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2010年9月20日 (月)

自分の理想通りだとして、その背後にはどれだけの犠牲があることだろう

9月20日(月) お彼岸入りの日
  
朝7時過ぎ、参詣者用の外トイレの掃除をしていると、ご夫婦がお墓参りにみえました。
「早くからお参りにみえたなぁ」と思いながら掃除をしていると、トイレを使いにご主人が近づいて来ました。
 
「おはようございます」
「おはようございます。いやぁ、このお寺さんはきれいでいいですねぇ」
「ありがとうございます」
    
尋ねると、西蓮寺に墓地をお持ちの方ではなく、お友達のお墓をお参りにみえたとのこと。しかも、烏山寺町の他のお寺にも、別のお友達のお墓があり、そちらをお参りしてから西蓮寺にみえたとのこと。
 
「よそのお寺は散らかってましたか?」
「えぇ、木が多くてねぇ。落ち葉が散ってて、汚かったです。木なんか切っちゃえばいいのに。こちらは、木が少なくて、スッキリしてますねぇ。きれいで気持ちいいですよ」
 
・・・朝から嫌な気分です。
ゴミが散らかっていたというのならともかく、落ち葉が散らかって汚いって…。
毎日掃除をしていますから、「きれいですね」と言われることは嬉しいですが、落ち葉が散っていることと見比べて「きれいですね」というのは、正直感心しません。
落ち葉が散るほどの木々、贅沢な話ではないですか。
西蓮寺は、この数年でかなり木が減りました。建物や駐車場の整備をしたこと、落ち葉を燃やせなくなったこと、落ち葉の廃棄にお金がかかること、落ち葉の苦情が増えたこと等々、いろいろな事情が重なって木を伐採せざるをえませんでした。木が少ないのは、苦渋の決断の末です。
       
       
数日前、テレビで高尾山を特集していました。最近パワースポットとして有名な高尾山。
新宿から1時間以内で行けて、登山慣れしていない人でも散策できて、都内にありながら自然を満喫できるスポットです。小学生の頃、遠足で何度か登りました。
番組では、高尾山案内のガイドさんが、「東京にもかかわらず、自然が豊かなところが、高尾山の魅力でしょうね」と仰っていました。
 
高尾山と寺の境内を同等に語る内容ではありませんが、自然があっていいと言ったり、落ち葉が汚いと言ったり、身勝手さを感じます。

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