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2010年5月 1日 (土)

2010年5月のことば

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親鸞聖人は「母」という字を、上記のように書かれます(上記の字は、住職の筆です)。今月のことばは、聖人が書かれた「母」一字のみです。5月は「母の日」があります。それぞれの中で、いろいろと考えていただきたく、聖人の「母」を選びました。
「母」の字の中に、「子」がいます。生命の源、母に対する敬いの気持ちでもあり、母が子にかける愛情を表わしてもいるのかもしれません。
しかし、聖人の書かれる「母」からいろいろ考えていると、敬意や愛情のみを表現されたのではないように感じてきました。
母の、子に対する愛情は計り知れません。しかし、愛情ばかりを注げられないのも、ヒトの哀しさです。愛しているけれど、愛に徹底できない。愛したいのに、愛せない。愛しているゆえに、憎い。子もまた、母に、敬いの気持ちだけを持つことはできない。敬ってはいるけれど、腹が立つ。大切なんだけど、鬱陶しい。ヒトが持ちうる愛情には、複雑な感情が入り混じっています。
このような気持ちになるということは、関係が近いということ、大切な人であるということの表われでもあるのですが。
聖人が、「母」の字をこのように書かれるのは、ヒトの想いを超えた、大いなるはたらきとの出遇いがあったからだと思います。
聖人の「母」は、「母」なるものを表わしているのと同時に、「子」なるものをも表現しています。母に包まれ守られながら生きている存在。それが「子」。
生きとし生けるもの すべてを「仏の子」と表現することがあります。老少男女、たとえ国が違っても、たとえ信じるおしえが違っても、生きとし生けるもの、みんな「仏の子」です。仏が子を想う慈しみのこころに、差別や区別はありません。
「母」の中の「子」…それは私。仏の子です。ヒトの哀しみを抱えながら生きる私を、慈悲のこころで包んでいます。私は、すでに仏の慈悲に包まれながら生きているのです。
聖人も、ヒトの持つ哀しさを取り除こうとされたことでしょう。しかし、それは無理なこと。関係が近ければ近いほど、人と人との出会いがあればこそ、愛情も憎しみも深くなるのですから。そのことに目覚めたとき、自身を包み込む大いなるはたらき、「大悲」を感じられたのだと思います。
    
親鸞聖人は、
「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず(私親鸞は、父母の供養のために念仏を申したことは、いまだかつて一度もありません)」(『歎異抄』)
と言われました。このセリフを受けて、「なぜ両親のために 供養したことがないのですか?」とか「親鸞聖人は冷たい人ですね」などと言われてしまいます。
私たちは、「亡き人のため」と言いながら、自分のための供養をしてはいないでしょうか。
親鸞聖人は、父母の縁によって成る いのちを感じ、そのいのちは大いなるはたらきに包まれていることを感得されました。我が身を生かすはたらきを感じ、今、私にまでつながるいのちの流れを受け止められたのです。ですから、「父母の孝養のため」の念仏はしたことがないのです。
「南無阿弥陀仏」の念仏は、「大悲」より私に与えられた いのち感覚の告白のことばです。
昔も、今も、これからも、「大悲」を受けながらこの身がある。その喜びを、聖人の「母」の字から感じました。
 
   
 
今月のギャラリー
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西蓮寺 5月の予定

聞法会 
5月12日(水) 13:30~16:00
 
白骨の会(仏教青年会)
5月25日(火) 14:00~17:00

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コメント

> 親鸞聖人は「母」という字を、上記のように書かれます

初めて知りました。漢字一字でも色々考えさせられるものですね……

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全然関係ないのですが…

地元の公共図書館にて、五木寛之さんがお書きになられた薄い新書を借りました。30分もあれば読み終えてしまう新書ですから、言い足りないこともあるのは当然ですし、五木寛之さんの、そのとき、そのとき、ご自身が思われたことを、正直に、素直に、書く姿勢には好感を抱くものですが…

欧米でご著書の「TARIKI」がそこそこ売れたという話に対して、でも欧米の人は分かっていないんじゃないかと思うみたいなことを----まあ対談なので、流れで思わず言われたのは分かるんですが----言われるのはどうかなぁとちょっと違和感を持ちました。売れているなら、分かってくれているからなんじゃないかと捉える方が自然な気がしますね。欧米人は自力だから他力は分からないだろう…みたいなことをと言われるのは、ちょっと偏見かなぁと(^0^;)。

