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2010年1月 1日 (金)

2010年1月のことば

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玄関の生花  坊守(釈尼妙優)作
   

住職年頭の挨拶
 あけましておめでとうございます
「光陰矢の如し」と申しますが、昨年は特に時間の経過を早く感じました。さっき2009年の「年頭の挨拶」を考えていたのに、もう2010年の挨拶を考えるときがきたのだと驚いています。
60歳を越えたとき(今年で66歳になります)、あとどれくらい生きられるだろうか、一日一日を大切に生きようと思ったものです。新年を迎え、あらためて 一日一日の尊さと、無駄に過ごしてはいないだろうかという反省を感じました。
私が無駄に過ごした今日という日は、昨日亡くなられた方が「生きたい」と強く願われた一日なのです。
 
ただ一度かぎりの この生命なのだ
大切に 大切に 今日一日を生きよう

 
恩師である広瀬杲(ひろせ たかし)先生のことばです。この世に生まれてきたのは、仏法聴聞のためであるとも教えていただきました。
今日も「いのち」をいただいたことに手を合わせ、仏法聴聞の生活をしていきたいと思います。
本年もよろしくお願い致します。
西蓮寺住職(釈謙弌)
    
    
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 想いは、響きあうもの。
  もらうばかりでは、「共感」とは言わない。

   
「共感」とは、共に響きあってこそ、いえることではないだろうか。一方通行の感情を、「共感」とは言わない。
    
ある事件を起こした若者に対し、「起こした事件は許せないけれど、若者が置かれている状況には共感します」という声を多く聞いた。以来、「共感」ということが引っかかっている。
事件を起こした者に共感することが引っかかったのではない。若者の置かれていた状況は、決して他人事ではない状況だったのだから。
「共感します」というセリフに抱いた違和感は、どこから来たのだろう。本当は、もっと温もりを感じさせることばであるはずなのに。
   
「共感」とは、「私が感じる」だけにとどまらず、「相手と、私とが、共に感じ合う」のではないだろうか。
   
ふたつある物体の片方を鳴らすと、もう片方に振動が伝わり、その振動により、元の物体をもまた響かせる。
 
作った料理を食べた子どもが、「美味しい 」と言ってくれただけで、自身はまだ口にしていなくても、料理の美味しさが伝わり、笑顔になる。その笑顔は、また子どもへと伝わる。
  
悲しい想いをしている人の姿から、自身の悲しみを思い返す。今までは、自分の中だけで、自分だけを悲しませていた出来事が、人は誰もが悲しみを背負って生きているという事実に目覚めさせ、前を向く勇気を与える。私の一歩が、悲しい想いをしている人の第一歩ともなる。
   
想いは、響きあう。もらうばかりでは、それは「共感」とは言わない。
「共感」の「感」はなにを表すのだろう。感激・感銘・感動・感謝・・・。こころに訴えかける出来事は、世の中に満ち溢れている。
 「感激しました」
 「感銘を受けました」
 「感動をもらいました」
 「感謝しています」
感極まって口にしてきたことばの数々。しかし、「感」の想いは、本来響きあうもの。自分の中だけで「感じる」のではなく、「感」をくれた相手に、「感」のお返しをすることが、感激・感銘・感動・感謝。まるで振り子のように行き来するからこそ、「共感」。
事件を起こした若者に、「共感します」の響きは伝わっただろうか。いや、伝わってはいないだろう。彼のような人間には伝わらない…のではなく、こちらからの「感」の振動が全然足りないのだから。
響き合い、感じ合うことがあってこそ、「共に」という関係が築かれる。
  
   
    
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コメント

若住職、あけましておめでとうございます。
1月1日一年の初めの日に、こころに響くお話を拝読いたしました。秋葉原での出来事は、私にとって他人事とは思えませんでした。以前にもお話いたしましたが、あの青年と私の境遇があまりにも似通っていたのです。青年と私とで、変わるところは全くございません。もしかしたら私があのようなことをしていたかもしれない、ただ、私は今日まであのようなことをしてこなかっただけであるということを、今でも思います。自分以外の人に共感するということは、やさしいことではありません。でも、共感しようという気持ちは、医療に携わることになる者として、これから先もずっと持ち続けていきたいと思います。かつて「3年B組金八先生」というドラマの主題歌で「贈る言葉」という歌がありましたが、その歌詞の一節に「人は悲しみが多いほど、人には優しくできるのだから」というものがありました。「人の事を憂うことができる人を優しい人というのです」というセリフも出てきました。人の痛みや辛さを少しでも和らげ、その人がその人らしく生きていく手助けができるように、より一層の研鑽に努め、今年一年、今日一日を最後の一日と思って大切に過ごしてまいりたいと思います。

