« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »

2010年10月

2010年10月30日 (土)

烏山寺町展

本日10月30日(土)より11月28日(日)まで
世田谷区立郷土資料館にて 特別展「烏山寺町」が開催されます。
西蓮寺からも、ひとつ展示品を出させていただいています。
興味のある方は、ぜひお出かけください。
     
世田谷区立 郷土資料館
      
特別展「烏山寺町」

2010年10月29日 (金)

報恩講のためのおみがきの会

10月29日(金) 報恩講のためのおみがきの会
5名の門徒さんが集まってくださいました。(真宗会館で池田先生の聖典学習会があったのにお越しくださったMさん。ありがとうございます)
本堂の仏具や皆さんがお座りになるイス 本堂の窓や柱 欄干など、大掃除してくださいました。
5名の門徒さんと、寺の人間5名(娘も入れて)・・・10人でおみがき・掃除をすると、あっという間に終わります。
1時間ほどでみちがえるほど綺麗になりました。以前は、寺の人間だけで掃除をしていて、それだけで何日もかかっていました。報恩講を迎えるころにはクタクタになっています。おみがきの会を再開して4年…今ではお手伝いされ方も慣れてきて、どんどん掃除の範囲が広がっていきます。ありがたいことです。
西蓮寺報恩講は11月5日ですが、このおみがきの会が終わると、報恩講も半分勤まった気がします。準備も、大切な式の一部ですから。
 
Dsc_0223
 
Dsc_0225_2
    
おみがき・お掃除が終わったら、みんなできれいになった本堂で「歎仏偈」をお勤めして、お昼ご飯。
 
Dsc_0227
     
掃除のこと、報恩講のこと、日常のこと、昔話、いろいろとおしゃべりしながら食べるお昼ごはんは美味しいです。
    
11月5日 西蓮寺報恩講
 12時~ お斎(おとき:お食事)
 13時~ ご法話(お話:海 法龍住職)
 14時20分~ 報恩講法要
    
報恩講は申込制にさせていただいています。申込期限は過ぎましたが、ご参詣希望の方はコメント欄に希望の旨 書き込みください。ご参詣お待ちしています。

2010年10月28日 (木)

親鸞さまがおわします⑨

【第9回 朋なる念仏】
  
阿弥陀如来は、私たち生きとし生けるものをすくいたいと願いを起こされました。 阿弥陀如来を信じ、「南無阿弥陀仏」とお念仏申しましょう。念仏申す衆生を、阿弥陀如来がおすくいくださいます。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

   
民衆に交わり、源空(法然)上人のお話を聞き続けた範宴(親鸞)。
いつしか、南無阿弥陀仏の響きに誘われ、源空門下に入ることを決意します。源空上人のもとで話を聞き続けている僧侶に間を取り持ってもらい、源空と、直接に対面する機会を得ます。
「比叡の山で20年にわたり修行を続け、なにもさとりを得られなかった私などを、上人は弟子として迎え入れてくださるであろうか…」
源空のいる部屋へと向かうまで、範宴は緊張や不安で押しつぶされそうになります。いよいよ源空のいる部屋へ入るときがきました。
  
「ようこそ いらっしゃいました」
範宴が挨拶するよりも先に、源空上人から声をかけてきました。
「あなたとは、比叡の山で一度お会いしたことがありますね」
源空と範宴は、まだ源空が比叡の山にいた頃に、一度場を同じくしたことがありました。範宴にとっては、その方を源空上人と認識することもありませんでしたが、源空は範宴のことを覚えていました。
まだ若かりし日の、修行を始めたばかりの未熟者を覚えていたばかりか、再会を喜んでくださる源空上人。「ようこそ いらっしゃいました」の響きは、範宴に「ここに居ていいんだ」という安心感と温もりを与えました。
   
「どうか 私範宴を門下にお加えください」
比叡の山での修行の日々、煩悩を晴らすどころか、ますます己の恥ずべきこころが浮き彫りになってきたことを、範宴は涙ながらに吐露しました。
   
「範宴殿、お聞きなさい。私が高いところに立ち、声を挙げて、阿弥陀如来への信心を勧めているのならば、師と弟子という関係も出来よう。しかし私は、衆生救済のために立ち上がられた阿弥陀如来の慈悲のおこころを信じ、その教えをこんにちまでお伝えくださった先達の おこころを信じて、南無阿弥陀仏と念仏申しているだけなのです。弟子を募って、念仏を広めているのではありません。もしあなたが、この源空との出会いによって念仏を称える気持ちとなられたのであれば、朋として、喜びをもってあなたを迎え入れましょう。ともに、お念仏申してまいりましょう」
  
念仏の前では、師も弟子もなく、みな阿弥陀如来から救済の願いをかけられた朋である。源空上人からかけられた言葉に、範宴は、また涙します。比叡の山で20年間探し求めていたものが、ここにあるような気がしました。
  
範宴は源空から「綽空(しゃっくう)」の名をいただきました。
「綽」は、中国の僧道綽禅師の「綽」、「空」は源空上人の「空」です。ともに、阿弥陀如来の慈悲心を信じ、念仏申した方です。範宴の姿に、源空は念仏の道を歩む者となるであろう予感を抱いたのかもしれません。

2010年10月25日 (月)

み~ほ~とけは~♪

今年の2月から 西蓮寺コールリンデン~仏教讃歌を歌う会~を隔月で開催しています。
今日10月25日は、第5回目の会。合唱指導・伴奏は、ご門徒でもあり、私が小学生ときの音楽の先生でもあった方にお願いしています。
「真宗宗歌・恩徳讃・衆会・みほとけは・四弘誓願・芬陀利華・朝の歌・夕べの歌」の仏教讃歌の他に、童謡「もみじ・小さい秋見つけた・赤とんぼ・里の秋」も歌いました。
 
