遇いとは、決して「出遇えて良かった♪」といえるようなことだけを言うのではない。つらいことも、悲しいことも、私を生かす「出遇い」なんです。
と、先生(私)は教えてくださいました。私は、そう言っていただいて、とても楽になりました。

 
と、お話くださいました。
講座は6回ありましたが、「出遇い」のことは6回を通してのメインテーマ(根っこ)でした。ですから、そのことを受け止めて、感話をお聞かせいただき、ホッとしました。ありがとうございます。
 
で、どうして今日このことを書いたのか…
 
西蓮寺には国学院久我山高校のお墓があります。学校に貢献された方々のお骨が、分骨されて納められています。毎年ご法要をお勤めします。その際、私が国学院久我山在学中(国学院久我山高校の卒業生なのです)、3年生のときに担任だった先生もおみえになります。
問題児だった私は、先生に突っかかってばかりいました。先生を嫌っていたし、先生も私を嫌っていたことでしょう。
 
私が寺に戻ってきて、初めて学校の法要をお勤めするとき、先生と再会しました。その頃は、まだひきづってました。小さい男です。
お勤めが終わって、「お父さん(住職)と比べて、まだまだ声が小さいな」と言われ、カッとなったことを覚えています。 
 
月日が流れ、「声がハッキリしてきたね」「お父さんに似てきたね」と言われるようになり、体を壊して声が出なかったときには「どうした!」と心配してくださり、今年は「お父さんと同じようなお勤めをされるようになったね。すばらしい」と声をかけられました。
帰り際、娘を見て、「ほら、おいで」と抱っこしてくださり、「かわいい かわいい。ホント、よかったなぁ」って言ってくれて。
昔、くだらないことで意地を張っていた自分が小さく思え、気の毒にも感じました。まぁ、思春期ってそんなもんですかね。
   
なんでこんな恥ずかしい話を書いたのかというと、
「遇う」って、こういうことなのかな
と、娘を抱っこしている先生を見て感じたのさ。
 
先生とは年に一度しか会わないし、仮に同じ職場で働くようなことになっていたりしたら、またいがみ合っていたかもしれない。でも現実は、今のような形で会い、話ができる。
若かりし日は、嫌いな人間・気の合わない人間とは口も利きたくなかった。けれど、聖人のおしえに出遇い、自分の中で「遇う」ということを深く考えることを通して、そして、先生との出会いという縁があって、
「あぁ、出遇うってこういうことなんだ」
と、突き刺さるように感じました。 
 
今年の法要に先立って、先にいただいた感話があったからこそ、まさに突き刺さってきました。
講師という立場をいただきましたが、講師(法話をする者)こそ、自分の内面をえぐられる者でございました。
聖人に待ち受けられている者です。
南無阿弥陀仏

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