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2010年4月28日 (水)

親鸞さまがおわします④

〔第4回 比叡の山での修行(1)〕
9歳の春、慈円和尚のもとで出家得度をした範宴(親鸞聖人)は、いよいよ比叡の山への入山を果たします。
同じいのちを生きながら、生涯の内容は、人によってあまりにも違いすぎる。どうしてそれほどまでに違うのか。どうして苦しみのなかを生き続けねばならないのか。どうしたらその苦しみからすくわれるのか。その答を求めて入山した範宴の修行が始まります。
範宴の修行に対する姿勢は厳しく、おしえに真摯に向かい合いました。その厳しさは、周りの者を寄せ付けないほどでした。周りの修行者たちは、批判や妬みの気持ちを込めて言います。
「範宴はあんなに厳しく修行・学問をしているが、源空殿にでもなるつもりか」と。
直接言われることはなくても、嫌悪の言葉というものは耳に入ってくるものです。何を言われようが、範宴は意に介しません。しかし、会ったことも話したこともない人物の名が、範宴のこころの底に残ります。
「ゲンクウ…」
  
範宴が比叡の山に入山したのは1181年。それに先立つ六年前、1175年に比叡の山を自ら下りた人物がいます。法然房源空です。
源空上人9歳のとき、父を敵からの夜討ちで亡くします。父は、「敵を怨んではならない。復讐をすれば怨みは際限なく繰り返される。敵を怨むことを捨てて出家し、誰もがすくわれる道を求めよ」と遺言されます。
父の遺言に従い、13歳で比叡の山に入ります。誰もがすくわれる道を求めて修行に励むのですが、仇に対する怨みも捨てきれません。そのような矛盾に満ちた自分のこころを真正面から見つめ、源空上人は厳しい修行を重ねます。数え切れないほど多くの経典、一切経を5回も読み返したと言われています。人々は源空上人の姿に敬意を込めて呼びました。
「智慧第一の法然房」と。

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コメント

5月10日まで日本橋三越にて開催されている親鸞展に行って来ました。

そこはかとなく原始真宗(?)というのか原始親鸞教(?)というのかの薫り漂う(?)展示が非常に素晴らしかったです。(真宗という一派を興したわけではないと思えば、原始日本浄土教(?)か?)

新潟県の居多神社から親鸞聖人日の丸御名号が出展など。(多分、伊勢に法然上人日の丸御名号があって、それは海から出てきた朝日、越後の場合は、多分、海に沈む夕日で対になってるんじゃないかと思いますが、全然違うかも…)

親鸞聖人御旧蹟めぐり(?)に行けば現地で見ることができるのかも知れませんが(越後七不思議とかあるはず…)、たとえば、おうちのご宗旨が新義真言宗の方が自動的に弘法大師御旧蹟めぐりとかされませんね。する方もいらっしゃるかとは思いますが、自動的ではないでしょう。今の御宗旨のご本山はお参りはされるでしょうが。私もこの展覧会がなければ、見ることはなかったのではないかと思います。

室町時代だったかの名号本尊も展示有り。なにらかの意図的なんではなかろうかとも思いますが、聖徳太子掛け軸、法然上人掛け軸との三尊形式の展示ではなく、ばらかして、展示してありましたが、原始日本浄土教というのか、その時代に思いをはせる展覧会になっていました。(昔に遡ると、伊勢であろうが、越後、越前、中京地区であろうが、浄土教のお寺というのはまだなく、聖徳太子の祠とかにお参りしていたのではないかとは思いますが…)

会場を出るとギフトショップ。親鸞展限定販売お線香、その名も「親鸞」。煙の少ないタイプということで、実は、煙の少ないタイプは、体には悪いという噂を聞いていたので止めましたが、その他、親鸞風呂敷、親鸞箸袋、親鸞クリアファイル、絵葉書を入れられるミニ掛け軸(熊皮の御影の絵葉書などを入れると、なんというか法名軸のようなものができあがる)、「他力本願」と書いてあるお札(?)と何故だか金のわらじがついている携帯ストラップなどなど。「親鸞」と書いた折り畳み式クッションはどうかなぁ…。お寺などでお尻が痛い場合に便利というのは分かるんですが、ご開山さまのお名前が書かれたものを自分のお尻の下に敷くのはちょっと…。海洋堂の安城の御影フィギュアは「えーー」と思いましたが、打敷(←内敷と表記していたと思いましたが)と一緒にお買い求めになっておられたご年輩の方もおられました。売れるもんなんだなぁと私はちょっと驚きましたが…。火鉢、草履、二股の杖付き。