☆がくさんへ
あけましておめでとうございます

明記しなかったけれど、秋葉原の事件って分かりましたか(分かりますよね)。確かに、当時がくさんとはそういう話をしましたよね。私も同感でした。
 
「人は悲しみが多いほど、人には優しくできるのだから」♪
武田鉄也さんの声が聞こえてきます。
「人の事を憂うことができる人を優しい人というのです」
大晦日のブログに書いた斉藤里恵さんの
「隣に誰かがいるだけで、〝憂い〟は〝優しさ〟に変わります」
ともかぶりますね。優しさの条件は、憂いなのかもしれませんね。憂いは、無い方がいいのかと思ってしまうけれど、憂いあるからこそ、優しさというものがにじみ出てくるのでしょうね。
医療に携わろうとしているがくさん、一応僧侶の私…“共に”自他の憂いを見つめながら、歩んでまいりましょう。
本年もよろしくお願いいたします。

本年もよろしくお願い申し上げます。

最高の共感は「機感」「感応道交」でしょうね。

携帯メールをいただいてから、「白骨の会」の時間変更に気が付きました。第2部は無くなるのかな、と思ったのですが、早めから始めるようで安心(?)しました。

あけましておめでとうございます。ごぶさたしております。ちょこちょこ拝見はしていたのですが、なにぶん一年で一番忙しい時期を過ごしていたので、暗いうちに家を出て暗くなってから帰ってくる生活をこの一カ月ほどしていました。パソコンをつけてみるのが精いっぱいでコメントは文章を考えてしまうので疲れてしまいごめんなさい。

今日はやっと年明け後初の休みでした。毎年恒例の箱根駅伝を見ながらゴロゴロとしていました。実は年末最後に、あまりに殺伐とした職場にイライラし、片付けるか!と思い立ったのですが、きっと“なんであたしがやらなきゃならんのだ?”という気持ちが表れ罰があたったのか、パレット(←よく宅急便屋さんの営業所とかに止めてある荷物を運ぶための箱みたいなもの)を折りたたんでいたら・・・バランスが崩れ、私の足におっこちてきました。間一髪とはいえませんが、かろうじて殴打とまではいかずかすった程度だったのですが、日が経つにつれ青タンが紫になり・・・骨に響く痛み(ノ_-。)年末で病院もやってないから、湿布を貼って包帯ぐるぐる巻きでびっこひきながら歩くので、腰まで痛くなり・・・おばあちゃんみたい。
そんなわけで、正月だというのにだらだらな一日でした(笑)まあ、この一カ月よく頑張ったし少しはご褒美で。

今年は是非お寺にうかがえるといいな~と思います。
本年もどうぞよろしくお願いします。

坊守さんにもよろしくお伝え下さい。

あけましておめでとうございます。

ブログをリニューアルしたんですね。ずいぶんと手の込んだ造りに進化しています。

事件って秋葉原の事件のことだったのか。そういえば私もその事件を起こした人同様、学歴で悩み、恋人ができないことに悩みましたからね。他人事ではなかったです。私のようなタイプに共通する特徴は主にこの三つでしょう。

 欲系:恋愛と性行為がしたくてしたくてたまらないこと。(これで萌系アニメオタクになることもあるし、酷い事件を引き起こすこともあります。経験していない事実が、モテナイ事実が、恐ろしい衝動となり苦しいのです。)
 怒り系:社会に適応できない・自立できないこと。(仕事に就けない、就く気がない、仕事でうまくいかない、引きこもる、無気力、臆病、自信がないなどの問題が生じます。)
 無知系:コミュニケーションが苦手なこと。(人間関係がうまくいきません・何を話したらいいのか言葉がうまく浮かばないという特徴があります。)

 この三つの敵を倒すことが今年からの目標、そして幼い頃からの夢を実質的に叶える。実践以外に私に生きる道などない。

あけましておめでとうございます。

新たな年に当たり、坊守さんのきれいなお花を拝見してお正月らく、ほんと、いちばんのお年玉です。

「響きあう 共感」
共に心が響きあう。一人でなく、誰かがいないと成立しないんですね。楽しいこと、悲しいこと、辛いことも、ともに心を響かせられる自分でありたいと新年にあたり思いました。