当然、楽譜を見ながら声を出します。
音符を追いながら歌っていると「あぁ、こういう音の動きだったんだ!」と思うことが多々あります。
真宗宗歌とか恩徳讃は、法話会のたびに歌いますから、普段楽譜なんて見ませんが、あらためて楽譜を見ながら歌うと、いい加減歌ってたなぁと感じます。
うまくいえませんが、ぶつ切れになっていたことばが、一連の流れとしてキチンとつながっていることに感動を覚えます(当たり前といわれれば、当たり前のことですが)。
 
コールリンデン開催のおかげで、そのようなことを感じ、以来 朝のお勤めの際には「正信偈」を、『声明集』を見ながらお勤めするようにしました。
「正信偈」は記憶していますが、『声明集』を見ることによって、文字を見ることによって、「正信偈」がおしえとして自身に響いてきます。
その日 その時の想いや体調によって、響いてくるところは違いますが、「正信偈」をそらんじているときにはなかった感動が、『声明集』を見るようになってからはあります。
   
声に出すことによって、その声が発している者の耳に還ってくる。
声を出して、ことばがどこかに行ってしまうのではなくて、この私にこそ おしえとなって還ってきます。
    
コールリンデン 次回は12月20日(月)午後1時30分からです。
お誘いしても、キチンとした格好で厳しい指導を受けながらやっているものだと思われているのか、参加者が増えません。
イスに座りながら、みんなでワイワイ言いながら、お茶の時間をはさみながら開催しています。気楽にお出かけください。お待ちしています。
 
(追記)
コールリンデンの「リンデン」とは、「菩提樹」を意味します。
坊守(母)が入っていた合唱団の名前を、そのまま使わせていただきました。

2010年10月22日 (金)

朋はいますか?

私もメンバーの一員に入れてもらっている、若住職の会(通称 アジャセの会)があります。
月に一回集まり、輪読・発題をして、語り合っています。
発題は、その月に会場となったお寺の若住職が行います。こんなことが疑問なんだけど・こんなことで悩んでいるんだけど・これってどういうことだろう?等々、題を発し みんなで語り合います。
その場だから、このメンバーだからこそ話せることもあるので、内容については書きません。
 
今日、アジャセの会があり、発題が行われました。
みんなで話しているうちに、「悩みを相談できる親友っている?」と私が聞きました。
すると発題者は瞬時に「はい、1人ですけど います」と応えました。
瞬時に「1人います」と応えられたので驚きました。
だから、「すごいじゃないか! “1人でもいる”なんて、良かったじゃないか」と応えました。 
 
後で他の子にも聞いたら、やはり「います」とのこと。
みんな良い人生を送ってるね!! よかった。ホントよかった。
    
私は、学校に通っている頃は「自分以外誰も信じられん」という生き方をして、
30歳手前の頃は「自分ほど頼りにならないものはいないなぁ」なんて考えるようになったので、
本音で語り合える友を(「わざと」かな)持たずにきました。
     
でもね、親鸞聖人の教えに出遇った人々の中を生きていると、感動に満ちています。
 どんなに歳が離れていても、
 どんなに世間的に偉い肩書きを持っていても、
 どんなにおしえに触れた時間に深浅の差があっても、
 どんなに疎遠になってしまても、
私のことを「大事な友人(朋)です」って言ってくださるんです。
     
こんなにもたくさんの朋に囲まれているのですね。
自分で開かなければいけない扉というものがあるものです。
 
他力に囲まれているのです。常に、既に他力を生かされ生きています。
でも、自力でこじ開けなければならない扉があります。扉は、外からは開かないんです。中から閂(かんぬき)を外さなくては、開かないんです。
しかもその扉は、一度開ければそれで大丈夫という扉ではありません。
油断してると、すぐに閉じてしまいます。
つまり、常に自力で生きざるを得ないのが私なんです。
だから、常に聞法 常に念仏
座談(語り合い)が大事というのも、「思いを語る朋がいますか?」という呼びかけなのだと思います。
   
自分で扉を閉ざしていながら、そのことに気付かず(気付かないふりをしながら)、朋がいないと歎いていませんか?

2010年10月19日 (火)

こんなこと書くのも恥ずかしいんだけど、書かずにおれませんでした

前の文章で、10月16日に東京六組様のお待ち受け法要に参詣させていただきましたと書きました。
その際、湯浅成幸先生のご法話に先立ち、3名の方の感話がありました。
「感話」とは、日々思っていることや、今感じていること、悩みや感動を語ることです。
 
3名のうちのおひとりが、私が「親鸞聖人に人生を学ぶ講座」で話したことを受けて、感話してくださいました。
 

真宗では、大切な師・教えに出会うことを「出遇う」と表現するけれど、その出遇いとは、決して「出遇えて良かった♪」といえるようなことだけを言うのではない。つらいことも、悲しいことも、私を生かす「出遇い」なんです。
と、先生(私)は教えてくださいました。私は、そう言っていただいて、とても楽になりました。

 
と、お話くださいました。
講座は6回ありましたが、「出遇い」のことは6回を通してのメインテーマ(根っこ)でした。ですから、そのことを受け止めて、感話をお聞かせいただき、ホッとしました。ありがとうございます。
 
で、どうして今日このことを書いたのか…
 
西蓮寺には国学院久我山高校のお墓があります。学校に貢献された方々のお骨が、分骨されて納められています。毎年ご法要をお勤めします。その際、私が国学院久我山在学中(国学院久我山高校の卒業生なのです)、3年生のときに担任だった先生もおみえになります。
問題児だった私は、先生に突っかかってばかりいました。先生を嫌っていたし、先生も私を嫌っていたことでしょう。
 
私が寺に戻ってきて、初めて学校の法要をお勤めするとき、先生と再会しました。その頃は、まだひきづってました。小さい男です。
お勤めが終わって、「お父さん(住職)と比べて、まだまだ声が小さいな」と言われ、カッとなったことを覚えています。 
 