なかなか見れない(見ない)ものの展示あって非常に良かったです。

> 新潟県の居多神社から親鸞聖人日の丸御名号が出展など。

越後のどこかの山(まあ日本の山はどこでも阿弥陀が原とか地獄谷とかあってお地蔵様はありますよと言われてしまえばそのとおりなのでしょうが)で神仏習合、阿弥陀仏を本地仏という神社(+)真言宗のお寺(真言宗なのですが阿弥陀如来がご本尊)があって、明治維新で廃仏毀釈で、阿弥陀如来像を焼却せよとの命令が明治政府から下り、真言宗のお寺の住職さんは放心状態、但しこの地域の村々は、実際に歴史的事実として親鸞聖人が来られたということではなくて、村人の真理、真実としては、親鸞聖人が杖で突いたらわき出た清水などなど、また、親鸞聖人が自ら彫られた(とされる)御影なども多数あるお土地柄で、京都の東本願寺からは異安心というので破門されたから今は自動的に仏光寺派だけれども元は大谷派の門徒さんが暮らす村々であり、そもそも、ご本山には関わりなく、周囲の本願寺派、太谷派、仏光寺派、興正派の門徒さんが、一緒に、講というのか、つねづね、集まって聞法している地域。明治政府から、一揆を起こしたなとなると大変なことになるので東西本願寺(別院とかなんちゃら御坊とか)は困ったらしいですが、地域全部の門徒さんが仏光寺派、興正派、だけでは人数が不足なので、周囲の村々の本願寺派や太谷派の門徒さんにも呼びかけ、門徒総代からなにから、命に替えても阿弥陀如来像を守るというので、道々に人があふれ、とうとう、明治政府が負けちゃったというようなこともあったお土地柄だそうです…。(幸いなことに暴力沙汰までには発展せず、道で睨んでいただけみたいですが。)

その後、神棚強制設置、報恩講やってるんだから同じ事じゃないかというので祖霊崇敬しましょうとか、仏壇の真ん中じゃなくって良いから片隅で良いから位牌を置いてねとか、村の鎮守の神様がないのはどうでしょうかとか、だんだんに、明治政府の政策が浸透したらしいですが、阿弥陀如来像焼却命令は明治維新直後だったので、明治政府の政策である祖霊崇敬という発想がそもそもまったく噛み合わなかったのが根本的な問題らしいです。仮に祖霊というものがあるとして、まあ、あるともないとも言えないと考えることもできるから、仮にあるとした場合でも、なんで、それを凡人である我々が祀る、慰撫する、鎮魂するという、そういう発想が分からん…という……。

親鸞聖人は、越後や関東で、どういう人たちと、何をどうお話しされていたのか…、を思うことがあります…。

法然上人のお弟子さん筋に当たる方は、そのとき、それらの地域にいらっしゃったのか…。

法然上人以前の浄土教あるいは民間(?)阿弥陀如来信仰(*)はあったのか…。

後に(?)「蟻の熊野詣」と言われるくらいですし、後鳥羽上皇も何度も熊野詣はされているようですから、熊野阿弥陀信仰などはあったのかなと思います。上皇が御幸されるような信仰を「民間」という日本語は変ですが…。春日大社/興福寺の番組をNHKでやっているのを見ましたが、千年(?)続いていた神事でも、明治維新、神仏分離以降、たったの100年かそこらで、何をどうしてよいか分からなくなった神事がいっぱいあって、最近復活させようと思ったら大変だったと言ってました。民間でやっている行事(?)の祝詞が、春日大社に残る文献のそれと同じだったので、民間の節回しや所作に残っているのを昔は春日大社と興福寺でやっていたに違いないというので神仏習合の行事が復活できたとか。最近、奈良についてのNHKの番組は多いですが、興福寺以外でも、お寺のお坊さんが、神社にみんなでやってきて柏手を打ったり祈ったりする行事(?)を復活させているようですが、明治維新以降なんて、日本の歴史では短いようですが、あっという間に、分からなくなってしまうのですね…。現代人が日本の伝統と今思っているものは、明治維新以降、せいぜい、江戸時代までしか遡らないものが多いのでしょう…。

