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2010年5月 7日 (金)

真実は通底している

4月28日から5月10日まで、日本橋三越にて「親鸞展」が開催されています(以前お知らせした「親鸞展」とは別物です)。
 
今年のゴールデンウィークは(も)、毎日何かしら用事があって、どこにも行くことなく過ごしました。
5月6日 珍しく何も予定が入ってなかったので、日本橋三越へ「親鸞展」を見に行ってきました。
4月29日の西蓮寺永代経法要にご参詣の方に、この「親鸞展」の割引チケットをお渡ししました。「親鸞展」に出かけられた数名の方から、「行って来ました。親鸞聖人のご生涯を知ることができて、とても良かったです」と、皆さん口を揃えて言われました。なので、「親鸞展」に行くのがとても楽しみでした。
    
妻と娘と出かけました。遠出するときは車が多く、娘(1歳3ヵ月)は電車に慣れてなくて、車内が恐いようでした。なだめながら「三越前駅」(銀座線)を目指したのですが、ひとつ手前の「日本橋」で限界を向かえ、降りました。とはいっても、歩いても3分ほどの距離。天気も良かったので、散歩気分で三越に向かいました(同じ車中に乗り合わせた方、申し訳ありません)。
 
11時半頃三越に着きましたが、会場(新館7階)に行ってビックリ。大勢の人で、券売り場も並んでました。
「連休も明けたし、すいてるかもね」なんて思いながら出かけたので、人の多さに驚きました。でも、こんなに親鸞聖人に関心を持っている人がいるんだと思うと、嬉しくなりました(五木寛之さんの『親鸞』の影響も大でしょうね)。
 
すぐに会場に入らず、先にお昼を済ませることにしました。本館屋上のガーデンで昼食をとりました。日陰がなくて暑かったけれど、娘が騒いでも気にすることがなかったので、ゆっくりお昼を食べられました。北海道展も開催されていたので、その中のお店のプリンを買って、デザートにしました。
初夏のような日差しの中、お腹がいっぱいになり、このまま帰りそうになりました。
 
12時半頃 会場に戻ると、午前中に比べて人が減っていました。それでも会場の中に入ると、けっこう人がいました。お昼を済ませた娘は、会場内に入るとすぐに寝てしまいました。ベビーカーOKだったので、寝ている娘を乗せ、ベビーカーを押しながら観覧しました。人が多くて狭くなっている中、ベビーカーを押していたのは私です。ご迷惑をおかけしてすみません。でも、ゆっくりと味わうことができました。
 
展示は、聖人の生涯を丁寧に追っていて、とても分かりやすかったです。展示方法・順番、生涯の説明、語句解説など、どなたが中心にされたのでしょうか。なまじ知っている業界人ではなく、聖人に対する想いを抱いておられる方の手によるのだろうなと感じました。みんなに見てもらいたいという気持ちが伝わってきました。見ていて嬉しかったです。
「親鸞がそこに、いる」というコンセプトだったそうですが、「そこに、いる」と感じました。
    
話は逸れますが、只今私は「親鸞聖人に人生を学ぶ講座」の講師をさせていただいています。講座開催に先立ち、講師陣の勉強会があったのですが、
「親鸞聖人“の”人生を学ぶ講座」ではなく、
「親鸞聖人“に”人生を学ぶ講座」であることをシッカリしておかないといけない、という共通認識を確認しあいました。
どういうことか分かりにくいかもしれませんが、
「親鸞聖人の人生を学ぶ」歴史講座ではなく、
聖人の教えを聞くことを通して(「親鸞聖人に」)、私自身の生き方を見つめる(「人生を学ぶ」)のです。
私自身も、そのつもりで講座で話しはじめました。しかし、始めてみて、そんなことは思い上がりだったと感じました。講座にお集まりの方々は、聖人の人生を知ることを通して、自分のことに引き当てられます。初めからこちら側が、“の”じゃなくて“に”、なんて決めることはないのです。
聖人が比叡山で苦労されたこと、越後に流されたこと、関東にお住まいだったこと、晩年にほとんどの著作を残されていたこと等々、なまじ知っている業界人は、「これくらいは、もうみんな知っていること」と、勝手に決めつけています。しかし、「もう知っているだろうな」というところから始まるのです。聖人の生涯に触れ、そこから聖人に対する興味が湧いてくるのです、もっと聞きたいと思われるのです、いろいろと考えられるのです。“の”から“に”になっていくのです。
話を重ねていくうちに、時間の前半は聖人のご生涯を押さえ、後半は私のいただきを話させていただくようになりました。
ということがあったので、「親鸞展」を見て「あぁ、いいなぁ」と、肌身で感じていました。
     
