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2010年4月 3日 (土)

烏山仏教会 花まつり2010

4月3日 晴天に恵まれ、烏山仏教会 花まつりを開催することができました。今年で80回を迎えます。

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稚児行列
今年は、お稚児さんに43名のお申込をいただきました。ありがとうございます。
ひとりのお稚児さんに、仮に3人の付き添いの方がみえるとして、4×43=172名の方が、集まったわけです。他にも、花まつり見学の方、烏山寺町の桜を見る会でお集まりの方など、たくさんの方がいらっしゃいました。稚児行列と言いながら、写真は白象しか写ってませんね
賑やかなお誕生会になりましたね。
  
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花まつり会場 妙寿寺
烏山寺町で一番大きなお寺です。本堂も大きかったです。
  
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集合写真
お稚児さんも40名近くいると、集合写真も華やかです。
今年は、お人形さんにもご参加いただきました。
 
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花まつり 法要
お稚児さん、付き添いの方にも本堂にお入りいただき、花まつりの法要を勤めました。
本堂での法要にお参りいただくと、ほとんどの方が感激・感動されます。世間(報道)で言われるような、宗教離れ・宗教嫌いは、偏った表現ではないかなと思います。花まつりに限らず、寺に散歩に来られた方/法事に呼ばれて参詣された方/寺報・ブログをきっかけにお寺の集いに参加された方などの声を聞くと、皆さん参詣してよかったと言われます。
宗教離れとか宗教嫌いというわけではなく、宗教に接する機会がないのだと思います。それは、こちらの責任でもあるわけですが。
  
賑やかなうちに花まつりを終えることをできました。ご参加・お出かけいただいた皆様ありがとうございます。
お手伝いくださいました皆様、お疲れ様です。ありがとうございます。

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コメント

> 宗教離れとか宗教嫌いというわけではなく、宗教に接する機会がないのだと思います。

イギリスでイギリス国教会系の教会に定期的に通う人の全人口に占める率が低下ですとか、米国でプロテスタントの教会に定期的に通う人の全人口に占める率が低下ですとか、のニュースがあったかと思います。あるいは、ローマ教皇が教会離れをくい止めようという方針を出されたというニュースもあったような。ある地域、村の全員が一つの教会なりお寺なりに集まる、そして世代としてはお年寄りから子どもまで集まる…ということがいわゆる先進国の都市部では、多分、減ってきているのだとは思います。

日本の場合は、神や仏を信じるという人のパーセンテージはNHKアンケートでは、このところ、一定のパーセンテージであって増えても減ってもいなかったような…。ただし、スピリチャルとか占いとかは、若者の、どのくらいだったか忘れましたが、途轍もない高いパーセンテージの若者が信じると回答していたはずで、そのパーセンテージは急激に上昇中だった、気がします…。

「宗教」という日本語は、江戸時代ですと、ある特定の、ご宗旨において、わが宗は他の御宗旨とは、ちょっと違っていると思っているんですが…云々、とあっての、宗の教えだったのが、明治になるころに、新漢語、あるいは翻訳語として、英語のリリジョンの訳語に適用されてますので、お寺では「仏道」とか「仏法」とか江戸時代からの伝統的な用語を普通は聞くので、何か、新鮮でした(^0^;)。

真宗のそういうところ(おもいっきり「宗教」とか言うようなところ)が好きだったりします。本願寺派でも仏光寺派でも「宗教離れと言うけれども…」というような座談会とか、活字になったりしますからね…。和を以て尊しとなす、というのは、なんでもかんでも黙っておくことではなくて、普通に話せることは言えば良いじゃん、不必要になんでも議論することもないし、議論のための議論はせんでええので、いわんでええことは黙ればいいけど、みたいな…。


> 日本の場合は、神や仏を信じるという人のパーセンテージはNHKアンケートでは、このところ、一定のパーセンテージであって増えても減ってもいなかったような…。ただし、スピリチャルとか占いとかは、若者の、どのくらいだったか忘れましたが、途轍もない高いパーセンテージの若者が信じると回答していたはずで、そのパーセンテージは急激に上昇中だった、気がします…。

「お寺が消えていく…」で言っていたような気がしますが、昔は、お寺は、カルチャーセンターであり、コミュニティカレッジであり、病院であり……、しかしながら行政サービスにカバーされてしまった…という側面があるようです。

行政サービスではできないこと、しかしながら、人間には必要なこととしてスピリチャル・ケアがあるわけですが、それは、宗教ではなくて、占いとかになっている傾向はあるのかもしれません……。