月日が流れ、「声がハッキリしてきたね」「お父さんに似てきたね」と言われるようになり、体を壊して声が出なかったときには「どうした!」と心配してくださり、今年は「お父さんと同じようなお勤めをされるようになったね。すばらしい」と声をかけられました。
帰り際、娘を見て、「ほら、おいで」と抱っこしてくださり、「かわいい かわいい。ホント、よかったなぁ」って言ってくれて。
昔、くだらないことで意地を張っていた自分が小さく思え、気の毒にも感じました。まぁ、思春期ってそんなもんですかね。
   
なんでこんな恥ずかしい話を書いたのかというと、
「遇う」って、こういうことなのかな
と、娘を抱っこしている先生を見て感じたのさ。
 
先生とは年に一度しか会わないし、仮に同じ職場で働くようなことになっていたりしたら、またいがみ合っていたかもしれない。でも現実は、今のような形で会い、話ができる。
若かりし日は、嫌いな人間・気の合わない人間とは口も利きたくなかった。けれど、聖人のおしえに出遇い、自分の中で「遇う」ということを深く考えることを通して、そして、先生との出会いという縁があって、
「あぁ、出遇うってこういうことなんだ」
と、突き刺さるように感じました。 
 
今年の法要に先立って、先にいただいた感話があったからこそ、まさに突き刺さってきました。
講師という立場をいただきましたが、講師(法話をする者)こそ、自分の内面をえぐられる者でございました。
聖人に待ち受けられている者です。
南無阿弥陀仏

2010年10月16日 (土)

東京六組 同朋大会

10月16日(土) 東京六組宗祖親鸞聖人御遠忌お待ち受け法要(於、因速寺様)にお参りさせていただきました。
「親鸞聖人に人生を学ぶ講座」東京六組北ブロックの講師をさせていただいたご縁で、お招きをいただきました。
  
ご法話は湯浅成幸先生  熊本からお越しいくださいました。
「真宗宗歌」 1番2番は往相回向 3番は還相回向を表わしているように感じる。
「真宗宗歌」の歌詞に、丁寧にあたりながらお話くださいました。
残念ながら、時間の関係で3番の歌詞については、お話を尽くせませんでした。が、来年、東本願寺出版部から、そのことにも触れた内容の本が出るので、よろしかったらお読みくださいとのこと。

「1番2番は往相回向 3番は還相回向」なんて考えもしなかったので、新鮮な感動でした。
出版が楽しみです。 
 
その後の懇親会の席にて、参加者一人一人が感想や質問を述べました。すべての感想や質問に、丁寧に応えてくださり、優しいお人柄を感じました。内容の濃い懇親会でした。
 
質問のひとつ「“お待ち受け”とはどういう意味ですか?」にお応えくださいました。
 

“お待ち受け”というと、「私たちが準備をして待つ」というふうに解釈されています。
でも違うんです。私たちが準備をして、御遠忌を待つんじゃないんです。私たちが御遠忌を迎えるのに先立って、親鸞聖人の方が、私たちを待っていてくださっているんです。聖人が私たちを待ちうけてくださっているんです。
私たちが、聖人のために勤めるんじゃない。聖人が、私たちにお伝えくださったおしえが、私たちに届く。しかも、私たちに届くまでに たくさんの人々のご縁を通しているわけです。
そのご縁をいただいて、私たちが御遠忌を迎えさせていただく。お念仏のおしえに出遇わせていただくのです。
お待ち受けとは、“私たち自身が待たれている”ということなんです。
(私の頭の中のノートより)

   
東京五組でも 「お待ち受け同朋大会」を開催しましたが、私たちがお勤めするという意識満々でした。
「待ちうけられている私大会」でしたね。
御遠忌を迎える前に、新たな感動をいただきました。
 
湯浅先生ありがとうございます。
私を迎え入れてくださいました東京六組 ご門徒の皆様・住職寺族の皆様、ありがとうございます。
感謝感謝です。
 
(追記)
同日、住職は東京一組のお待ち受け法要に出かけました。
コーラスの男性パートの助っ人として。楽しそうでした。
御遠忌を前に、たくさんの朋が親鸞聖人から待ち受けられています。

2010年10月15日 (金)

御遠忌に向けて

2011年 親鸞聖人750回御遠忌が 京都東本願寺でお勤めされます。
全国各地より、団体参拝を組んで、ご本山に参詣します。
西蓮寺が所属する東京五組においても、250名の同朋と共にお参りさせていただきます。

10月13・14日 団体参拝の下見に行ってきました。
東京5組の団体参拝は2泊3日。
初日は長浜別院にお参りさせていただいて、京都入り。
2日目に御遠忌日中法要をお参りして、比叡山経由で有馬温泉へ。
3日目は神戸観光をして、東京に帰ってきます。
 
1泊2日の下見だったので、神戸方面へは行きませんでしたが、ご本山をお参りした後、長浜別院・比叡山を下見・打合せをしてきました。
  
Dsc_0162_2
長浜別院 
   
Dsc_0020
比叡山延暦寺 根本中堂
  
Dsc_0025
比叡山延暦寺 親鸞聖人が修行をされたといわれる常行三昧堂
団体参拝当日は、特別に中を見せていただけるそうです。
    
下見を終え、いろいろと見えてきました。
これから検討を重ね、50年に一度の御遠忌を大切にお参りし、楽しい旅行にしたいと思います。
ご参加の皆様、よろしくお願い致します。

2010年10月14日 (木)

宗祖親鸞聖人750回御遠忌 東京五組団体参拝 下見ご報告

団体参拝1日目① 2011年5月20日(金) 長浜別院大通寺
 
東京五組団体参拝は、241名でお参りいたします

2011年5月20日(金)
「東京駅」9:33発 ひかり507号で「岐阜羽島駅」(11:32着)まで行きます。
長浜別院へは「米原駅」の方が近いのですが、「岐阜羽島駅」で降りてバスで向かった方が経費が安いことと、駅の構内の移動のしやすさで、「岐阜羽島駅」で降りることにしました。  
 