☆やすさんへ
文章を書きながら、あぁ、感応道交だなぁって感じていました。
「響感」という造語も思いつきました。
 
お体お疲れのご様子。お大事になさってください。
聞法会・白骨の会、各種講座…本年もあちこちでお会いしましょう。よろしくお願いいたします。
ご法器大切に。

☆みどりんさんへ
明けましておめでとうございます。
みどりんさんたちのご苦労のおかげで、新年は年賀状を通して懐かしい友と出会うことができます。ありがとうございます。
 
お怪我、その後いかがですか。
すでにご出勤のことと思いますが、ご無理なく、お大事になさってください。
 
お父様から坊守に年賀状が届いていました。
親どうし繋がりがあり、そのまた子どももご縁をいただく。有り難いことです。
本年はお寺へもお出かけください。お待ちしています。
本年もよろしくお願いいたします。

☆真照さんへ
おけましておめでとうございます
リニューアルといっても、ボタンをポチッポチって、少し押す程度でできるので、ハード面が全然な私でも、すぐに模様替えができます。新年をきっかけに、久しぶりに雰囲気を変えてみました。
  
三つの共通点…私にも当てはまるような。でも、自覚してなかったなぁ。
真照さんは、自覚している強みがあります。「敵を倒す」というよりも、「敵を見方にする」といった方が、自分で自分を苦しめずに済むかもしれません。

☆たかさんへ
あけましておめでとうございます
 
お花喜んでいただけて、坊守も嬉しいと思います。
そこに目がいくのが、たかさんの優しさです。ありがとうございます。啓翁桜を生けてあるのですが、立派です。
 
「共感」を「響感」と言ってもいいなぁ、なんて、ひとりで悦に入ってました。
共感は一人ではできない。まさにそうですね。響ける我となる。大きな目標ができましたね。
本年もよろしくお願いいたします。

「あなたのお話に共鳴しました」という日本語表現は、モンゴルのホーミー、なんと言うのか倍音声明みたいな、お互いに相手が発声する倍音に物理的に共鳴することだというような話を聞いたことがあります…。

浄土宗さんの法然上人800年大遠忌のテーマ(?)、あるいはスローガン(?)は、善導大師の「願共諸衆生往生安楽国」から「共生(ともいき)」ということらしいですね。

(浄土宗×一澤信三郎帆布コラボの共生ショルダーバッグが良いんですよねぇ…。あれは欲しいです。「今、いのちがあなたを生きている」バッグとか作って欲しいなぁ。まあ家族からは、「今、いのちがあなたを生きている」というのは、言っていることはわかるような気はするが世間一般の日本語からみたら主語・述語は変ではあるという感想はありましたが…。まじめに考えて作りすぎなのか……。逆にうちの連れ合いの実家の本願寺派の「世のなか安穏なれ」はそのまんまなので、新たに作った文ではないわけですが、ただ、それを聞いて、たとえば、現世安穏とか安穏快楽とか、世間一般で連想するのかどうか…。)

☆theotherwindさんへ
御遠忌テーマが発表になって、もう5,6年経つでしょうか。来年には、その御遠忌を迎えようというときになっても、まだテーマが変だ嫌いだでゴチャゴチャ言っているこの業界。
テーマを設けて、響かせたい、伝えたいという振動を発することなく、無駄に時間を費やしている。こちらからの響きがないのですから、門徒さんに伝わるはずがないですね。
 
「今、いのちがあなたを生きている」バッグ…好きです、そういう発想。やっぱりエコバック(エゴバック)でしょうか?
 
御遠忌テーマ
本願寺派「世のなか安穏なれ」
大谷派「今、いのちがあなたを生きている」
は、両派の雰囲気・個性が出ていて、個人的にはカラーの違いが出て面白いなと思いました。どちらが良いとか悪いとかって問題ではないですよね。

> やっぱりエコバック(エゴバック)でしょうか?

浄土宗さんはエコバックを記念グッズにしておられたと思います。コラボのバックとはまた別のグッズですが。確か「心のリサイクル」だったか、そういうマークをお作りになっておられたような…。確か七高僧とか仏教史観というか心が受け継がれていくというような意味づけがあったような気がしました。

> どちらが良いとか悪いとかって問題ではないですよね。

おっしゃる通りですね。

http://www.jodo.or.jp/honentomoiki/kyoseitomoiki.html

ココロエコ

でした。

下半身が金色の善導大師と出逢った法然上人の絵が素敵です。

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