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2010年5月

2010年5月28日 (金)

親鸞さまがおわします⑤

【第5回 比叡の山での修行(2)】
  
範宴(親鸞聖人)は、比叡の山で厳しい修行に努めました。しかし、入山から10年ほどの歳月が経ち、19歳を迎える頃になっても、衆生救済の道は見出せません。修行の方法が間違っているのか…救いの道を見出せず、範宴は悩みます。
観音菩薩の化身と伝えられる聖徳太子に、自分の悩みをぶつけるため、磯長(しなが)にある聖徳太子廟に参詣し、籠られました。
籠り始めて2日目の晩、範宴は夢を見ます。聖徳太子が夢に現われ、範宴に伝えます。
「あなたの寿命は、あと10年あまりです」
その衝撃的な夢に、範宴は目を覚まします。
「私の寿命は、あと10年…」
自分の寿命を告げられた範宴は驚きます。比叡の山に入ってからの10年、私は何をしてきただろう。残り10年という時間で、私は何が出来るのだろう。過去を悔い、未来を悩む範宴は、得度の際に慈円和尚の前で詠んだ歌を思い出していました。
   
明日ありと 思う心の あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは
    
「たった一夜の嵐で、美しく咲き誇っていた桜も、すべて散ってしまうこともあります。明日があると思っていても、その明日は、もう来ないかもしれません」
   
得度はまだ早いと諭す慈円和尚に、私はなんと大それたことを言ったものだ。それにも関わらず、得度を認めてくださった慈円和尚。私は、得度を志したときの想いを持ち続けてきただろうか。慈円和尚に大言した決意は嘘だったのか。
比叡の山での10年を振り返りながら、救いの道を得られないことを、経文やお山のせいにして、自身のこころを問わずにいたことを恥じました。
比叡の山に戻ってからの範宴は、以前にも増して修行に励みました。その姿には鬼気迫るものがあり、もはや誰も批判する者はいません。真摯な求道の姿に、誰ともなく言い出しました。
「範宴の姿は、まるで源空上人のようだ」
  
「ゲンクウ・・・皆が尊敬するその人は、どのような方なのだろう」
以前は気にも留めなかった名が、範宴の脳裏に焼き付けられます。

2010年5月26日 (水)

この場だから語れること

5月25日(火)
西蓮寺仏教青年会「白骨の会」を開催しました。参加者は2名。私も含めて3人。日々思うこと・映画や本や漫画の話・普段しないような真面目な話・この場だから語れる悩み等々、参加者は少ないけれど、だからこそ濃厚な話を3時間ほど語り合いました。 
この場だからこそ語り合えるという気持ちで語り合っているので、その内容については書きません。参加者の一人が言いました。
「こういう話って、家族とか普段遊ぶ仲の良い友達とかとはできないですね」。
こういう場で、月に一度 会うか会わないか程度の関係だからこそ語れることってあるなぁと思いました。
   
寺での語り合いを終え、千歳烏山駅近くに出て、お酒を入れての二次会です。
ふとこんなお題が出ました。
「もしも、“どこでもドア”があったら、この世の中はどうなるか?」
 
交通関連や流通の仕事はなくなるね。
会社や学校へ、どこでもドアで行けるようになったら、会社帰りに一杯呑んでいこうなんてこともなくなるかもよ。そうなると、飲食関連の仕事も辛くなるよね。
じゃぁ、使える人を警察や救急程度に限定したらいいんじゃないかな。
そういう人たちが、プライベートで使うかもしれないよ。
どこでもドアの使用履歴が見られるような機能をつければいいんじゃない。
便利になるための道具だけど、結局便利じゃなくなっていくよね。
       
なんてことを話してました。
ドラえもんの道具のひとつをピックアップして、「もしこの道具があったら」という題で話を進めていくのも面白いねなんて話してました。
その流れで、「ひとつ願い事が叶うとして、何を願う?」という話になりました。
 