「親鸞展」 個人的には、昨年の報恩講の「坂東曲(ばんどうぶし)」のビデオが流れているのがよかったです。放送しているテレビのそばでは、展示を見ながら坂東曲のお念仏の声が入ってきます。こころ躍るエリアでした。
それから、東本願寺渉成園内 園林堂のご本尊 阿弥陀如来立像が展示してありましたが、カバンの中の念珠を取り出して、思わず手が合わさりました。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
    
展示を見終え、妻も「とっても良かったね」と言ってました。
今回のもうひとつの目的、親鸞聖人のフィギュアも買いました。「そういうものを作るんじゃない」とお怒りの方もいると思います。私も、「親鸞展」HPにフィギュアを作ったと書いてあるのを見て、最初は「なんだかなぁ」と思いましたが、見ているうちに、こころ惹かれてしまいました。東本願寺主催の展示会だったらありえなかったでしょうね。
    
とても満足して、三越を後にしました。
日本橋三越での展示は、5月10日までです(以後、全国を周るようです)。行ける方は、ぜひお出かけください。
    
三越を出て まだ時間も早かったし、天気もよかったので、銀座まで歩くことにしました。娘は、会場を出た頃に目覚めました。
 
銀座まで歩いて、少し銀ブラして帰ろうかと思ったのですが、銀座手前でふと右を見ると、東京国際フォーラムが目に入りました。
冗談で「相田みつを美術館に行こうか!」と言うと、妻から「いいねぇ、行こう!」の返事。目的地を銀座から東京国際フォーラムに変えました。展示会のハシゴです。
  
東京国際フォーラムの相田みつを美術館では、「第44回企画展 おかげさん-相田みつを・書とエッセイの世界-」を開催していました。 
相田みつをさんが雑誌に、書とエッセイを連載していたときがあります。そのときの、あの独特の書と、その横に手書きのエッセイ(コピー)が展示されていました。
美術館には何度か来ていて、本も持っているので、「書」の方はほとんど見たことがあるのですが、相田みつをさん手書きのエッセイは、初めて見ました。マス目のある原稿用紙に、万年筆で、一マス一マス丁寧に字を書かれていました。推敲を重ねられて、文字を書き直す場合も、一字一字丁寧に丸く塗りつぶされていました。性格の真面目さを伺えるものでした。
  
何度も見たことがあるとは言っても、見るたびに「書」から感動を受けますが、エッセイも素晴らしいです。ゆっくり読んで歩きました。こんなにもことばに向き合った人がいるんだなぁと、感動しました。相田みつをさんのエッセイに、何度か親鸞聖人のことが書かれていました。おしえというものは、真実というものは、普遍のものなんだなぁと感じました。
広い美術館なので、娘が声を上げながら走ってしまいました。館内にいた皆さん、申し訳ありません。優しい目で見守りくださり、ありがとうございます。 
第44回企画展は6月13日(日)までです。
       
