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2010年8月30日 (月)

私がやりました

足の小指をどこかにぶつけたり…
 
クモの巣に顔ごと突っ込んだり…
 
手に持ったアイスコーヒーをこぼしたり…
 
野菜を切っているときに、自分の手を切ってしまったり…
 
食事中自分の唇を自分で噛んでしまったり…
          
日常、ちょっとイラッとくるときがあります。そんなとき、「私がやりました」とつぶやいてみることにしました。8月は、自分の中で密かに「私がやりました月間」キャンペーンを展開していました。
すると、「私がやりました」とつぶやくことの多いこと 多いこと。先に書いたことのほかにも、
        
じゃれる娘から頭突きをくらったり…
    
妻の一言にカチンときたり…
    
すれ違う人とぶつかったり…
           
運転する車の前を自転車が横切り、轢きそうになったり…
     
喫茶店で、座った席に水がこぼれていて、ズボンに染みてしまったり…
   
ちょっと思い返しただけでもゴロゴロと。覚えていない事柄も、もっとあったわけです。でも、「私がやりました」とつぶやいてみると、イラッとくることも、カチンとくることも、カッとなることも、不思議とおさまってしまいます。「あぁ、私がやったんだもん、仕方ないよなぁ。ドジだなぁ」って、けっこう笑えます。
 
すべてを自分のせいにする、そう思えるようになる。ということをしようというキャンペーンではありません。
前半の5つなんかは、あきらかに自分のミスだから、「私がやりました」とつぶやけるかもしれません。
でも、後半の5つなんかは、「私がやりました」とはつぶやけないのではないか・・・。
と、思われるかもしれませんが、物事の道理を思うと、私にも責任があるんだなぁって感じるわけです。
  
じゃれる娘が頭を振った先に、私がいたわけです。娘だって痛かったことでしょう。
  
妻がカチンとくる一言を発するということは、私のなにかが気に障ったのでしょう。 
 
私にぶつかって来た人は、その人からすれば、私がぶつかっってきたわけです。 
  
轢きそうになった人は、その人からすれば、私に轢かれそうになったわけです(実際に轢いてしまっていたら、この文章を書けていたかどうかわかりませんけど)。 
 
水が零れていることに気付かない私にも、ミスはあるわけで。他にいくつも座る場所があるのに、そこを選ぶなんて、何かの縁でしょう。
 
物事の道理…すべては縁によって起こる。イラッとくる気持ちはなくせないけれど、「私がやりました」とつぶやくと、お釈迦さまが見出された事実に出遇わせていただける。8月はこころ豊かな月でした。9月以降も続けるのか?…さて、どうしましょう
 
「私がやりました」とつぶやいてみることはお勧めです。気持ちに一呼吸おけるからよかったのでしょうね。

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