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2010年1月 9日 (土)

未だ出会わぬ自分に出会う

昨年暮れ、CDの片付けをしていました。
数年前からほとんど音楽を聴かなくなり、今までに買ったCDのほとんどをダンボールに入れていました。
久しぶりにCDを手にとってみると、懐かしいものです。よく聴いたCDもあれば、あまり聴かなかったものも。中には自分で買った記憶のないものまであったりして。
尾崎豊のCDを手にしたときに、なぜだか聴いてみようと思った。うん、よかった。昔は感じなかったこころの鼓動があった。特に「僕が僕であるために」が、こころに残りました。

 心すれちがう悲しい生き様に
 ため息もらしていた
 だけど この目に映る この街で僕はずっと
 生きてゆかなければ
 人を傷つける事に目を伏せるけど
 優しさを口にすれば人は皆傷ついてゆく

   ~僕が僕であるために~
  
私が大学生の頃、尾崎豊ファンが何人かいて、「そんなにいいなら、なにかCDを買ってみようかな」という程度の意識でCDを買いました。つまり、自主性がないのである。尾崎豊ファンの皆さんには申し訳ないけれど、その当時はのめりこむということもなかった。
「15の夜」とか「十七歳の地図」などはインパクトがあって、何度も聴いてはいたけれど、カラオケで熱唱することはなかった(逆にいうと、カラオケで何度も聴かされました)。高校生の頃に尾崎豊に出会っていたら、また違ったのだろうけど。
 
 
なんてことがあり、そのことを学生時代の友人にメールをした。
するとこんな応えが返ってきた。
 

小説や音楽…作品自体は何も変わりません。でも、読書体験や鑑賞体験に違いが生じるのは、自分が変化したということではないでしょうか。
変わろうと努力しても、変われない自分もいる。
何も意識していないのに、いつの間にか変化を遂げた自分もいる。
自分で自分のことを思い込んでいる自分だけでなく、
未だに会ったことのなかった自分との出会いを、小説や音楽、芸術作品というものはしてくれるのではないでしょうか。
尾崎豊にこころ響いた君は、長いこと出会うことのなかった君なのかもしれません。
そう考えると、生きるということはとてつもなく面白いものですね。
もっともっと楽しんで生きる一年にしたいですね。

  
なるほど。この年になって、今まで感じなかった感動を覚えるということは、今まで隠されていた自分に会うということなのか。そのためには、ここまでの自分の歩みがあったからこそなんだなぁ。人生に無意味なことなどないのです。
 
この友人はものすごい読書家で、本を読むことが苦手な私も、彼を通して、本のあらすじや感想を多く聴いたものです。それによって、自分も読書したような気になったりして。
たくさんのものをもらったね。私は、なにかお返しをしてきただろうか…。
   
音楽や小説…新しいものを手にするのもワクワクしますが、たまには、昔聴いた音楽を聴きなおしたり、小説を読み返したりしてはいかがでしょうか。以前とは違う感動があり、そのことによって、未だに会ったことのなかった自分に出会えるかもしれません。
人生というものは、とてつもなく面白いものですね。

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コメント

平野修先生でしたか(もしかすると宮城顗先生だったかもしれません)、「歳を取ってくると畳のへりで転ぶようになる、おもしろいなぁ~、歳を取ってくると、目が見えなくなってくる、おもしろいなぁ~……」というようなことを言っておられたとか…いう話を思い出しました。

私の経験で言うと、外国に行って自分に出会うという経験があります。

フランス、パリ事務所に出張すると、朝、全員てんでんばらばらの時間にわざとずらして全員遅刻してくる。9時5分の人、10分の人、15分の人などなど。そうやって個人主義を主張しながら(しているからこそ)、そこからもう一時間くらい、給湯室で、ひたすら挨拶が続く。「おはよう」「おはよう、寒いですね」「寒いですね、昨日は暖かかったのにね」「昨日は暖かかったですね、むしろ昨日が季節外れでしたね」「季節外れでしたね、地球温暖化でしょうか」みたいに、永遠に続いてしまうのではなかろうかという挨拶。挨拶というのは、もちろん、しなければ、人間じゃないというか、共同体の一員ではないとみなされますので、人類共通に気持ちは分かります。有意の情報を交換するのではなく、そうではなくて有る意味、無意味に祝福を贈与しあう儀礼は必要でしょう。人間のコミュニケーションの基本は、有意の情報の交換、見返りを求める行為にあるのではなくて、みんな共存、共生してますねという確認にあることは理解できます。がっ!あまりにも長い!毎朝そんなに長時間やらなくても……と思います。思いますが、では、夕食など一緒にとって話をすると、「小学生のときから素朴すぎて人にいまさら聞けない疑問として、信心を得るとはどういうことかということは実はわかんないよねぇ」みたいな話には、実に、あっけなく明確。「いやあ、宗教というのは人類の歴史では長年、伝統として、行ですよ、行。要は、膝を屈するとか、頭を下げるとか、形が大事。形から入るわけよ。悪人の真似をして人を殺したら本当に悪人でしょうが。よき人の真似をしてよき人として毎日生活すれば、ほんとうのことは人間にはわかんないけど、自然にそなわるわけよ。」みたいな…。明快。きっとカトリックの伝統というのはそういうものなのでしょう。

