« 真実は通底している | トップページ | 親鸞さまがおわします⑤ »

2010年5月26日 (水)

この場だから語れること

5月25日(火)
西蓮寺仏教青年会「白骨の会」を開催しました。参加者は2名。私も含めて3人。日々思うこと・映画や本や漫画の話・普段しないような真面目な話・この場だから語れる悩み等々、参加者は少ないけれど、だからこそ濃厚な話を3時間ほど語り合いました。 
この場だからこそ語り合えるという気持ちで語り合っているので、その内容については書きません。参加者の一人が言いました。
「こういう話って、家族とか普段遊ぶ仲の良い友達とかとはできないですね」。
こういう場で、月に一度 会うか会わないか程度の関係だからこそ語れることってあるなぁと思いました。
   
寺での語り合いを終え、千歳烏山駅近くに出て、お酒を入れての二次会です。
ふとこんなお題が出ました。
「もしも、“どこでもドア”があったら、この世の中はどうなるか?」
 
交通関連や流通の仕事はなくなるね。
会社や学校へ、どこでもドアで行けるようになったら、会社帰りに一杯呑んでいこうなんてこともなくなるかもよ。そうなると、飲食関連の仕事も辛くなるよね。
じゃぁ、使える人を警察や救急程度に限定したらいいんじゃないかな。
そういう人たちが、プライベートで使うかもしれないよ。
どこでもドアの使用履歴が見られるような機能をつければいいんじゃない。
便利になるための道具だけど、結局便利じゃなくなっていくよね。
       
なんてことを話してました。
ドラえもんの道具のひとつをピックアップして、「もしこの道具があったら」という題で話を進めていくのも面白いねなんて話してました。
その流れで、「ひとつ願い事が叶うとして、何を願う?」という話になりました。
 
「何を願うか」 個々の願いを語り合うことが目的ではありません。
いろいろな願いが考えられるけれど、その願いが叶うということがどういうことなのか、ということを語り合いました。
白骨の内容には触れませんが、例えば、自分の欲しいものが手に入った場合、それだけで満足できるのか。私が欲しいものを手にしたがために、他の誰かがそれを手放すことになるかもしれない。「○○が欲しい」と願うけれど、大きさとか色とか厳密なところまで自分の思うとおりになるのか分からない。
 
特に結論を出すわけではありません。今思うことを、自分のことばで語り合ってます。そんな会です。もしよろしかったら、ご参加ください。次回は6月29日(火)午後2時からです。
 
もうひとつ
「ドラえもんの道具で、ひとつ手に入るとしたら何が欲しい?」という題も出ました。
「四次元ポケット」と答えた欲張りな私です。

« 真実は通底している | トップページ | 親鸞さまがおわします⑤ »

コメント

ご無沙汰いたしております。偶然にも、私も若住職と同じことを考えておりました。「ドラえもんがいてくれたらなあ」と思うことはしょっちゅうです。でも少しだけそんなことを考えると、気持ちがいくらか楽になるのです。ドラえもんは私にとって癒しの存在ですね。

☆がくさんへ
お久しぶりです。
ドラえもんは、不思議な存在ですね。
そんなの夢だよ、漫画だよ、非現実的だよ、と思いながらも、こころのどこかで、「でも…」と思わせてくれます。
阿弥陀さまみたいな存在です。

そういうおつき合いができる場というのは貴重ですね。私の場合ですと、大学の同期(ゼミが一緒とかではなくて、そうではなくて、単に一年生の時のクラスが一緒)、と、会社の同期(事業部がてんでんばらばら、入社したときの最初の3ヶ月の教育が一緒だっただけ)という集まりが多分似たような感じなのだと思います。

存外、話題が濃く、尽きないんですよね。

不思議なんですが。

今の利害関係がないということはありますが。

> 存外、話題が濃く、尽きないんですよね。


いわゆる共通の話題…がはなからないから、一生懸命話すから…なんでしょうね。年齢が同じ、そこそこみんな人生経験がある…、ということはあるのでしょう。

少人数の集まりは良いですね。聞法会に東京新宿京王デパートの地下で買った金沢の森八の千歳というお菓子を持っていったら喜んでもらえました。

おいしいですねぇと言って頂いてから…

http://www.morihachi.co.jp/03product/index.html

森八家に伝わる歴史的名菓

「千歳」(ちとせ)

加賀一向一揆の兵糧に端を発する歴史を持ち、長生殿と並ぶ森八の伝統名菓

正式名は古くより「千歳鮓(ちとせずし)」と称し、16世紀、加賀一向一揆の一向宗徒たちの兵糧にその起源をもつと伝えられる歴史的名菓でございます。 森八家の始祖亀田大隅が、金沢近辺の一向宗徒たちの指導者であったことから、それが森八家家伝の保存食となり……

の説明をしたら「えっ!」と驚かれましたが、実際には流石に、元のレシピのまんまではなく、現代のものを昔にそのまんま食べていたということはないでしょう(^0^;)。こんなにおいしいものではなかったと思います。

京都の松風も、端からあんなにおいしくなかったと思いますという話になりました。

但し、紅白の和菓子でありながら、和紙に包んであるだけで、2週間日持ちするという和菓子は、現代でも大変便利です。欠点としては求皮なので、軽いかと重うと、意外に重いので20個入りとかですと、持っていく距離によってはかなり荷物になります。あと、一個でずっしりお腹いっぱいにはなりますね。


http://www4.city.kanazawa.lg.jp/17003/dentou/bunka/wagashi/index.html

金沢和菓子の歴史背景

京都や島根県の松江と並んで、金沢は全国的にも知られている和菓子どころです。その三つの土地に共通しているのは、いずれも、古くから茶の湯の文化が発達していた場所だということです。

金沢は、藩祖利家から始まる歴代の藩主が茶の湯に大きな関心を持っていました。

[略]

加賀藩が力を入れた茶道の影響で栄えた和菓子の文化は、次第に一般庶民へと広まり、金沢の地に独特の菓子文化が根付いていきました。市民にも和菓子が浸透
していった要因は、真宗王国といわれる信仰心の厚い土地柄が挙げられます。宗教行事とともに、和菓子は庶民にも欠かせないものとなっていきました。

金沢では昔から、報恩講の際に落雁や餅、饅頭、最中が盛大に供えられました。それらは仏事の後、参加者に分け与えられ、門徒の楽しみともなっていました。
また、法事や僧侶の月参りでも和菓子は必需品であり、参詣日にはお寺が参詣客のために茶菓子を用意します。門徒と寺院の間で行われる行事には必ずと言っていいほど和菓子が登場するわけです。茶の湯は和菓子を洗練した芸術として質を高めていき、仏事による和菓子の必要性は、広く大衆的な和菓子の普及を促していったのです。

=================

担い手、人あってこその文化ということですね。お菓子はお互いにおもてなしする人々の関係、社会があってこそあると。


コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 真実は通底している | トップページ | 親鸞さまがおわします⑤ »

フォト
2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