「親鸞展」と「相田みつを美術館」
GW明けのひと時に、素晴らしい時間をちょうだい致しました。休みは一日だけですが、とても満足です。
 
まだ電車に慣れない娘は、帰りもはしゃいでました。
夜、疲れて早く寝るかなと思っていたら、興奮して遅くまで寝付けませんでした。ごめんね美穂
  

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コメント

> 聖人が比叡山で苦労されたこと、越後に流されたこと、関東にお住まいだったこと、晩年にほとんどの著作を残されていたこと等々、なまじ知っている業界人は、「これくらいは、もうみんな知っていること」

であっても、何かこみ上げるものがありましたね。大変良い展覧会でした。

私は連休中に行きましたが、すいていました。(もっとも一階のエレベータのところにいた店員さん同士は、エレベータが満員、今日は人が多いね…親鸞展やってるから…とお互いに話していましたが。止まる階が一階と会場の階、しかし満員というので分かるのでしょう…)。もっとも、同じ連休中でも数日後に行った両親は混んでいたがすごく良かったと言ってましたので、右上がりにより一層盛り上がったのだと思います。

> 今回のもうひとつの目的、親鸞聖人のフィギュアも買いました。「そういうものを作るんじゃない」とお怒りの方もいると思います。私も、「親鸞展」HPにフィギュアを作ったと書いてあるのを見て、最初は「なんだかなぁ」と思いましたが、見ているうちに、こころ惹かれてしまいました。東本願寺主催の展示会だったらありえなかったでしょうね。

私も心は惹かれました。が、買って帰ると、連れ合いから「打敷と本体だけあって、どこに置くの。庭に六角堂建てんの?」等言われ、「ああ建てるとも、そんなこと言うなら、鍵かけて、お賽銭もらわないと見せてあげない、お賽銭はへそくりにしますっ、鍵は一子相伝っ」等、もめることが予想され、買ったは良いが、その後、ほこりをかぶる、捨てることもできず…となることを想像して、気持ちを押しとどめました。

別コメントに書きました越後の、一つの地域にいくつもあるという、伝親鸞聖人お手彫りの親鸞像ですが、その後、考えたら、蓮如上人のご遺言に、名号本尊を勝手に書いちゃ駄目っとかあったように思うので、伝親鸞聖人お手彫りになっているのかな…と思いました。勝手に作ってませんっと。

地域の真言宗(ご本尊が阿弥陀如来一尊)のお寺に置いてあったりするものも安全策(?)。


> 個人的には、昨年の報恩講の「坂東曲(ばんどうぶし)」のビデオが流れているのがよかったです。

あれは、よかったですね。

多分、覚如上人は、”訛ったり”、抑揚をつけたり、大声を張り上げたり、楽器の伴奏が入ったり、踊ったり…は、なんというのか、邪道と思われたかとは思いますが…

『祖師の御意巧としては、全く、念仏のこわいき、いかように節はかせを、定むべしという仰せなし。』

は、文脈からすると、多分、節譜(博士、墨譜、節博士)を書いてないんだから、歌うものではないっ!という意味なのでしょうが、その理由はどうかなぁ…と正直には思います。

そうではなくて、日本全国、津々浦々、たとえば、浄土宗の各ご宗旨のいろいろなお寺というか地域、河原に九品仏の道場を建てて、あるいは、真宗高田派のお寺によっては、報恩講のお逮夜法要でお念仏を歌いまくり、踊りまくりとか…、昔なら、歌いまくり、踊りまくり…というのは、大変に盛んだったはず。お念仏ともうしますか、歌いまくり、踊りまくりながら、そのまま、回向も歌いまくり、踊りまくりで突入、願以此功徳、平等施一切、同発菩提心……そこでさらに七五調で、そのときそのときローテーションで何か歌い、踊り、さらに、まだ踊る、歌う…という行事(?)は、日本中にあったはず…。