そして、国境を一つ越えて、ドイツはミュンヘンに事務所があって、そこに出張すると、今度は全員、定時前8時50分には出勤していて、9時にはフルスロットルで仕事。勤勉。いまここのことに集中。すると挨拶はどうなっているかというと、全員一言だけです。「偉大な神」とかなんとか言っているだけ。日本語で言ってみると、Aさん「帰命無量寿如来。」Bさん「帰命無量寿如来。」、以上終わりな状況。ちょっと日本語訳変ですね。「おかげさまで」「おかげさまで」くらいがこなれた日本語訳ですか。いずれにせよ、短い!後はもう後顧の憂いなく仕事に集中。とにかく勤勉。これは日本人からすると短すぎ。けれども話してみると、信心ということでは、考えてますね、反省してます。信仰というのはパーソナルなものだ。自分ひとりと神との一対一の関係である。だから、自分は、他の人が協会に行くのは任意であるが、行かない。教団とか、宗派とかには属さない。自分で聖書読む、みたいな。ミュンヘンというとババリア地方とか言って、野蛮人あつかいなのかも知れませんが、それは、多分、行ではなくて信心が優先だからでしょう。きっとプロテスタントというのはそういうものなのではないかと思いました。

日本人の自分を考えてみると、どちらでもないですね。和を以って尊しと為すなのか何なのか、そのとき、そのとき、その場、その場で、お互いに、相手と、適当に調整。

☆theotherwindさんへ
「歳を取ってくると畳のへりで転ぶようになる、おもしろいなぁ~、歳を取ってくると、目が見えなくなってくる、おもしろいなぁ~……」
和田稠先生がよく仰ってましたね。
平野先生は40代で亡くなられているし、宮城先生は晩年はそのようなことを発せられる状態ではなかったですが、お二人の先生も、同じようなことを言われたかもしれません。
誰が発した言葉でもかまわないのですが、「年をとって目が見えなくなってくる、おもしろいなぁ」というセリフは、お念仏のおしえをいただいた方のセリフですよね。
   
   
Aさん「帰命無量寿如来」
Bさん「帰命無量寿如来」
はいいなぁ~。
でもそれって、インドの「ナマステ」(-人-)ですね。大事なことは、地域や歴史を越えますね。

> 和田稠先生がよく仰ってましたね。

和田稠先生でしたか…。又聞きでしたので、たぶん、私の間違いだと思います。

> インドの「ナマステ」(-人-)ですね。大事なことは、地域や歴史を越えますね。

そうですね。

> 大事なことは、地域や歴史を越えますね。

先週、会社の同僚に聞きましたが、中国(台湾ではないかと私は勝手に思ったのですが…)の方から、

日本は、都市のど真ん中、人が多くいるところにお寺がないのはおかしい、お寺は生きている人のためにあるのに、日本のお寺はお墓が横にくっついていて、郊外にあるようで、お墓参りだけするところに見える、ただし、中国では、お寺は都市のど真ん中にいっぱいあって毎日お参りする場所ではあるが、逆に、お墓参りとなると、お墓はとてつもなく遠い場所にあって不便なので、そこは日本の方が便利…

と言われたそうです。

中国における都市と都市の外の概念がそもそも日本と全く違うと思いますが…

まあ確かに商店街、お店20件ごとにお寺があって、毎日お参りできる…とは、日本はなっていないところが多いかもしれません。この方がお寺は実はいっぱいあるのに気がつかないで歩いているというだけではなくて。(この間、NHKのテレビで、商店街にお寺の出張所があって、喜ばれているという番組があったように思いましたが、わざわざテレビ番組になるということは、逆に、そういうことが珍しいからでしょう。)

あるいは、確かに、欧米でも、人が住んでいるあるいは働いているのに、近くに教会がないという街はないですね。

日本ですと、確か、千里ニュータウンでしたか、竹藪かなにかを切り開いて、団地を造るときに、都市計画として、お寺は必要だなというので、お寺さんを呼んだ、よって、今でも、ゴーストタウンになっていないので、阪急でしたか、街を作った会社の社長さん、実に先見の明があったというビジネス成功たんはあったかとは思います。

☆theotherwindさんへ
お寺を忘れずに都市計画されたお話、初めて聞きました。結果、ゴーストタウン化せずにいることも、興味深いですね。
やはり、我々人間は、なにかよりどころを求めて生きているのでしょうね。
 
中国と日本の都市の概念は、おそらく全く違うようですね。
お寺は、日本にもたくさんあるんですよ。コンビニの何倍も。ただ、機能しているかいないかという問題点はありますが…。