「何を願うか」 個々の願いを語り合うことが目的ではありません。
いろいろな願いが考えられるけれど、その願いが叶うということがどういうことなのか、ということを語り合いました。
白骨の内容には触れませんが、例えば、自分の欲しいものが手に入った場合、それだけで満足できるのか。私が欲しいものを手にしたがために、他の誰かがそれを手放すことになるかもしれない。「○○が欲しい」と願うけれど、大きさとか色とか厳密なところまで自分の思うとおりになるのか分からない。
 
特に結論を出すわけではありません。今思うことを、自分のことばで語り合ってます。そんな会です。もしよろしかったら、ご参加ください。次回は6月29日(火)午後2時からです。
 
もうひとつ
「ドラえもんの道具で、ひとつ手に入るとしたら何が欲しい?」という題も出ました。
「四次元ポケット」と答えた欲張りな私です。

2010年5月 7日 (金)

真実は通底している

4月28日から5月10日まで、日本橋三越にて「親鸞展」が開催されています(以前お知らせした「親鸞展」とは別物です)。
 
今年のゴールデンウィークは(も)、毎日何かしら用事があって、どこにも行くことなく過ごしました。
5月6日 珍しく何も予定が入ってなかったので、日本橋三越へ「親鸞展」を見に行ってきました。
4月29日の西蓮寺永代経法要にご参詣の方に、この「親鸞展」の割引チケットをお渡ししました。「親鸞展」に出かけられた数名の方から、「行って来ました。親鸞聖人のご生涯を知ることができて、とても良かったです」と、皆さん口を揃えて言われました。なので、「親鸞展」に行くのがとても楽しみでした。
    
妻と娘と出かけました。遠出するときは車が多く、娘(1歳3ヵ月)は電車に慣れてなくて、車内が恐いようでした。なだめながら「三越前駅」(銀座線)を目指したのですが、ひとつ手前の「日本橋」で限界を向かえ、降りました。とはいっても、歩いても3分ほどの距離。天気も良かったので、散歩気分で三越に向かいました(同じ車中に乗り合わせた方、申し訳ありません)。
 
11時半頃三越に着きましたが、会場(新館7階)に行ってビックリ。大勢の人で、券売り場も並んでました。
「連休も明けたし、すいてるかもね」なんて思いながら出かけたので、人の多さに驚きました。でも、こんなに親鸞聖人に関心を持っている人がいるんだと思うと、嬉しくなりました(五木寛之さんの『親鸞』の影響も大でしょうね)。
 
すぐに会場に入らず、先にお昼を済ませることにしました。本館屋上のガーデンで昼食をとりました。日陰がなくて暑かったけれど、娘が騒いでも気にすることがなかったので、ゆっくりお昼を食べられました。北海道展も開催されていたので、その中のお店のプリンを買って、デザートにしました。
初夏のような日差しの中、お腹がいっぱいになり、このまま帰りそうになりました。
 
12時半頃 会場に戻ると、午前中に比べて人が減っていました。それでも会場の中に入ると、けっこう人がいました。お昼を済ませた娘は、会場内に入るとすぐに寝てしまいました。ベビーカーOKだったので、寝ている娘を乗せ、ベビーカーを押しながら観覧しました。人が多くて狭くなっている中、ベビーカーを押していたのは私です。ご迷惑をおかけしてすみません。でも、ゆっくりと味わうことができました。
 
展示は、聖人の生涯を丁寧に追っていて、とても分かりやすかったです。展示方法・順番、生涯の説明、語句解説など、どなたが中心にされたのでしょうか。なまじ知っている業界人ではなく、聖人に対する想いを抱いておられる方の手によるのだろうなと感じました。みんなに見てもらいたいという気持ちが伝わってきました。見ていて嬉しかったです。
「親鸞がそこに、いる」というコンセプトだったそうですが、「そこに、いる」と感じました。
    
