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2009年9月24日 (木)

お彼岸な一日⑥

9月24日(木)
今日は予想通り、お参りが少ないです。
お参りの方が少ないので、お参りの方とゆっくりお話する時間がありました。
その方は体が丈夫な方でしたが、足を悪くされ、今は杖を使って歩かれています。
   
「幸い車の運転には支障がないから、車でお寺まで来れるけど、電車で来る気にはならないですね。駅の中を歩くのが恐くて。みんな早足でしょ。何を急いでいるんだか。今の私は、手押しの車を押しながら歩いている年寄りにも追い越される始末です。
足がこんなになるまでは、そんなお年寄りを、おせぇなぁなんて思っていたんですよね、私も。杖を使うようになって、そんなことを言っていた自分に気付かされました。恥ずかしいです。
だけど杖を使うようになってね、けっこう電車の中で席を譲られるんですよ。ゆっくり歩いていても、周りの人間が気を使ってくれているのも感じられるようになりました。杖を使うようになって、悪いことばかりじゃないですよ」
 
痛みを感じて、今まで見えなかった世界が見えることがあります。
杖を使うようになって、スタスタ歩いていた頃と比べれば、そういう意味では不自由かもしれません。
でも、その不自由なままで、今まで気付かずにいたことを知ることができた。

傲慢に生き、
周りに不平不満ばかり言っていた私
そんな私(今日お話した門徒さんがというのではなく、誰もが)だけど、
自身の恥ずかしさを知り、
周りの温もりを感じるようになった。
 
今日、この門徒さんとお話ができたのは、
そういうことを知れよ!という促しだったのだと思います。
  
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網戸に張り付いていたカマキリです。

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コメント

『痛みを感じて、今まで見えなかった世界が見えることがあります。杖を使うようになって、スタスタ歩いていた頃と比べれば、そういう意味では不自由かもしれません。でも、その不自由なままで、今まで気付かずにいたことを知ることができた。』
おっしゃる通りでございます。
小生も4月に鎖骨を骨折して、8月に固定を解除して、現在はリハビリ中ですが、おかげさまで電車のつり革にもつかまることができるまでになりました。
以前にも書きましたが、きっと今回の骨折は、仏様阿弥陀様そしてご先祖様が、「この男に気付きを得るきっかけを与えよう」ということで、これまでの歩みを顧みる良い機会を与えてくださったものと思っております。
さまざまな場面で不自由さを感じました。そして、健康であることは決して当たり前ではなく、いかに有り難いことかを身をもって実感いたしました。
さらに、席を譲っていただく等、多くの皆様の温かいご支援お力添えをいただきました。
最終的に骨は癒合し、運動機能も順調に回復してきています。しかしそのことでさえ、自分ではどうすることもできないこと。きっと、仏様阿弥陀様そしてご先祖様が、『今回はこのへんにしておいてやろう』ということで、快方に向かわせてくださったのだと思います。自分の身体でさえどうすることもできないのです。だったらもう、仏様阿弥陀様そしてご先祖様に全てお任せするしかない。
今回の骨折を通して学んだことは以上のようなことでございます。
いつも恨みや憎しみを抱きながら生きているどうしようもない自分ですが、そのどうしようもなさをきちんと自覚して、これからも生きてまいりたいと思います。

☆がくさんへ
骨折の快復、なによりです。
我が身は、おまかせの身である。
そういうことを表現したかったのです。
そう書けばよかったのですが。

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