なので、逆に博士がなかった(色々ありすぎた)、それは自由で良いじゃん…というのが、実際だったような気がします。分かりませんが。

なんだか意味づけがよく分からないからやめましょう…みたいなことは、寂しいことですね。

抑揚と言うと……

笑いと涙で伝える仏の教え
午後 2:00~3:00 5月17日(月)教育テレビ
出演:淨念寺住職 藤野 宗城   
ききて:西橋 正泰

抑揚を付けた節回しで時には笑わせ、時には涙を誘いながら、仏の教えをわかりやすく説く「節談説教(ふしだんせっきょう)」。滋賀県・淨念寺の住職・藤野宗城さん(69歳)は数少ない継承者。「仏の教えは全身で感じるもの。説教は心の悪いところに気づいてもらう道しるべ」と語る藤野さんが節談説教にかける思いとは?


もございますね。

> 東本願寺渉成園内 園林堂のご本尊 阿弥陀如来立像が展示してありましたが、カバンの中の念珠を取り出して、思わず手が合わさりました。

私としては、名号を中心に、右に聖徳太子の御絵像、左に法然上人の御絵像の展示にして欲しかったなぁと思いました。

古代ローマ展などでは、当時はこういう配置だった…等あると思うのですね。CGとか、配置図とか、地図とか…。

そういう意味では、当時の念仏道場、つまり本願寺からご本尊を受けて、寺院化する前はどうだったのか、再現図とか欲しかった。

まあ、わざと、名号、聖徳太子の御絵像、法然上人の御絵像はばらかして展示していたのかも知れませんが。何らかの意図や、配慮があって…。分かりませんが。

東方正教会の各家庭にあったイコンとか展覧会されても、ただ、無秩序に並べられるよりも、各家庭でどうしていたのかの再現があった方が感動は深いと思うのですね。仏教で言えば、各地の博物館にある、古い、金沢仏壇・高岡仏壇・城端仏壇・福井仏壇・三河仏壇・尾張仏壇……を集めてただ並べられても仏具店の新品の展示室を見ているのと等しくなってしまいますが、展示法によっては、感動的な展示になり得ると思います。

儀礼も通底している(?)

NHKの世界遺産のテレビ番組でニューカレドニアをやってました。

フランス人がバカンスしている島ではなくて先住民族が住んでいる島があり、取材させて下さいと最初に贈り物をします。ホープだかハイライトだか二箱。カートンじゃないです。40本。

よそ者に対して警戒心が強いとのこと。で、村のリーダーが「うーーーん」と考えて、みんなで睨み付けているのですが、しばらく考えて、「分かりました。あなた方を私たちの村に歓迎しましょう」と。

で、なんでタバコ二箱の他にタオル一枚を贈与しているんだと疑問に思っていたのですが、しばらくして分かりました。

タオルでタバコを柏餅状にくるんで、最初、ちらっとめくって爆弾とかではありません、タバコですと見せてから、もう一度柏餅にして、机の上を、両手で滑らして出すんですが、

おおーーー、考えたら…

ふくさ

だっ!

お互いに直接に手で触れたら失礼なんですね。多分、世界中で何万年か共通の儀礼なんでしょう。

なお、この先住民族の方々、パソコンやらモーターボートやらお持ちのようです。

タバコ2箱はあくまでも儀礼。

純粋贈与。

☆theotherwindさんへ
親鸞さまフィギュアは、私がブログで書いたことにより、数名の坊さんが購入に走ったようです。「買いました」のメールが多数届きました。
本山的には、発売されてしまったものは仕方がないので(本当はして欲しくなかった)、丁寧に扱って欲しいと心底願っているそうです。

> 親鸞さまフィギュアは…

(^o^)

杖の位置が手前に移動、お念珠を持たれた手が下に移動しているのは、お若いときに関東におられたときには、いつ、熊がやってくるか分からない(?)からか、準備しているかららしいですね…。

即、杖を手に取れるというお姿が関東では自然に見えた(そういうお姿が目に焼き付いていた)という話だそうです。

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