「岐阜羽島駅」でバス6台に分乗し、長浜別院へ向かいます。 
 1号車 西福寺 佑浩寺 浄専寺
 2号車 西蓮寺 髙德寺 正徳寺
 3号車 存明寺 明福寺
 4号車 神足寺 明称寺 乗満寺
 5号車 心海寺 報土寺 成満寺 西寶寺
 6号車 道教寺 圓林寺 永願寺 徳玄寺
  
Dsc_0201
長浜別院にバスを乗り入れできないので、徒歩10分ほどの所にあるバスパーキングでバスを降ります。
中央に見えるのは、お寺ではありません。
当日はバスも混み合うことが予想され、バスはここに停めっぱなしではありません。降車・乗車、すみやかな誘導をお願いいたします。
    
Dsc_0202
   
Dsc_0200
横断歩道を渡り(道幅は狭いですが、交通量は多いです)、商店街を抜けて長浜別院へ向かいます。

Photo
こんな感じで渡っていただきます。
 
Photo_2
駐車場を渡った所↑
そこから反対方向を向くと、商店街入り口が見えます↓
Photo_3
 
長浜 黒壁スクエア
Dsc_0194
  
Dsc_0192
 
Dsc_0193
 
Dsc_0190
     
Dsc_0189
魅惑の海洋堂フィギュアミュージアム黒壁
   
Dsc_0187
   
Dsc_0185
    
Dsc_0184
   
Dsc_0183
   
Dsc_0182
   
Dsc_0181
 
商店街を抜け、左手前方に「長浜別院」が見えます。  
Dsc_0177
 
Dsc_0176
      
Dsc_0174
   
Photo_4
   
Dsc_0173
長浜別院大通寺山門
  
Dsc_0161
山門入って、すぐの風景
 
Dsc_0162
本堂正面
正確なポジションは決めていませんが、ここで集合写真撮影になります(写真係…白山・中根)。
241名いっぺんに撮っても誰が誰だか分からない写真になってしまいますので、号車毎に撮影します。
集合写真の撮影は、旅行中ここだけです。ご本山では、集合写真を撮っている時間がないため。
   
Dsc_0133
号車毎に撮影し、撮り終わった号車から、本堂正面より中に入っていただきます。スムーズな撮影にご協力ください。
須賀さんが手配してくださった下足袋をお使いください。
     
Dsc_0165
山門入って右手に鐘楼堂があります。
その奥にトイレがあります。
   
Dsc_0130
別院内のトイレ
トイレは別院内にもありますが、人数が入れません。
とりあえずは、鐘楼堂奥のトイレをお使いいただくことになります。
    
   
      
Dsc_0135
長浜別院 本堂内
 
Dsc_0124
  
Dsc_0123
下見でお邪魔したときは、ご近所の門徒さんが集まっておみがきをしていました。 
 
長浜別院では、本堂で同朋奉讃でお勤めをしたあと、ご法話をいただきます。
ご法話:澤面宣了(さわも/せんりょう)先生(長浜教区浄願寺住職)
 
ご法話の後、3グループに分かれて諸殿拝観をさせていただきます。
地元のボランティアの方にご案内いただきます。
〔伏見城の遺構とされる本堂や大広間などの建築物(国の重要文化財)や、含山軒庭園と蘭亭庭園という2つの庭園(国の名勝)のほか、円山応挙や狩野山楽・狩野山雪らの障壁画など貴重な文化財を多数保有する寺院として知られる・・・ウィキペディアより〕
Dsc_0140
  
Dsc_0141
     
Dsc_0142
   
Dsc_0144
   
Dsc_0145
  
Dsc_0147_2
     
Dsc_0148
   
Dsc_0149
 
Dsc_0150
   
Dsc_0151
   
Dsc_0152
   
Dsc_0153
   
Dsc_0154
   
Dsc_0155
   
Dsc_0156
   
Dsc_0157
  
Dsc_0128
別院内より望んだ山門
 
団体参拝1日目② 2011年5月20日(金) リーガロイヤルホテル&新都ホテル
 
長浜別院を後にして、バスで京都 リーガロイヤルホテルに向かいます。
2時間ほどかかります。
途中1回 サービスエリアでトイレ休憩をはさみます。

1泊目は、
「リーガロイヤルホテル」に202名
「新都ホテル」に41名お泊りいただきます。 
    
夕食は、「リーガロイヤルホテル」2F「朱雀の間」にて、洋宴席となっています。
    
「リーガロイヤルホテル」宿泊の方も、「新都ホテル」にお泊りいただく方も、全員一旦荷物を持って、「朱雀の間」に移動していただきます。
「朱雀の間」壁側に、号車毎に荷物置き場を設置してありますので、そこに荷物を置いていただきます。
 
Dsc_0080
リーガロイヤルホテル
到着は午後6時30分頃を予定しています。
 
Dsc_0078
  
Dsc_0079
ホテルロビー
    
Dsc_0099
    
Dsc_0101
   
Dsc_0102
朱雀の間
3部屋ぶちぬきの大宴会場になります。
基本お寺毎に席を設けますが、全体の配席は事務局にお任せください。
1テーブル8~10名になります。
 
Dsc_0095
2階宴会場の説明を受けているところ
 
Dsc_0104
「朱雀の間」では禁煙とさせていただきます
朱雀の間正面に喫煙ルームがありますので、そちらをご利用ください
Dsc_0106
   
夕食は2時間ほどを予定しています。
予定通りに日程を消化したとして、午後8時30分頃。
食事中に、宿泊の部屋のご案内をさせていただきます。
翌日はメインの御遠忌日中法要です。お疲れもあるでしょうから、早めにお休みください。
くれぐれも京都の町には…
   
   

