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2010年8月 1日 (日)

2010年8月のことば

 Dsc_1300
 後世に残るこの世界最大の悲劇は、
  悪しき人の暴言や暴力ではなく、
  善意の人の沈黙と無関心だ
        キング牧師

        
人種差別と戦い、公民権運動に心血を注がれたキング牧師(マーティン・ルーサー・キング・ジュニア 1929~1968)。
彼の目には、差別する者と差別される者とが見えていて、世界最大の悲劇とは、今、現に行われている差別ではなく、差別される者が、このまま声を挙げることなく、沈黙を続けていくことだと訴えたのでしょう。沈黙と無関心…それが、世界最大の悲劇を、後世に残してしまう、と。
マザーテレサの「愛の反対は憎しみではなく、無関心です」ということばも思い起こされます。
憎しみといえど、そこには関心が ある。憎しむ対象の存在を認めているという点で、憎しみにも愛は内包されています。無関心は、関係性を断ち、他者を苦しめるだけでなく、結局は自分にも返ってきます。すべての者を苦しめるのが、無関心なのでしょう。
 
無関心が世界最大の悲劇を生み出す。無関心であるということは、そこに感動も感謝も生まれません。無関心である者に、どれだけ愛情が注がれても、慈悲のこころで包まれても、その喜びにひたることはないことでしょう。
   
年々雨による被害が増えているような気がします。降水量が増えたというよりも、雨のしみこむ大地がないことが、被害を大きくしているのではないでしょうか。森林の伐採により、地面にしみこむはずの雨が山から川へと一直線に流れ込む。都市部はアスファルトで地面が覆われ、雨がどこにもしみこまずに家屋を浸水する。大地や生命に潤いを与える雨が、どこにもしみこめず、危害を与えています。
潤いを与える雨を受け付けない地面は、現代人を感じさせます。人との関係を断つ無関心。感動も感謝もなく、溢れんばかりの恩に気付かずに生きています。そう、生きているということは、たくさんの恩(潤い)が溢れている中を生きるということ。そのことに気付かず、こころはどんどん干からびていく。それでいながら、この世には温もりや優しさがないと愚痴をこぼす。溢れんばかりの潤いを、こぼしながら生きているのに。
   
人は、善悪をハッキリつけたがります。さて、悪とは何でしょうか。善とは何でしょうか。
チャップリン(1889~1977)が戦争を風刺した映画「殺人狂時代」に、「一人の殺害は犯罪者を生み、百万の殺害は英雄を生む。数が(殺人を)神聖化する」というセリフがあります。殺人は犯罪ですが、戦争という場において人を多く殺すと英雄とたたえられる。もちろん、どのような場・時代であっても、殺人に変わりはないのですが、戦争は人を狂気に導きます。今、悪とされることも、戦争が始まれば善となることもあるでしょう。戦争とまではいかなくても、私自身の立場や生活環境が変わったとき、私の中の価値観が転換してしまうということは、よくあることです。善悪白黒ハッキリつけてしまいがちですが、そんなに単純なことではないのです。
 
相手のことを想って発したことばを暴言と受け取られたり、相手のことを想ってとった行動が暴力と受け取られることがあります。相手のことを想って、黙って見守っているつもりが、無責任だと受け取られる事もあります。
悪だの善だの言いますが、悪も善もないのです。あるのは、ここに人がいるという事実です。人は、時や場合によって、対する人によって、私自身の気分によって、悪でもあり善でもある私を生きているのです。
  
ことばは、人をすくうこともあれば、人を傷つけることもある。そのことをこころに留めながら、寺報を書いています。
   
   
 
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