(それ以前となると、大都会でないところの民間の習慣や行事をフィールドワークして、やっと分かるか分からないかなのでしょう。もう、文化人類学の範囲か?たとえば、ある村では弘法大師空海と親鸞聖人の両方のご命日にあずきをお供えしているが、何故、あずきなのか?弘法大師以前に、あずきをお供えしていたのは聖徳太子なのか、それ以前には、元の行事は何であって、どういう意味があったのか等。)

☆theotherwinさんへ
コメント読ませていただいて、「伝統」の曖昧さを感じました。歴史的には、そんなに昔からのものではなかったり。
でも、140年ほど前ですか、が、江戸時代で、時代劇で見るような生活、龍馬が東奔西走していたような時代と考えると、この100年ちょっとの歴史の流れの早さを感じます。

> 、「伝統」の曖昧さを感じました。歴史的には、そんなに昔からのものではなかったり

意味づけが曖昧なもののみが、広く流行って、長年残る、習慣になる…ということはあると思います。

意味づけがはっきりしているものは、「今となっては意味ないね」、となったらやめられてしまうというのが一つ、もう一つは、意味が曖昧であるからこそ、文脈に関わりなく、いつでもだれでもどこでも流行るということが一つ。

会社の同僚で毎年、豊川稲荷(赤坂にある別院)に初詣に行ってます、theotherwindさんのお家は元々名古屋なんですよね…という話があり、うーーーん、名古屋と言っても、祖父が既に東京に出てきてしまっているので…、愛知県は神社やお寺は多分、日本全国一位に多いんじゃないか、大阪より多いと思うけれども…、けれども、うちの家は多分元々は、川の中州、その場所は全員、名字が同じ、その中心は、浄土真宗のお寺、どの辺に祖父の元の家があったのか、まるっきり分からない……。今となってはお手次のお寺があるだけ……。えと、豊川稲荷って、ダキニテンがお祀りされていて、オンシラバッタニリウンソワカとか言うんですよね…、という話になりましたが、その人曰く、

「いやあ、明治維新のときに、昔からお寺なんだっと主張して生き残ったらしいんですけどぉ、初詣では、思いっきり柏手叩いている人は存外いますねぇ、真言となえている人はマイナーと思いますね。一番、メジャーなのは無言で柏手無しで合掌ですかねぇ」

とのこと。

正しくは(?)

( 1) 合掌する
( 2) 「帰命頂礼豊川だ枳尼眞天」と唱え、拝礼することを3回繰り返す
( 3) 「オンシラバッタニリウンソワカ」と21回唱える
( 4) 黙想する
( 5) 「帰命頂礼豊川だ枳尼眞天」と唱え、拝礼することを3回繰り返す

とかあるらしいんですが…、じゃあ、「オンシラバッタニリウンソワカ」とは、一字一字、解釈するとなんなのか…とかあって、そして、人々が初詣に来ているわけではないわけですね。むしろ、そういう意味づけがはっきりしていたなら、流行らないのではないかと思います。意味づけが曖昧だからこそ流行るという側面があるのだと思います。

初詣に行って、合掌する、頭を垂れるという行為それ自体が、そういう行為そのものが、それ自体として、既に、礼拝である、礼拝の行為を離れたところに、外部には、何もない…ということだと、同僚はもうしておりました。

☆theotherwindさんへ
念仏は無義をもって義とする…お念仏することに意味づけは不要。お念仏させていただく そこのところに、阿弥陀如来はおわします。
ですね。

その昔、会社の元上司は、初詣に神社に行って、
> ( 4) 黙想する
部分、うーーーーん、どうしてよいか分からなくなり、何をお願いして良いか、まったく思いつかず、
「世界人類の平和」だったかなんだか、

要するに何もお願い事を思いつかなかったというだけで、

特に本当に「世界人類の平和」を心の底から願いたいということではなくて、

何かおねがいごとをしないといけない決まりなんだけれども、そもそもおねがいごとをするために初詣しているわけではないので、「世界人類の平和」を願ってみたと笑ってました。

実際には、お家のご宗旨がなんであっても、神社であっても、大抵の場合は、ただ頭が下がっている、特に、自分がこうしたいああしたいという意図はない、何か見返りを求めているわけでもない…ということが多いのだと思います。

理由無く礼拝している、というのが実はほとんどの人にとって、普通なのだと思います。

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