話は逸れますが、只今私は「親鸞聖人に人生を学ぶ講座」の講師をさせていただいています。講座開催に先立ち、講師陣の勉強会があったのですが、
「親鸞聖人“の”人生を学ぶ講座」ではなく、
「親鸞聖人“に”人生を学ぶ講座」であることをシッカリしておかないといけない、という共通認識を確認しあいました。
どういうことか分かりにくいかもしれませんが、
「親鸞聖人の人生を学ぶ」歴史講座ではなく、
聖人の教えを聞くことを通して(「親鸞聖人に」)、私自身の生き方を見つめる(「人生を学ぶ」)のです。
私自身も、そのつもりで講座で話しはじめました。しかし、始めてみて、そんなことは思い上がりだったと感じました。講座にお集まりの方々は、聖人の人生を知ることを通して、自分のことに引き当てられます。初めからこちら側が、“の”じゃなくて“に”、なんて決めることはないのです。
聖人が比叡山で苦労されたこと、越後に流されたこと、関東にお住まいだったこと、晩年にほとんどの著作を残されていたこと等々、なまじ知っている業界人は、「これくらいは、もうみんな知っていること」と、勝手に決めつけています。しかし、「もう知っているだろうな」というところから始まるのです。聖人の生涯に触れ、そこから聖人に対する興味が湧いてくるのです、もっと聞きたいと思われるのです、いろいろと考えられるのです。“の”から“に”になっていくのです。
話を重ねていくうちに、時間の前半は聖人のご生涯を押さえ、後半は私のいただきを話させていただくようになりました。
ということがあったので、「親鸞展」を見て「あぁ、いいなぁ」と、肌身で感じていました。
     
「親鸞展」 個人的には、昨年の報恩講の「坂東曲(ばんどうぶし)」のビデオが流れているのがよかったです。放送しているテレビのそばでは、展示を見ながら坂東曲のお念仏の声が入ってきます。こころ躍るエリアでした。
それから、東本願寺渉成園内 園林堂のご本尊 阿弥陀如来立像が展示してありましたが、カバンの中の念珠を取り出して、思わず手が合わさりました。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
    
展示を見終え、妻も「とっても良かったね」と言ってました。
今回のもうひとつの目的、親鸞聖人のフィギュアも買いました。「そういうものを作るんじゃない」とお怒りの方もいると思います。私も、「親鸞展」HPにフィギュアを作ったと書いてあるのを見て、最初は「なんだかなぁ」と思いましたが、見ているうちに、こころ惹かれてしまいました。東本願寺主催の展示会だったらありえなかったでしょうね。
    
とても満足して、三越を後にしました。
日本橋三越での展示は、5月10日までです(以後、全国を周るようです)。行ける方は、ぜひお出かけください。
    
三越を出て まだ時間も早かったし、天気もよかったので、銀座まで歩くことにしました。娘は、会場を出た頃に目覚めました。
 
銀座まで歩いて、少し銀ブラして帰ろうかと思ったのですが、銀座手前でふと右を見ると、東京国際フォーラムが目に入りました。
冗談で「相田みつを美術館に行こうか!」と言うと、妻から「いいねぇ、行こう!」の返事。目的地を銀座から東京国際フォーラムに変えました。展示会のハシゴです。
  
東京国際フォーラムの相田みつを美術館では、「第44回企画展 おかげさん-相田みつを・書とエッセイの世界-」を開催していました。 
相田みつをさんが雑誌に、書とエッセイを連載していたときがあります。そのときの、あの独特の書と、その横に手書きのエッセイ(コピー)が展示されていました。
美術館には何度か来ていて、本も持っているので、「書」の方はほとんど見たことがあるのですが、相田みつをさん手書きのエッセイは、初めて見ました。マス目のある原稿用紙に、万年筆で、一マス一マス丁寧に字を書かれていました。推敲を重ねられて、文字を書き直す場合も、一字一字丁寧に丸く塗りつぶされていました。性格の真面目さを伺えるものでした。
  
何度も見たことがあるとは言っても、見るたびに「書」から感動を受けますが、エッセイも素晴らしいです。ゆっくり読んで歩きました。こんなにもことばに向き合った人がいるんだなぁと、感動しました。相田みつをさんのエッセイに、何度か親鸞聖人のことが書かれていました。おしえというものは、真実というものは、普遍のものなんだなぁと感じました。
広い美術館なので、娘が声を上げながら走ってしまいました。館内にいた皆さん、申し訳ありません。優しい目で見守りくださり、ありがとうございます。 
第44回企画展は6月13日(日)までです。
       
