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2010年10月22日 (金)

朋はいますか?

私もメンバーの一員に入れてもらっている、若住職の会(通称 アジャセの会)があります。
月に一回集まり、輪読・発題をして、語り合っています。
発題は、その月に会場となったお寺の若住職が行います。こんなことが疑問なんだけど・こんなことで悩んでいるんだけど・これってどういうことだろう?等々、題を発し みんなで語り合います。
その場だから、このメンバーだからこそ話せることもあるので、内容については書きません。
 
今日、アジャセの会があり、発題が行われました。
みんなで話しているうちに、「悩みを相談できる親友っている?」と私が聞きました。
すると発題者は瞬時に「はい、1人ですけど います」と応えました。
瞬時に「1人います」と応えられたので驚きました。
だから、「すごいじゃないか! “1人でもいる”なんて、良かったじゃないか」と応えました。 
 
後で他の子にも聞いたら、やはり「います」とのこと。
みんな良い人生を送ってるね!! よかった。ホントよかった。
    
私は、学校に通っている頃は「自分以外誰も信じられん」という生き方をして、
30歳手前の頃は「自分ほど頼りにならないものはいないなぁ」なんて考えるようになったので、
本音で語り合える友を(「わざと」かな)持たずにきました。
     
でもね、親鸞聖人の教えに出遇った人々の中を生きていると、感動に満ちています。
 どんなに歳が離れていても、
 どんなに世間的に偉い肩書きを持っていても、
 どんなにおしえに触れた時間に深浅の差があっても、
 どんなに疎遠になってしまても、
私のことを「大事な友人(朋)です」って言ってくださるんです。
     
こんなにもたくさんの朋に囲まれているのですね。
自分で開かなければいけない扉というものがあるものです。
 
他力に囲まれているのです。常に、既に他力を生かされ生きています。
でも、自力でこじ開けなければならない扉があります。扉は、外からは開かないんです。中から閂(かんぬき)を外さなくては、開かないんです。
しかもその扉は、一度開ければそれで大丈夫という扉ではありません。
油断してると、すぐに閉じてしまいます。
つまり、常に自力で生きざるを得ないのが私なんです。
だから、常に聞法 常に念仏
座談(語り合い)が大事というのも、「思いを語る朋がいますか?」という呼びかけなのだと思います。
   
自分で扉を閉ざしていながら、そのことに気付かず(気付かないふりをしながら)、朋がいないと歎いていませんか?

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