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2009年8月15日 (土)

非核非戦の碑

坊守の故郷である長崎に行った際、JR長崎駅近くにある真宗大谷派 長崎教会(長崎教務所)を訪ねました。「非核非戦の碑」にお参りするために。
    
非核非戦の碑
1945年8月9日11時2分、長崎に原子爆弾が投下されました。その死者は約15万人とも言われています。長崎の爆心地周辺には、無数の亡骸が横たわっていました。原爆投下の翌年、進駐軍は、爆心地近くに飛行場の建設を計画します。
この惨状を憂えた人々は、亡くなられた方々の亡骸を集め、荼毘に付しました。水を求めて、川の中で重なったままの亡骸・半分は腐り、半分は白骨と化した亡骸など、途方もない数です。亡骸を集める方々は、やせ衰えた体で荷車を引き、亡き人々のご遺体を集めました。
荼毘に付した遺骨は、市の施設では間に合わず、市内の大谷派寺院に預かっていただくも、お寺も被害を受けているわけです。多くのご遺骨を預かるわけにはいきませんでした。そして、教務所で預かることとなりました。収骨所は、長崎教会本堂裏にありましたが、1999年11月9日に「非核非戦の碑」が本堂前に落成されました。名前も性別も年齢も出身地も分からぬ方々の、20000体とも言われるお骨が、「非核非戦の碑」に収められています。
「非核非戦の碑」は、原爆で亡くなられた方々の慰霊のために建てられたのではありません。戦争により、人と人とが殺し合い、ついには原爆を造り落としてしまう。そこには、人間の知恵の愚かさと、その愚かさを見ることができない闇が生み出す罪の深さがあります。その愚かさと罪の深さが明らかになる「場」として、この「非核非戦の碑」は建てられました。
(参考「非核非戦の碑」前にある解説文より 副住職要出)
 
Dscf2557
  
非核を訴える人は多い。しかし、原爆だけがなくなればいいという話ではなく、原発問題にも関わることだと思うのです。にもかかわらず、そこまでの話にはならない。原発がなくなれば、生活が不便になるから、原発問題には言及しない。自分にとって都合のいいものは認め、都合の悪いものは拒否する心が反映されています。
非戦を望む人は多い。しかし、非戦を望むものどうしが争いをしている現実がある。戦争は、善と悪が対立して起こすものではない。善と善とが対立して起こすもの。「善」とは、自分にとって都合のいいものを求めるこころです。
核をなくせ、戦をなくせ、それが多くの声だと思う。しかし、なくした方がいいものが、なぜあるのか。なぜ起こるのか。それは、必要とする者がいるからです。それは、他の誰かではない、この私自身。
  
戦後64年。二度とあの悲劇を繰り返してはいけないと、戦争の悲惨さを語る人、その話に耳を傾ける人々がいます。反面、「戦争を経験していないから、戦争の恐ろしさが分からない。戦争を経験した人が感じた恐怖・悲しみが分からない」という声も聞こえてきます。
悲しみに寄り添うためには、同じ経験をしていなければいけないのでしょうか? また戦争を経験し、その上で悲しみを知ろうというのでしょうか。それでは遅いのです。そういうことが悲しみに寄り添うということではないのです。
想像してみてください。目の前に悲しみの叫びを上げている人がいることを。自分の利益のために、他を殺していい道理などありません。それは、戦争でなくても、日常生活でも同じことです。ちょっとの想像力、私と共に人がいるという感性、それらの欠如に哀しみを持たずに暮らしている私自身への気付き。これらによって、戦争の経験の有無に関係なく、64年前の出来事を共有できると思うのです。
夏の暑さの中、「非核非戦の碑」の前で手を合わせ、声なき声が聞こえてきました。
 
Dscf2572

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