さようなら 京王書房
4月1日のこと
烏山に買い物に出たら、シャッターが下りているお店がありました。「京王書房」でした。
「あれ! 臨時休業かな?」
などと思いながらお店に近づくと、目立たない程度の張り紙がありました。
「長年ありがとうございました。3月31日をもって閉店させていただきます」
というよな内容(正確ではありません)の張り紙でした。
事前に知らなかったので、けっこうショックでした。
小学生の頃は、「小学○年生」を頼んでいました。漫画を買うのも、ほとんど京王書房でした。
絵画が好きで、「週間グレートアーティスト」という雑誌を頼んでいました。
ネットが普及して、本屋さんやCD屋さんが次々閉店していきます。時代の流れだからしょうがないと言い切る人もいますが、それでは割り切れない淋しさがあります。
ブログをやっているせいか、ネットで買い物をする人とよく思われるのですが、私はお店で買う人です。それこそネットで買えば楽なのに、わざわざ買いに行ったりします。古い人間なのでしょう。
京王書房で立ち読みをしていて、本の万引きを見つけた店長が犯人を追いかけていくのを見たこともあります。
本屋さんは万引きが多いと聞きます。積もり積もった被害の影響もあったのでしょうか。
最近はあまり買い物をしていませんでした(あぁ、それが閉店の一番の理由かも)。それでも、何か欲しい本があるときは、先ず京王書房に行ってました。これからどうしよう…。本屋さんは他にもあるのに、そんなことを考えました。
京王書房さん、お世話になりました。ありがとうございます。
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私の母が子どもの頃、なにやら大事なお皿だったか、なんだかを割ったとき
(家が元は庄屋さんで蔵があったので、多分、高価、一点物かも???)、
母の父(私の祖父)は、ひとこと、
「かたちあるものはこわれる」
で終わりだったそうで、どうも母には、衝撃的な一言だったような。
私のイメージでは祖父は本当に話さない人で、私が座っていると通りすがりに頭をなでていくだけ、本当に何も話さない人のイメージで、私の場合は、唯一思い出せる発言は、お浄土にお参りさせていただいた際の「それではみなさんまたお会いしましょう」だけではありますが。
「かたちあるものはこわれる」というのは「生者必滅」、生ずるものは滅するということでしょう。
持続している間を含めれば、生→住→滅。
(お皿が一気に割れた場合はそういう印象はないでしょうが、まあ、高速撮影すれば、お皿が床に当たった瞬間に衝撃が走り…というのを超スローモーションで再生すると、生→住→衰→滅、と間に「衰」を無理に入れてもおかしくはないですが)。
うちの近所でも書店がなくなってしまいました。ある日、張り紙があって、はじめて、本店が静岡県だったことに気がついたよとしみじみ家族に語りましたが、「あ、そ」とのこと。長年の思い出があるのは私だけだったのでした。
書店というもの、街の本屋さんというもの、がなくなると、何故か特別に寂しい気はします。
はじめて行った街でも、本屋さんというのは、目にとまったり、入ってみたり、立ち読みしたりするわけです。巨大書店のチェーン店ならどの街で入ってみても同じなので意味ないですが…
街の本屋さんがなくなるのは、さみしいです。
なお、うちの場合は、エキナカに巨大書店ができたので、街の本屋さんが撤退したのだと思います。
投稿: theotherwind | 2010年4月18日 (日) 13:34