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2009年9月 4日 (金)

あいたくて 

先輩僧侶からお葉書をちょうだいいたしました。
工藤直子さん(詩人)の「あいたくて」という詩が書き添えてありました。
 
 
 あいたくて
       工藤 直子

   
  あいたくて
  だれかに あいたくて
  なにかに あいたくて
  生まれてきた─
  そんな気がするのだけれど
 
  それが だれなのか なになのか
  あえるのは いつなのか─
  おつかいの とちゅうで
  迷ってしまった子どもみたい
  とほうに くれている
   
  それでも 手のなかに 
  みえないことづけを
  にぎりしめているような気がするから
  それを手わたさなくちゃ
  だから
   
  あいたくて
    
     
      
今月の掲示板のことばの文章中、
この世に生まれてきたのは、自分自身で「生まれたい」と思ったからです。
と書きました。そういうことを言うと、よく批判されるのですが、でも、私は本当にそう思っているのです。
この世に生まれてきたのは、自分が生まれたいと思ったからだって。
いや、とくに根拠や理由があるわけではなくて、こころの芯からそういう想いが湧いてくるのです。 
   
工藤直子さんの詩に会わせていただいて、「あいたい誰か あいたいなにか」があるからなんだなって感じました。
誰にあいたいのか なににあいたいのか分からないけれど、大事なものを握っているから、それを大事に握ってなくちゃ
「なむあみだぶつ」と口にするとき、手が合わさるのは、大事なものをなくさないためになんだと思う。

        
また、もしかしたら、すでに出会っているのかもしれない
あいたい 誰かに
あいたい なにかに
それに気付いていないだけ 認めたくないだけ
目の前にいる人かもしれない
今の私の境遇なのかもしれない
あいたかったものに すでにあっていた
でも あたりまえすぎて気付かないのかもしれない
 
なんてことを考えていたら、
ハガキを手に、子どものように 素直に笑えた

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