「親鸞展」と「相田みつを美術館」
GW明けのひと時に、素晴らしい時間をちょうだい致しました。休みは一日だけですが、とても満足です。
 
まだ電車に慣れない娘は、帰りもはしゃいでました。
夜、疲れて早く寝るかなと思っていたら、興奮して遅くまで寝付けませんでした。ごめんね美穂
  

2010年5月 1日 (土)

2010年5月のことば

 Dsc_1085
    
親鸞聖人は「母」という字を、上記のように書かれます(上記の字は、住職の筆です)。今月のことばは、聖人が書かれた「母」一字のみです。5月は「母の日」があります。それぞれの中で、いろいろと考えていただきたく、聖人の「母」を選びました。
「母」の字の中に、「子」がいます。生命の源、母に対する敬いの気持ちでもあり、母が子にかける愛情を表わしてもいるのかもしれません。
しかし、聖人の書かれる「母」からいろいろ考えていると、敬意や愛情のみを表現されたのではないように感じてきました。
母の、子に対する愛情は計り知れません。しかし、愛情ばかりを注げられないのも、ヒトの哀しさです。愛しているけれど、愛に徹底できない。愛したいのに、愛せない。愛しているゆえに、憎い。子もまた、母に、敬いの気持ちだけを持つことはできない。敬ってはいるけれど、腹が立つ。大切なんだけど、鬱陶しい。ヒトが持ちうる愛情には、複雑な感情が入り混じっています。
このような気持ちになるということは、関係が近いということ、大切な人であるということの表われでもあるのですが。
聖人が、「母」の字をこのように書かれるのは、ヒトの想いを超えた、大いなるはたらきとの出遇いがあったからだと思います。
聖人の「母」は、「母」なるものを表わしているのと同時に、「子」なるものをも表現しています。母に包まれ守られながら生きている存在。それが「子」。
生きとし生けるもの すべてを「仏の子」と表現することがあります。老少男女、たとえ国が違っても、たとえ信じるおしえが違っても、生きとし生けるもの、みんな「仏の子」です。仏が子を想う慈しみのこころに、差別や区別はありません。
「母」の中の「子」…それは私。仏の子です。ヒトの哀しみを抱えながら生きる私を、慈悲のこころで包んでいます。私は、すでに仏の慈悲に包まれながら生きているのです。
聖人も、ヒトの持つ哀しさを取り除こうとされたことでしょう。しかし、それは無理なこと。関係が近ければ近いほど、人と人との出会いがあればこそ、愛情も憎しみも深くなるのですから。そのことに目覚めたとき、自身を包み込む大いなるはたらき、「大悲」を感じられたのだと思います。
    
親鸞聖人は、
「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず(私親鸞は、父母の供養のために念仏を申したことは、いまだかつて一度もありません)」(『歎異抄』)
と言われました。このセリフを受けて、「なぜ両親のために 供養したことがないのですか?」とか「親鸞聖人は冷たい人ですね」などと言われてしまいます。
私たちは、「亡き人のため」と言いながら、自分のための供養をしてはいないでしょうか。
親鸞聖人は、父母の縁によって成る いのちを感じ、そのいのちは大いなるはたらきに包まれていることを感得されました。我が身を生かすはたらきを感じ、今、私にまでつながるいのちの流れを受け止められたのです。ですから、「父母の孝養のため」の念仏はしたことがないのです。
「南無阿弥陀仏」の念仏は、「大悲」より私に与えられた いのち感覚の告白のことばです。
昔も、今も、これからも、「大悲」を受けながらこの身がある。その喜びを、聖人の「母」の字から感じました。
 
   
 
今月のギャラリー
Dsc_1073
      
   
 
西蓮寺 5月の予定

聞法会 
5月12日(水) 13:30~16:00
 
白骨の会(仏教青年会)
5月25日(火) 14:00~17:00

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