  
リーガロイヤルホテルのお部屋 
Dsc_0083
ツインルーム
 
Dsc_0089
トリプルルーム
 
Dsc_0084
フォースルーム
  
Dsc_0085
ユニットバス ごく普通です
    
「リーガロイヤルホテル」では、全員トリプルルームになります。
ツインルームをお願いすると旅行代金が上がってしまう点、
フォースルームは、ベッド4つ入れても狭くない、それなりの広さの部屋でしたが、ユニットバスのため、4人ではきついのではないか(特に女性の身支度を考えると)という点
それらを考慮して、トリプルルームのみ手配いただきました。
トリプルルームは、お一人エキストラベットになってしまいますこと ご了承ください。(とはいっても、しっかりしたソファベッドです)  
   
   
  
2日目の朝食会場について
 
全員「朱雀の間」でお召し上がりいただければ分かりやすいのですが、当日は修学旅行生もいらっしゃる関係で、3部屋に分かれての食事となります。
お寺ごとに部屋を分けさせていただきましたので、各お部屋でビュッフェスタイルの朝食をおとりください。
ご本山には8時10分には入るように通達がきています。そのため、ホテル出発が7時50分と早目です。ゆっくり朝食をおとりいただけないのが申し訳ありませんが、出発時間はお守りください。
     
Dsc_0108
 
Dsc_0109
  
Dsc_0107
     
   
  
夕食を終え、「新都ホテル」にお泊りの方は5号車にてご案内いたします。
「新都ホテル」は、京都駅南側にあり、「リーガロイヤルホテル」から歩いても5分ほどのところにあります。
お疲れのところ申し訳ありませんが、荷物を持ってご移動願います。
「新都ホテル」にお泊りの方も、夕食中に部屋の案内をさせていただきます。
 
Dsc_0075
新都ホテル
到着は午後9時すぎになってしまうでしょうか。
 
Dsc_0077
ロビーでは せんとくん がお出迎え
 
Dsc_0076
ホテルロビー
 
お疲れ様でした。
ゆっくりお休みください
 
団体参拝2日目① 2011年5月21日(土) ご本山 真宗本廟へ(付、大事な話)
 
おはようございます
朝食はお済みですか?
昨晩は呑みすぎていませんか?
いよいよご本山へ参りましょう。
長いことお待ちした宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要です
 
バスに乗って出発です
Dsc_0093
   
リーガロイヤルホテルからは、1・2・3・4・6号車が出発します。
直接ご本山へ参ります。
元々その号車の方は、それぞれの号車にお乗りください。
昨日5号車に乗っていらして、リーガロイヤルホテルにお泊りの、
報土寺の方は4号車に
成満寺の方は1号車にお乗りください。
ご本山までのほんの数分、違う号車にてご辛抱ください。

新都ホテルからは、5号車が出発します。
直接ご本山へ参ります。
新都ホテルにお泊りの方、全員5号車にご乗車ください。
     
ご本山での御遠忌法要を勤め終わり、比叡山に向かうときに、それぞれの号車(1日目に乗った号車)にお乗りいただけます。
    
ここから大事なことです。
手元に置いておく小さい手荷物と、日中必要のない荷物(宿泊の荷物)は分けておいてください。
バスに乗るとき、宿泊の荷物はバス下部の荷物置き場に入れてしまいます。有馬温泉につくまで、出し入れはできません。
朝の乗車時に積み込むわけですから、数名の方は、日中自分が乗っているバスと、荷物を積んであるバスが違うことになります。
宿泊の荷物の出し入れができないことは、みんな同じ条件です。どうか出し入れする必要のないように、荷物をお分けください。貴重品は手荷物に入れてください。
ご門徒さんに周知をお願いいたします。
 
団体参拝2日目② 2011年5月21日(土) 真宗本廟
 
Dsc_0008
宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要 
東京5組の席は、上の写真、瀧川団長・須賀さん・伊東さんが立っているあたりになります。
御影堂右端になります。 
 
Dsc_0010

Dsc_0011
鸞恩くんと記念撮影
   
団体参拝2日目③ 2011年5月21日(土) 比叡山延暦寺
 
ご本山での御遠忌法要のお参りが終わりましたら、バスに乗って比叡山延暦寺に参ります。
比叡山延暦寺に着きましたら、先ずは比叡山東塔にあります「延暦寺会館」にて、みんな一緒に昼食です。
その後、拝観ですが、243名いっぺんには回れませんので、2グループに分かれます。
 
A班 1~3号車 延暦寺会館→東塔→西塔→有馬温泉
B班 4~6号車 延暦寺会館→西塔→東塔→有馬温泉
比叡山を15:15に出て、17:30頃有馬温泉に到着予定です。
  
  
比叡山延暦寺 延暦寺会館
Dsc_0043


Dsc_0044


Dsc_0045
 
 
Dsc_0046

お食事処 望湖
Dsc_0048
天井が高く開放感にあふれていながら、シックなインテリアで落ち着いた雰囲気。自然素材と味覚を極めた当山自慢の精進料理をお召し上がりください。
(「延暦寺会館」パンフレットより)
Dsc_0050


Dsc_0052
 
はし袋 
Dsc_0055
食前観
吾今幸いに仏祖の加護と衆生の恩恵によってこの清き食を受く
つゝしんで食の来由をたづねて味の濃淡を問はず
其の功徳を念じて品の多少をえらばじ
いたゞきます
 
食後観
吾今此の清き食を終りて心ゆたかに力身に充つ願はくば此の
身心を捧げて己が業にいそしみちかって四恩に報い奉らん
ごちそうさま

と、書いてありました。
私たちが普段口にする「みひかりのもと~」について、由来や意味を尋ねられることがありますが、比叡山からきていたのでしょうか。
ちなみに、四恩とは、「母の恩、父の恩、如来の恩、説法法師の恩」や「父母の恩、衆生の恩、国家の恩、三法の恩」を意味します(いろいろな説があります)。
合掌

