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2010年8月29日 (日)

続 副住職の頭の中

寺報7月号に「副住職の頭の中」という題で文章を書きました。単発のつもりでしたが、もう少し書きたいことがあったので、8月号にもその続きを書きました。
 

「私は、人間は、自分で生まれたいと思って生まれてくるのだと固く信じています」という想いをきっかけに、先月「副住職の頭の中」を書きました。続き物を書くつもりはなかったのですが、いろいろと想うことがありましたので、今月もお付き合いください。
   
「自分で生まれたいと思って生まれてくる」とは いっても、「生まれたい」という思いだけでは成就しません。「生まれてほしい」という願いがあるからこそ、生まれてくることができます。
善導大師がお示しくださったおことばです。
「既に身を受けんと欲するに、自の業識を以て内因と為し、父母の精血を以て外縁と為す、因縁和合するが故にこの身あり」(善導大師『観経疏』「序分義」)
「生まれたい」という思いと父母の縁が和合して、今、この身があるのです、と。
育児放棄をした母親が逮捕されました。2人の幼いいのちが亡くなりました。子供たちは、食べ物以上に、親の愛を求めていたことでしょう。育児放棄をした母親は、子供の誕生に喜びを感じていたと伝えられています。この手のニュースがあると、「ひどい親だ」という声が必ず聞こえてきますが、どんなに可愛い子どもであっても、いや、我が子だからこそ、腹が立つということもあります。関係が近いだけに、綺麗ごとだけでは済まされない現実があるのです。そのようなときに、面倒を見てくれる親や友人、隣人がいなかったのか。本当に育児をする気がなくなったのなら、引き取ってくれる施設もあります。心が苦しいです。
「生まれてほしい」という願いと「生まれたい」という願い。親子の関係で考えると、前者は父と母、後者は子供ということになります。しかし、哀しいことに、人間感情の世界では、「生まれてきてくれてありがとう」「生んでくれてありがとう」という情だけでは上手くやっていけない現実があります。「どうして生まれてきたんだ」「なんで生んだんだ」という想いと紙一重です。
  
「生まれてほしい」という願いと「生まれたい」という願い。私は、前者は阿弥陀如来、後者は私と引き受けています。「生まれてほしい」という阿弥陀如来の願いと因縁和合して、今、この身を生きています。
ということは、私(白山勝久個人ということではなく、誰であっても)がいるということは、阿弥陀の願いが成就しているということ。「南無阿弥陀仏とお念仏申したら、どんなご利益がありますか?」と問われますが、念仏を称えたことによるご利益なんてありません。念仏称える身があるということがご利益です。「真宗の救いとは?」と尋ねられ、「今、この身があることです」と必ず応える私。すると、「そんなことあるわけない」と言われてしまいますが。
 
生きとし生けるもの、いのちあるもの、そのいとなみは、波に似ていると感じます。海に生じる波。形も大きさもみんな違う。癒しを与えるさざなみもあれば、いのちを奪う津波もある。けれど、どちらも波。波は、すぐに海と一味となり、またいつか波として生じる。海とは、阿弥陀如来の願い。「どうか生きてほしい」。その願いの中から生じる波(いのち)。色も形も能力も、みんな違うけれど、みんな同じいのちを生きている。背景には阿弥陀如来がいる。
 
親と子は、肉体だけ考えれば、父と母それぞれの個体があって、子供という個体がある。独立したもの。しかし、受精によって生じ、受精によっていのちを伝えていくのだから、独立しているとも言い切れない。親であっても子であっても、同じいのちを生きている。連綿と続くいのちを、それぞれの形でもって表わしている。海から波が生じるように。波として生じるのに、ほんのちょっと時間差があっただけのこと。
 
波は、他の波を波として認識しないけれど、人は、他の人を人として認識できる(関心を持てる)。親として、子として、この大海原で、出遇うはずのなかったものどうしが出遇い、共に歩む。親であっても、子であっても、生まれてほしい、生きてほしいという 願いに包まれながら。(了)

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コメント

> 続き物を書くつもりはなかったのですが、

続いた今だから言えますが…、私は勝手に、「人はみな自分で欲して生まれている」のあと、「人は誰でも願われて生まれている」という話が続くもの…と思っていて、途中で止まっちゃったのかなぁ~と思っていましたが、元々は続けないおつもりだったのですね。それはそれで、おお、なるほど、と思いました。

私だったら、多分、さらに、親鸞聖人の使われる「信」という言葉は、日常私たちが使っている「信」という言葉と意味が少し違っているかも知れません…等と、長々続いてしまうのかと思いますが、最初の一つで止めておくというのも、それはそれで、よいですね…

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