また、なんでも、一時期、仏壇のない家というのが多かったそうですが、現代仏壇というのを売り出したら大ヒット商品になったらしいです。ご本尊ではなくて、亡くなったご家族の方の遺影がど真ん中という形式に僧侶の方は当初はそれはどうかなぁ~というのがあったが(宗教ではなくて、先祖崇敬という民間の慣習か?)、昨今は、黙認というか、そこから仏縁、法話…だとかいう話をどこかで聞いた気がします…

思うに、都市部では、お寺に法話に通っているおじいちゃん、おばあちゃんの背中を、見ないから…ということがあるのではなかろうかと思います。

数日前に、会社で、台湾ご出身の社員の方も、台北では仏教の存在感はどんどん無くなっていると嘆いておられました。どこの国ということよりも、都市での傾向らしいです。

☆theotherwindさんへ
宗教、というか、自分の思いを超えた何か大きな存在・はたらきに対する欲求は、多くの人が持っているのではないかなと感じます。
それがお寺や宗教施設と結びつかないのは、我々にも責任はあり、また、求めている方の責任もあります。と、思います。
 
烏山花まつりの会場を、寺町のお寺だけでなく、今年は80回記念ということで、駅近くの区民センターでも開催しました。
区民センター、「寺町」や「仏教会」の名前では貸してくれませんでした。「花まつり実行委員会」で、やっと許可してくれました。
「それって何!?」と思いました。

> 、「寺町」や「仏教会」の名前では貸してくれませんでした。「花まつり実行委員会」で、やっと許可してくれました。

なんでもないペットボトルの水としか思えないものを1万円で買わされ、かつ、足抜けできない、破産する信者も多く出るような”宗教”だといやだなぁという気持ちがもしかすると、口にしないけれども、心の底にはあって、しかしながら、ただ、最近始まったというだけでは、被害者の会があるような宗教と、そうでない宗教とは、線が引けないということがあるのかも知れませんね…。

宗教の場合、仏教だってお釈迦様の時代には新興宗教、大乗仏教運動が起きたときに大乗仏教も新興宗教、密教も始まったときには新興宗教…ですから、新興宗教というだけでは、これは良い宗教、これは悪い宗教…と簡単には決めつけられないわけですね…。

フランスだかどこかだかでは、かなり最近になって、国家が、これはカルトと定義する動きがあったようには思いますが……(記憶間違いかもしれません)。もしもそういうことがあるとすると、それはよほど切羽詰まった事情があって…ということになると思います。基本的には、ともうしますか、理想としては、そういう国家による線引きのようなことは、原理原則、あってはいけないことですから…。

そういうことをしてしまうことのマイナス面というのは巨大なわけで、それでもそういう法律なりなんなりが通ったとしたら、それは、やむをえずの必要悪として認めざるを得ない状況あってのことだと思います。

案外、単に経済効果がありそうな名称優先という建前なのかも知れませんが…。(あくまでも、申請書類にどういう団体名称で書かせるか、後で何か問題があったときに、仕方ないですねと、不備とは言えないねと、責任を追及されないという意味で建前。)

> 宗教離れとか宗教嫌いというわけではなく、宗教に接する機会がないのだと思います。

仕事で米国から来られたお客様が帰国される前に成田にお泊まりだというので、成田山にお連れしたことがあります。何というのでしょうかマニ車じゃないですね、お経が六角形の柱のようなものに入っていて、そこに棒がついていて、そこを押して歩いて、柱を回転させると読誦したことになるんだなぁという物があったので、回すと読誦したことになるんでしょうなぁと、やって見せたのですが、みなさん、二の足を踏まれました。

信仰がない(ないし不足?)なのに、そういう宗教儀礼をしては不遜になると思われているのが表情から見て取れました。

米国の方は信仰ということについて真面目なのだと思いました。

日本人は自分では無宗教ですと言われる方が多いようですが、お寺に行けば、蝋燭点けたり、お線香を上げたり、合掌して頭を垂れるわけです。それは米国人からみたら、礼拝してんじゃんとなりますね。

明らかに礼拝してます。

ただ観光であれば、見ているだけ、ないし、Vサインで写真撮るだけになります。

が、帽子かぶっていれば脱ぐし、頭は垂れますね。

実際の行為として明らかに礼拝しているわけです。

☆theotherwindさんへ
日本人は、信仰心があると思うんだけどなぁ。
だって、人口以上に宗教の信仰者数はいるんですよ(生まれてお宮参りに行って、クリスマスを祝福し、死んでお寺の世話になる)。
う~ん、なんて懐が広いんでしょう。

> 日本人は、信仰心があると思うんだけどなぁ。

本当はあるんでしょうね…。

うまく言えませんが。

但し、聞かれると、真面目に考えると、自分には信心が不足なので、自己主張できないというか、自己主張するものではないという文化と言うか…。

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