ホール   
Dsc_0056

瑞峰の間
Dsc_0060


Dsc_0061


Dsc_0062
  
  
Dsc_0063
この「瑞峰の間」に、当日は参詣できない蓮如堂(このページ下部)の蓮如上人像を安置してくださるそうです。
     
      
    
比叡山延暦寺 東塔
   
駐車場
Dsc_0012


Dsc_0013


Dsc_0014

東塔 大講堂
Dsc_0015
僧侶が法華経の講義を聞いたり、お互いに問答をして勉強する学問修行の道場です。本尊は大日如来をまつり、また、比叡山で修行して一宗の開祖となられた法然、親鸞、栄西、道元、日蓮などの等身大の尊像が安置されています。   
(比叡山パンフレットより)

大講堂をお参りし、長い階段を下ります
Dsc_0016
  
 
「根本中堂」の碑を右手に、もう少し下ります。
Dsc_0066


Dsc_0017
  
根本中堂
Dsc_0020
国宝の根本中堂は延暦寺の総本堂です。伝教大師ご自作の本尊薬師如来像の前には、「不滅の法灯」が開創以来1200年間消えることなく灯り続けています。内陣が、参拝者のいる中陣・外陣より低い位置にあり、本尊や法灯が参拝者の目の高さにきているのは、仏も人もひとつという仏教の「仏凡一如」の考えを表しています。
(比叡山パンフレットより)

根本中堂より文殊楼を望む
Dsc_0018
   

文殊楼(文殊楼は見学しません)
Dsc_0067
根本中堂の前にある石段を上った所にあり、比叡山の総門の役目を果たす重要な楼門です。文殊菩薩がまつられていて、受験生の合格祈願に人気があります。
(比叡山パンフレットより)

 
    
比叡山延暦寺 西塔
駐車場
Dsc_0021


Dsc_0022


Dsc_0023


Dsc_0024

にない堂…常行堂
親鸞聖人がご修行されていたお堂です。
現代でも修行されている方がいらっしゃいます。
普段は中に入れませんが、特別に拝観させていただけます。
Dsc_0025

にない堂…法華堂
Dsc_0026
    
にない堂全景 左手が常行堂 右手が法華堂    
Dsc_0027
常行堂と法華堂という同じ形の建物がふたつ並んで、渡り廊下でつながっています。力持ちの弁慶がこの渡り廊下をてんびん棒にして、このお堂をかついだという伝説から「弁慶のにない堂」と呼ばれています。
(比叡山パンフレットより)
 
にない堂の先にある階段を下ります。
Dsc_0029
階段を下りて、見上げた写真です。にない堂の渡り廊下が見えます。
 
釈迦堂
Dsc_0030
伝教大師ご自作の釈迦如来を本尊とし、西塔の中心をなすお堂で、老杉の木立と共に堂々とした風格をもっています。信長の焼き討ち後、豊臣秀吉が大津の三井寺から移したもので、天台建築様式の代表とされる山内最古の建物です。
(比叡山パンフレットより)
 
Dsc_0031


Dsc_0032

釈迦堂の中
Dsc_0033
 
 
Dsc_0034


Dsc_0035

釈迦堂をお参りしたら、元の道を戻ります。
階段を上りきり、下を見下ろしたところです。
Dsc_0036

にない堂を後にします
Dsc_0037


Dsc_0038


Dsc_0039

碑「親鸞聖人ご修行の地」
Dsc_0040

西塔図
Dsc_0042
   
   
   
比叡山延暦寺 東塔 蓮如堂
Dsc_0074

Dsc_0069
         
Dsc_0071
    
Dsc_0073
   
Dsc_0072
当日は拝観しませんが、堂内にある蓮如聖人像を、延暦寺会館「瑞峰の間」に安置してくださることになっています。
にない堂「常行堂」内拝観 蓮如上人像移設 お心遣いに感謝です。
   
   
 
【比叡山延暦寺(ひえいざん えんりゃくじ)】
天台宗の総本山。785年(延暦4年) 伝教大師最澄は、日本の安泰と国民の幸せを祈って「根本中堂(一乗止観院)」を創建して、比叡山を開山しました。鎌倉仏教と称される宗派の祖師方も、比叡山延暦寺で研鑽を積まれました。
比叡山は、京都と滋賀の県境にあり、東には琵琶湖を望み、西には古都 京都の街並を一望できます。歴史的背景とすばらしい景色の評価を受け、1994年にユネスコ世界文化遺産に登録されています。
比叡山山内は、「東塔(とうどう)」「西塔(さいとう)」「横川(よかわ)」の三塔に分かれ、それぞれに本堂があります。「根本中堂」は「東塔」にあります。「根本中堂」には、創建以来1200余年 絶やされたことのない灯「不滅の法灯」が揺らめいています。
「延暦寺」とは、この比叡山に点在する約150の堂塔の総称であり、「延暦寺」という一宇の建造物があるわけではありません。
 
親鸞聖人は、9歳から29歳の頃、この比叡山延暦寺にて修行をされました。親鸞聖人の妻 恵信尼さまのお手紙「恵信尼消息」によって、聖人は比叡山において「堂僧(どうそう)」という立場におられたことが分かっています。「堂僧」の地位・立場は、ハッキリとは分かっていません。比叡山西塔にある「常行堂」で、常行三昧という修行をされていたそうです。阿弥陀如来像の周りを、阿弥陀如来を憶念し、「南無阿弥陀仏」と念仏を称えながら、休むことなく歩き続ける修行です。今回の団体参拝では、この「常行堂」の中を、特別に拝観させていただけます。
比叡山では、今も修行に努める方々がいます。灯だけでなく、おしえも、脈々と受け継がれています。
 
団体参拝3日目 2011年5月22日(日)
 
2日目の宿泊
有馬温泉 兵衛 向陽閣
 
3日目
向陽閣 8:10頃発
    
北淡震災記念公園・野島断層保存館見学
    
鳴門みさき荘にて昼食
  
新神戸駅 14:25発 ひかり476号
品川駅 17:33着
東京駅 17:40着

2010年10月12日 (火)