> お寺は、日本にもたくさんあるんですよ。

台湾は出張で20回くらい行きましたが、なにしろ出張ですから、町を歩いてはいません。空港→事務所→会食→ホテルで深夜に寝るだけ。ただ、会社のマイクロバスでホテルから事務所に移動する間に、商店街、言ってみれば魚屋さんと八百屋さんの間にお寺があるという印象。もっとも同じバスに乗っていた日本人はあれはなんですか?お寺ですと聞いていました。お寺以外の何物でもない建物なんですが、きっと、たとえば隣の飲食店と同列で、屋台で何か食べている人の隣というのがピンと来なかったのだと思います。お寺は生きている人のためにある。生活の一部なのに…という中国の人の日本のお寺に違和感あり…ということの逆なのではないでしょうか。

> コンビニの何倍も。

この言い方はよく聞きますね。中国の方が見落としている、気がつかないで通り過ぎているということはあると思います。地図を見ればいっぱいあるんですが…。もっとも飲食店と同列に商店街にはあんまりない気はします。

> 中国と日本の都市の概念は、おそらく全く違うようですね。

大陸には1988年に短期留学していたことがありますが、私の印象では都市は、伝統的には城壁で囲まれた空間。その外はいきなり砂漠チックな印象でした。当時、気がつきませんでしたが、お寺は都市内、お墓は外にあるのかもしれません…。そうしてみると、この話は台湾ではなくて大陸からこられた人のお話だったかもしれません。勝手に台湾の話かなと思ってましたが。今ですと、テレビで、文化大革命のときには、仏像を埋めて隠していたのを、掘り出して、毎日拝んでいますというような感じですが、当時は、学生寮にかんずめ(?)は大袈裟としても、あまり、出歩かなかった時代でした。(交通機関も基本的には徒歩しかなかったですし…。現在、たとえば、高速道路、環状線でいくつも囲まれている面積を北京と考えるというのが今の感覚ではないのかと思いますが、だとすると、当時の私の感覚では歩いていける範囲が北京なので、面積ではとてつもなくちいさーーーーーい範囲が私の北京なのでしょう)。

あとはいきなり学校主催の修学旅行みたいなもので、これはいきなり泰山とか行ったと思います。孔子廟は文化大革命で破壊された石碑を、ちょっと現地の人が(?)応急手当で一部修復しただけ…みたいな場所でした……。今は多分めちゃくちゃに綺麗に修復されているのだとは思いますが。ただ今なら芋を洗うような観光地になっているだろう場所も、当時は、行ったら自分一人しかいないというスカスカだったのは良かったですね。泥棒がいない時代だったので、ロープもなければ、ガラスケースもなしみたいな…

☆theotherwindさんへ
たしかに、中国に行くと、お店や一般の家との並びの中に、当たり前のようにお寺がありますね。
日本は、ここの敷地はお寺って、ハッキリ分かりますが、中国では見落としますよね。あれは何ですか?と尋ねられた方の気持ちも分かるような。
で、中国のお寺に入ると、、境内(っていうのかな)で近所の人たちが集まって、遊んだり、お茶したり、ご飯食べたりしてました。まさに日常ですね。

> 中国のお寺に入ると、、境内(っていうのかな)で近所の人たちが集まって、遊んだり、お茶したり、ご飯食べたりしてました。まさに日常ですね。

会社のマイクロバスの車窓からしか見たことないのですが(^o^;)、そういう感じですね。

もっとも、多分、お参りの場合は、全然分かっていませんが、左足から歩くとか、仏舎利塔か本堂か何かそういうものの周囲を時計回りに三周するとか、五体投地を何回とかありそうな気はします。いえ、分かってません。私だと、入口と出口が違うのに、間違って入口から出てしまうとかやりそうです(^o^;)。社会学では宗教儀礼は自分は信心が足りないのではないかと自分で自分を疑っていても、それでも誰でも参加できるから宗教儀礼は大事なんだ…という基本的な考えがあるとは思うのですが…。

あと、一般に参詣しておられる方がお持ちのお線香が長尺な印象…。

ご本山の報恩講にお参りさせていただいたときに求めた宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌記念お線香はミニ寸でしたが…(^o^;)。お線香を折る10秒節約して何になるんだと一瞬思いましたが、おもしろいなぁと思い求めました。実はこのお線香、ただ短いから折らなくても土香炉にそのままおけるというだけではなく、「一般のお線香を短く折って薫じて頂く場合、火持ち時間の短いのが欠点となりとても不便でした。この「浄聖薫 超短寸」は比較的、長時間薫じられるように製造されております。」というアイデア商品だったっぽいです。時代の最先端だったのか…。

お線香というと西本願寺さん門前に負野薫玉堂という、もちろん創業当時にはお線香は扱っておられなかった(というか発明されていなかった)でしょうが桃山時代から続くお店があると思うのですが、何でも、負野さんという姓は本願寺からもらったそうですね。なんでも石山合戦の頃、ご先祖の方が御真影を負ぶって、野を逃げたという……。そのまたご先祖の方、というか、たどれる最古のご先祖の方、蓮如上人の頃の寺侍だったとか…。こちらは伝統ですね。

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