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2010年9月22日 (水)

「ありがたい」が、いつのまにやら「あたりまえ」

9月22日(水) お彼岸3日目
  
烏山寺町を、関東バスが循環して走っています(「西蓮寺前」にも停まってくださいます)。お彼岸やお盆など、お墓参りの多い時期には、バスに乗る人も増え、道路も渋滞し、必然バスに遅れが生じます。
今回のお彼岸も、バスは遅れ、時刻表通りには来ません。仕方の無いことです。
  
この寺町循環のバスは、通る道路の構造上、どうしても遅れが生じます。
それなのに、バスの運転手さんに苦情を言う人や、怒鳴りつける人がいるそうです。バスの営業所に、「運転手死ね」という苦情の手紙が届いたという話も聞きました。
運転手さんが、故意にバスを遅らせているのではないのに。
  
日本は、バスや電車など、ほぼ時刻通りに発車します。考えてみれば、ありがたいことです。
それなのに、ちょっと遅れただけでも、苦情を言う。「死ね」などと手紙を書く。悲しいことです。
「ありがたい」ことが「あたりまえ」になってしまっているのですね(K寺様、寺報届きました。いつもありがとうございます)。
 
いつも思うのです。
「渋滞の要因・時刻遅れの原因は私である」って。
苦情を言う方や手紙を書く方は、自分に原因があるなんて思いもしないことでしょう。
しかし、この私ひとりの動きが、全体への動きへと通じていきます。
バスや電車を利用する私がいるからこそ、バスや電車は運行する。そのことが渋滞へとつながるのですから、「私が渋滞の要因」です。
「バスや電車を利用するのは私だけではない。みんなも利用するじゃないか!!」と思われることでしょう。
「私も渋滞の要因」と言わないのがミソです。「私も」だと、責任を転嫁することになってしまいます。「私が」というところに立たなければいけません。
  
数年前のお彼岸に、こんなことがありました。
道路が渋滞して、車でお寺まで辿り着くのに、何時間もかかってみえた方がいます。車が寺に着いたときに、ちょうど私が駐車場にいたのですが、車から降りるなり「なんでこんなに混んでるんですか!!」と、殺気立った目で怒鳴られたことがあります。
その渋滞も、車を利用したあなたが起こしたのですよ(なんて、とても応えられませんでしたが)。
       
なんて話を、今朝、バス停でバスを待っている方とお話しました(毎朝お会いする方です)。その方は、私と話始める前から何分も待たされています。でも、「仕方ないからね」とおっしゃっていました。
この循環バス、9月27日から時刻表が変わります。パッと見て、本数が減りました。最終のバスも、1時間30分ほど早くなってしまいました。
「この寺町を通る路線は、道が狭くて、自転車は多くて、遅れに対して苦情を言う人がいて、運転手さん泣かせの路線なんだよ。運転手さんに感謝しなきゃなのに、成り手がいなくなっちゃうよ。バスの本数が減っちゃうのも、それだからかもしれないね。そんなことはないんだろうけど」と、その方。でも、私もそう思います。
   
公共の交通機関の遅れに対して、苦情を言うのは悲しいです。
混んでいる、遅れているときだからこそ、こころに余裕を持ちたいものです。 
「あたりまえ」のことって、「ありがたい」ことなのです。なくなってから嘆いても遅いですよ。

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