迷惑をかけながら生きていきます

風に舞う落ち葉が、カサカサッと音を立てています。
乾いた落ち葉の音に秋を感じました。 
   
  
体調を崩した友人へ、お見舞いのメール
すぐに返事が返ってきました。だいぶ回復したとのこと。伝え聞いていたよりも元気そうな姿に安心しました。
日々の会話の中で、「体調を崩して」「どこそこが痛くて」「病院へ行ってきた」などという話が垣間見られるようになってきたアラフォーの私たち。友の体調不良も他人事ではありません。
    
「今まで一人でやろうと頑張りすぎました。これからは周りに、今以上にたくさん迷惑をかけながら生きていきたいと思いました」
と、朋のメール
   
「うんうん、迷惑をかけ合いながら生きていくものだよねぇ」
と、頷きながらメールを読みました。「今まで以上!!」と、突っ込みを入れながら
  
    
人間は、一人では生きていけないもの。
「私は一人で生きている」「私は人に迷惑はかけてない」なんて言っていると、独りになってしまいます。
「人様に迷惑をかけずに生きていきたい」「若い者に迷惑をかけたくない」なんて、殊勝なようだけど、傲慢だと思います。今まで迷惑をかけずに生きてきたつもりでしょうか。迷惑をかけ、かけられながら生きてきたのに。
「あなたに迷惑をかけたくない」なんて、大切な人のことを思っているようでいて、突き放した響きが含まれます。
「今まで迷惑をかけてきました。これからも迷惑をかけていきます」と言い合える関係っていいなと感じました。

2010年10月10日 (日)

こたえはわたし

朝食のときに注ぐ紅茶が、冷めるのが早くなってきました。
夏から秋へ 時の移り変わりを感じます。
   
10月10日(日)
日曜日には、毎週ご法事が入っています。
東京のお寺では、住職がご門徒宅に出かけてご法事をお勤めするのではなく、ご門徒にお寺にお出かけいただき、本堂でご法事をお勤めいたします。必然、土日曜日のご法事が多くなります。
ですから、小さいときから、日曜日に親に連れられてお出かけということもほとんどありませんでした。
自分が子どもを持つ身となった今でも、日曜日の外出はありません。娘はまだ1歳8ヵ月ですから、「日曜日だから、どこかに連れて行って」と言うこともありませんが、幼稚園小学校に入れば、そう言われるのでしょうね。
 
しかし、10月10日の日曜日、ご法事だけでなく、まったく予定も入っていません。
朝から雨でしたが、朝食を終える頃には雨もやみ、「今日、出かけようか?」という話になりました。
自分で「今日、出かけようか?」と言いながら、内心ドキドキしていました。えっ、日曜日の朝から外出できるの?
 
井の頭動物園(井の頭自然文化園)に行くことにしました。
娘を連れて、1年ほど前にも行きましたが、その頃はまだなにも分かってなかったことと思います。どんな反応をするかも楽しみでした。
動物園入ってすぐ、パンダの置物がありました。「パンダコパンダ」のDVDを日ごろ見せているため、いきなりパンダの置物に夢中です。「この先に動物さんがいるよ」と言っても、なかなか動きません。
 
パンダの置物に飽きてから園内に入ると、モルモット・カモ・ヤギに会い、ゾウのはな子がいました。
すべての動物に「やぁ!」と呼びかけています。
境内に住み着くネコ(通称:ニャア)に触り慣れているためか、動物は恐くはないようです。
 

   
サル・リス・ヤマドリ・シカ・フェネック・アライグマに会い、モルモットを触らせてもらいました。
 

    
いろいろな動物に会いましたが、この世でもっとも危険で、好奇心旺盛な動物がいました。さて、なんでしょう。
 
 
  
娘は、動物園も楽しかったようですが、園内にある公園が楽しかったようです。滑り台・ブランコ・シーソーにつき合わされました。
井の頭動物園には、他にも小さな遊園地・長崎平和公園の平和祈念像を作られた北村西望さんの彫刻園もあります。
井の頭公園・吉祥寺の街とともに、とても楽しめます。
娘は疲れたのか、昼過ぎには眠ってしまったので、寺に帰ってきました。
初めて父親らしいことをさせてもらったなぁと感じた(娘はどう感じたかわかりませんが)、ありがたい一日でした。

2010年10月 2日 (土)

また 遇おうね

大好きなおじさんが亡くなられました。
 
おじさん といっても、母方の祖母のお兄さん。
 
101歳でした。

最後に会ったのは、5年ほど前だったかなぁ。
 
おじさんは、長崎中島川のほとりでラーメン屋さんを営んでいました(私が知っている頃は)。
 
おじさんが作るラーメンが、私にとって最高のラーメンです。
 
小学生の頃、年に1回、夏休みに長崎に行き、おじいちゃんと銭湯に行くこと・おじさんのラーメンを食べることが楽しみでした。小学生の頃は、ほぼ夏休み中長崎(母の実家)に滞在していました。
 
おじさんの作る とんこつラーメンとおでん。
カウンターだけのお店でした。カウンター越しにおでんがたくさんつかった鍋があって、好きなものを選んで食べました。味のしみた大根やタマゴ、美味しかったぁ。

お店に行くと、ラーメン2杯と 大根とタマゴのおでんを食べるのがお決まりでした。
     
母の実家から そう遠くないので、小学生ながら歩いて行けるのですが、私が黙って出かけるものだから、お腹いっぱいになって帰ると、家では私がいないということで大騒ぎになっているのでした。
 
以来、私がおじさんのお店でラーメンを食べていると、電話がかかってきました。
「かっちゃん来てる?」
「あぁ、来とるよ」  
(行き先をちゃんと伝えて出かけましょう)
 
