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2010年9月21日 (火)

お参りするご縁は 南無阿弥陀仏と称えるご縁

9月21日(火) お彼岸2日目
 
お彼岸2日目といっても、お彼岸前の話なのですが・・・
ドアフォンが鳴り、玄関の扉を開けると、見知らぬ方が立っていました。

「お尋ねしたいことがあるのですが」
「はい」
「お彼岸にお墓参りに出かけるつもりなのですが、都合のつく日が仏滅なのです。仏滅にお墓参りをしてもいいものなのでしょうか」 
   
 あぁ、ここにも六曜に縛られている方が・・・
 なにも気にすることはないのに・・・ 

「どうぞ何も気になさらず、お参りなさってください。お参りされるお気持ちが尊いのですから」
「そうですか、よかった。ありがとうございます」
 
その方は安心した様子でお帰りになられました。
 
六曜は、中国で考えられたことと言われています。私たちが気にするようなことではありません。
それに、元々の意味と、現在言われている意味とでは大きな違いがあるそうです。
結納や結婚式など、祝い事を「大安」にする方は、今でも多いようですが、「大安」は「大いに安んずる日」だそうです。安む(休む)ことによって、吉事が起こるのです。結納だ結婚式だお祝い事だといって賑やかに過ごすのは、元々の意味の「大安」に反することをしていることになるのです。だから・・・
なんて書くと、「気にすることはありません」と言いながら、気にしているようですね。度々お尋ねがあるので、一応は調べているのです。
 
それにしても、「大安に祝い事を」「友引に葬儀は出さない」は聞いたことはありますが、「仏滅にお墓参りはしない」は、初めて尋ねられたような気がします。お亡くなりになっている方をお参りするのですから、六曜を気にするのであれば、仏滅こそ相応しいのでは?などと思ってしまいました。
 
なにごとも、六曜を気になさらず、生きてください。
限りあるいのち 六つの内容に縛られて生きるなんて、もったいないと思いませんか?
      
   

 
お彼岸2日目が終わりました。
が、2日目とはいっても、お彼岸の入りが月曜日だったので、土日曜日にもたくさんの方がお参りにみえました。実質4日目が終わったような疲労感です。
夜、ベットに横になり、瞬間寝てしまったようです。
次の日の朝、妻に言われました。「あっという間に気配が消えたわよ」

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