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律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない。」と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。
しかし、罪はこの戒めによって機会を捕え、私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました。律法がなければ、罪は死んだものです。私はかつて律法なしに生
きていましたが、戒めが来たときに、罪が生き、私は死にました。それで私には、いのちに導くはずのこの戒めが、かえって死に導くものであることが、わかりました。それは、戒めによって機会を捕えた罪が私を欺き、戒めによって私を殺したからです。
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伝統的なユダヤ教では、神様とイスラエルの民が契約を結んで、戒を守ればOKとなっていたと考えると、ある意味、気楽です。行が大事だからです。どういう律法があるのか詳しくありませんが、何曜日は仕事すんなとかでしょうか。礼拝なくして帰命なし、というか、礼拝即帰命。

しかしながら、キリスト教の場合、「貪るな」と律法で言われて、「むさぼっちゃいかん」「むさぼっちゃいかん」「むさぼっちゃいかん」「むさぼっちゃいか
ん」「むさぼっちゃいかん」「むさぼっちゃいかん」「むさぼっちゃいかん」と、拘ることは………

我執です。

これは、パウロがキリスト者となってからの、パウロがキリスト者となったからこそ、その後、新たに出てきた悩みであり、そして、いま・ここの、全てのキリ
スト者の悩みではないでしょうか…。

むさぼってはいけないと拘ることはむさぼりである、
それでは、全てをイエスさまに任せたという信仰があるとは言えませんねと…

たとえば、こういうことを他力と日本では言うんだなぁと欧米の読者は思ったということはあり得るように思います。他力という言葉はないかもしれませんが…、内容が(読者一人一人それなりに)分からないということはないように思います。

☆theotherwindさんへ
theotherwindさんの真摯な気持ち、五木さんゆえに偏見で物を語って欲しくなかったという想いが伝わってきます。
しかし、「TARIKI」がアメリカで売れて、その直後に五木さんと、アメリカの偉いお医者さんだったか学者さんだったか宗教者だったか(全然覚えてないですが)との対談をテレビで放送していたのですが、まったく話が噛み合っていないのです。いや、話自体は噛み合っているのですが、お互いの言おうとしていることが明らかに違うのです。「TARIKI」が、五木さんとしては阿弥陀如来(はたらき)なのに対し、アメリカの方にとっては、キリスト(あるいは、実在する絶対者とでもいうのでしょうか)なのです。「TARIKI」について語り合っているので、会話は成り立っていますが、「TARIKI」のいただきが全く違うので、話は噛み合っていませんでした。見ていて、面白いというか、辛いというか、なんとも複雑な想いをした記憶があります。
 
「売れているなら、分かってくれているから」というわけでもないようです。それは、日本における『歎異抄』でも明らかなように。

> 話自体は噛み合っているのですが、お互いの言おうとしていることが明らかに違うのです。「TARIKI」が、五木さんとしては阿弥陀如来(はたらき)なのに対し、アメリカの方にとっては、キリスト(あるいは、実在する絶対者とでもいうのでしょうか)なのです。


ああっ!それは分かる気がします!

もっとも、人にもよる気もします…。

というのは…

イエスは、イエスのように生きることが(自分にも、あるいは、誰にでも)可能であることを示したのである、イエスが私になるのである…

という考えも一方で、あるわけです。

イエスが私を通して働いているという考え方はないわけではないですね。

基本的に、イエスは人間、もっというと本当の人間、なわけで、神様ではない

というのは、キリスト教では一定はしているものの…


たぁだぁしぃ、地域とか、ご宗旨(?)によって、確かに、色々ですね。

ふと思ったのは、

新約聖書で、原文、ギリシャ語で「神の支配」となっている語、

たとえば
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」
ですと「神の国」ですが、「国」、

「天国」とかですね、

国土として日本語訳してますね…。

あれはもしかすると、仏教語からの影響なのか…。

「国」が近づいてきた
(というか完了形なんでしょうね。何年何月何日、何時何分の話だ!ということではなくて、とにかく、「いつでもつねにすでに」神の支配が、「いまここ」に既になされているという。それは言い換えたら愛が働いているということなんではなかろうかと思います)
というと、なにやら、海の向こうから大陸が移動してきてぶつかったみたいなイメージなんですが……

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