私がお金を払おうとすると、
「よかよか」
って、結局、おじさんに代金を払ったことなかったなぁ。おじさん、おなかいっぱいご馳走になりました。ありがとう。
   
  
昭和57年 長崎大水害で中島川が氾濫し、川のほとりにあるお店や家は流され、その後の整地によって、ほとりにある家屋・お店は立ち退きとなりました。
おじさんの住まいは、別の所だったので無事でしたが、お店をやめることとなりました(その当時で お年だったので、別のところにお店を構えるのではなく、お仕事自体をやめてしまわれました)。
 
長崎の大水害は、私が小学生5年のとき。私が長崎に行った晩のことでした。ですから、おじさんのラーメンとおでんを味わったのは、小学4年のときが最後です。

今では中島川近辺も綺麗に整備されましたが、私にとっての中島川は、おじさんのお店を含めての景色しか思い出せません。ラーメンとおでんの味と、おじさんの笑顔とともに。
  
おじさんがお店をやめられて、おじさんの家に行くことは数えるほどしかありませんでした。
でも、たまに会いに行くと、涙を流してよろこんでくれて。別れるときには手を握り締めて、お互いまた泣きあって。

最後に会ったとき、「かっちゃん、元気なお坊さんになってね」と言われたことが、昨日のことのように耳の底に残っています。
  
ありがとう おじさん  また遇おうね

2010年10月 1日 (金)

2010年10月のことば

 Dsc_1429
 私の心の中にも
  「ありがとう」と
   お念仏の灯がともってくださる
      東井義雄

 
 
人生をやり直せたら、別の道を歩んでいたら…。不可能なことと分かっていても、そんなことを考えてしまう。
「人生をやり直せたら」と考えるのは、今に満足していないから、過去を悔やんでいるから。今に満足できず、過去を悔やむということは、「選ぶ道を間違えた」という反省・悔恨があることでしょう。
人生には、岐路があります。学校・会社・仕事・恋人・伴侶…どの道を選ぼうか。今までいくつもの岐路に直面し、越えてきました。その結果、今があります。しかし私は思います。岐路は確かにあります。でも、私が歩むべき道は、私が今まで歩んできたこの道しかないのだと。
他の道を選んでいたら、他の人生が開けていた。そんなことを想像してしまいますが、他の道なんて、元々ないのです。ある道は、私が今まで歩んで生きた、この一筋の道のみ。
「人生やり直せたら」と考えるのは、今への不満・過去への悔恨と書きました。さて、その不満・悔恨を、他のせいにしていませんか。
不満・悔恨を他のせいにしていますが、(私が発する)「ありがとう」の一言がなかったからでしょう。(私が発する)「ありがとう」の一言がなければ、たとえ人生やり直せたとして、再びやり直しを望むことでしょう。仮に、過去に戻って人生をやり直せたとして、決して満足することはありません。悔いが残らないということはありません。

【人身(にんじん)受け難し】
「ありがとう」とは、有ること難いということ。有ること難いとは、本来有り得ないというほどのことです。
なにが有り難いのか。人と生まれることは、とても稀なご縁です。既にこの身をいただいて、何年も生きていると、人と生まれたことも、何年も生きてきたことも、当たり前のことになってしまいます。有り難いことなどとは、考えもしないでしょう。
 
【人と遇(あ)い難し】
人に生まれることが稀ならば。人と人との出遇いは、もっと稀。人生のやり直しを望む原因を、他者に置く人もいることでしょう。嫌な奴・都合悪い人・会いたくない人。いろいろいるけれど、良いも悪いも、私の事情。でも、私の事情で生きていると、すべてのことが、私にとって都合の悪いものと化してしまいます。大切な人でさえも。
そんな私の事情はさておいて、稀なうえに、更に稀なご縁によって出遇う人々。そのすべての人々との出会いによって、今、私がいる。
「ありがとう」の一言を忘れて生きている私は、同じあやまち(「人生をやり直したい」と思うこと)を、何度も繰り返すことでしょう。
「ありがとう」の一言を忘れずに生きている人は、苦難の中にこそ、私が歩むべき道を見出すことでしょう。
 
【仏法聞き難し】
更に稀なこと。南無阿弥陀仏の念仏に出会うこと。念仏には、「ありがとう」の一言を忘れずに生きてきた人々の “喜び”が詰まっています。人と出遇えた“喜び”が。苦難の中に、私が歩むべき道を見出した“喜び”が。
「何事もありがたがりましょう」と言っているのではありません。私の想いを越えたなにかが、今、私に届いています。そのなにかを、阿弥陀といいます。有ること難い縁が、私となって表われています。その自覚から、自然と手が合わさります。
   
不満や悔恨が満ちた私の心の中に、「ありがとう」のお念仏の灯がともっています。 
    
 
※東井 義雄(とうい よしお)さん
1912年、兵庫県出石郡但東町(現、富岡市)の真宗寺院に生まれる。
32年に兵庫県姫路師範学校を卒業して40年間、県下の小・中学校に勤務。
ペスタロッチー賞(広島大学)、平和文化賞(神戸新聞)、教育功労賞(文部省)など数々の教育関係の賞を受賞。また、著書も共著を加えると100冊にものぼり、篤信の念仏者としても知られる。
91年4月18日、逝去。
(探求社・法蔵館発行「ほのぼのカレンダー」より)
 
   
   
 
今月のギャラリー
 
Dsc_1417
 
Dsc_1414
                  
   
         
西蓮寺の10月
10月13日(水) 13:30  聞法会(話:住職)
   25日(月) 13:30  コールリンデン(仏教讃歌を歌う会)
   26日(火) 14:00  白骨の会(仏教青年会)
   29日(金) 11:00  報恩講のためのおみがきの会
 
西蓮寺の11月
11月 5日(金) 12:00 報恩講(法話:海 法龍氏)
   17日(水) 13:30 聞法会(話:副住職)
   30日(火) 14:00 白骨の会(仏教青年会)

« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »

フォト
2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