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2009年9月26日 (土)

お彼岸な一日⑧

9月26日(土) お彼岸最終日
天気に恵まれた秋のお彼岸。早いもので最終日です。
みなさま、ようこそお彼岸にお参りくださいました。
  
ブログの検索ワードで、「お彼岸を終わってからもお参りしていいのか」とありました。
お彼岸の前でも、後でも、お彼岸中でも、いつでもお参りください。
ご注意いただきたいのは、
お参りにみえてお墓だけをお参りするのではなく、お寺の出入りの際に、本堂の前で、ご本尊に手を合わせ、合掌礼拝を心がけてください。真宗の門徒の方は「南無阿弥陀仏」とお念仏申しましょう。

お彼岸のお参りというと、亡き人に対するご供養の意識が強いと思います。それゆえ、「お彼岸を終わってからもお参りしていいのか」と、時期やタイミングが気になるのだと思います。
しかし、お参りは、亡き人との縁を通して、私が、私自身を見つめるときをいただくのです。
亡き人の供養のためではなく、自身の今を見つめるため。そういう時間を、私がいただいています。
いつか死を迎えることがわかっているいのちを、そんなことを気にせず生きている私。幸せを願いながらも、不幸を作り出している私。平和を願いながらも、和を乱して生活をしている私。お参りをされて、いろいろと振り返ることになります。
お参りは、亡き人のためではなく、私自身のため。亡き人は、大切な時間を私にあたえてくださっています。
お参りはいつされてもかまいません。どうぞお参りの時期・作法など気にせずに、お参りできるときにお参りしてください。
 
ちなみに、私は「お墓参り」とは書かず「お参り」と書いています。お参りすべきは「お墓」ではありませんので。
ご本尊にお参りする、つまり南無阿弥陀仏と念仏申すこと…それがお参りの大事です。

   

お彼岸な?一日⑧
妻の帰省(遅い夏休み)に付き添って、秋田に来ています。
娘は、生まれてから一ヶ月は秋田で過ごし、それから東京に来ました。それ以来、七ヶ月ぶりの秋田です。
秋田のジィジ バァバ オジチャンは大喜びです。 秋田空港に迎えに来てくれたオジチャンは飛行機に乗ったことがないそうで。娘は4回目の飛行機でした。
写真は、秋田空港にいたスギッチです。秋田県職員をされています。

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コメント

こんばんわ。何だか久しぶりな気がしますね。
お彼岸も終わりましたね~私も昨日まで長崎に帰省してきました。久しぶりに彼岸会に顔を出しました。私が子供の頃は沢山のご門徒の方々がお参りにいらして下さったのに・・・と、何とも寂しい感じがしました。それも、これも・・・誰のせいとは言いたくないですが。
父にかつさんの話をさせていただきました。「そんなに立派なご子息に恵まれて羨ましいね」と言ってました。

そうそう、姪が遊びに来たのですが先日知人の奥様が亡くなったので、伺って一緒に正信偈をお勤めしました。6歳になった姪は他の誰よりも胸を張って、父よりも大きな声ではっきりとお勤めしていました。
私は、たまに勤行集に目をやりつつ・・・(汗)
でも、子供の頃の記憶ってすごいですね。覚えてるもんだな~なんて。
2歳になった従兄の子供はまだ喋れないのに音とリズムは合っていて驚きました。
でも、彼岸会で福田玄洞先生のお話を聞いたのですが、「念仏申す時も、ただ南無阿弥陀仏と言うのではなく意味を理解してください。お正信偈もただ読むのではなく、少しづつ意味を勉強して、”ああなるほどな”と思ってお勤めしてください」と言ってました。
何だか、私に言われているみたいで心が痛かったです。

でも、今回の帰省は有意義に過ごすことができました。

奥様は秋田県のご出身ですか!何とも羨ましい。
私は一度しか訪れたことがないですが、一度で好きになりました。まだ、深夜勤をしていた頃どうしても行きたくて後輩の子と二人で深夜明けに新幹線で秋田に行きました。(あの頃はまだ体力があったので・・・笑)その時はどうしても青森県の弘前城にも行きたくてはしごしたので行けませんでしたが、またの機会には必ず角館へ行きたいですね~

是非、秋田県を満喫してきて下さい。

☆みどりんさんへ
お久しぶりです。コメントありがとうございます。お返事が遅くなって申し訳ありません。
京都ご本山の還座式にお参りに行って参りました。末寺での行事(報恩講や彼岸会・盆会など)への参詣者が減っているという現実はありますが、還座式には雨にもかかわらず、多くのご門徒が参詣にお見えになりました。聖人を、お念仏を大切に思う方々が、まだこんなにいらっしゃるんだなぁと、感じました(数の多少が問題ではないけれど)。
そういう意味では、お聖教は、意味を知るというよりも、感じるものだと思います。
 
子どもは、意味を知らなくても、嬉しそうに正信偈をお勤めします。
大人は、意味を知ろうとして、しかめっ面で正信偈をお勤めします。
不思議ですね。
4歳下の妹も、私が住職から稽古つけてもらっているのを横で見ていて、正信偈を覚えたのを思い出しました。私の得度考査のとき(10歳)、口ずさんでいました。
 
何かを感じる法要に…御遠忌が、寺の集いが、そういう場になればいいなぁと思います。
  
   
 

 

 


 

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