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2009年8月

2009年8月18日 (火)

発見!

発見!
 
発見!

「眼鏡橋」って、「Glasses Bridge」じゃなくて、「Spectacles Bridge」っていうんですね!
ちょっと感動してしまいました。
 
坊守の出身地(長崎)に来ています。96歳になる祖母に、半年の娘を会わせに来ました。祖母からすると、13人目のひ孫です。

2009年8月15日 (土)

非核非戦の碑

坊守の故郷である長崎に行った際、JR長崎駅近くにある真宗大谷派 長崎教会(長崎教務所)を訪ねました。「非核非戦の碑」にお参りするために。
    
非核非戦の碑
1945年8月9日11時2分、長崎に原子爆弾が投下されました。その死者は約15万人とも言われています。長崎の爆心地周辺には、無数の亡骸が横たわっていました。原爆投下の翌年、進駐軍は、爆心地近くに飛行場の建設を計画します。
この惨状を憂えた人々は、亡くなられた方々の亡骸を集め、荼毘に付しました。水を求めて、川の中で重なったままの亡骸・半分は腐り、半分は白骨と化した亡骸など、途方もない数です。亡骸を集める方々は、やせ衰えた体で荷車を引き、亡き人々のご遺体を集めました。
荼毘に付した遺骨は、市の施設では間に合わず、市内の大谷派寺院に預かっていただくも、お寺も被害を受けているわけです。多くのご遺骨を預かるわけにはいきませんでした。そして、教務所で預かることとなりました。収骨所は、長崎教会本堂裏にありましたが、1999年11月9日に「非核非戦の碑」が本堂前に落成されました。名前も性別も年齢も出身地も分からぬ方々の、20000体とも言われるお骨が、「非核非戦の碑」に収められています。
「非核非戦の碑」は、原爆で亡くなられた方々の慰霊のために建てられたのではありません。戦争により、人と人とが殺し合い、ついには原爆を造り落としてしまう。そこには、人間の知恵の愚かさと、その愚かさを見ることができない闇が生み出す罪の深さがあります。その愚かさと罪の深さが明らかになる「場」として、この「非核非戦の碑」は建てられました。
(参考「非核非戦の碑」前にある解説文より 副住職要出)
 
Dscf2557
  
非核を訴える人は多い。しかし、原爆だけがなくなればいいという話ではなく、原発問題にも関わることだと思うのです。にもかかわらず、そこまでの話にはならない。原発がなくなれば、生活が不便になるから、原発問題には言及しない。自分にとって都合のいいものは認め、都合の悪いものは拒否する心が反映されています。
非戦を望む人は多い。しかし、非戦を望むものどうしが争いをしている現実がある。戦争は、善と悪が対立して起こすものではない。善と善とが対立して起こすもの。「善」とは、自分にとって都合のいいものを求めるこころです。
核をなくせ、戦をなくせ、それが多くの声だと思う。しかし、なくした方がいいものが、なぜあるのか。なぜ起こるのか。それは、必要とする者がいるからです。それは、他の誰かではない、この私自身。
  
戦後64年。二度とあの悲劇を繰り返してはいけないと、戦争の悲惨さを語る人、その話に耳を傾ける人々がいます。反面、「戦争を経験していないから、戦争の恐ろしさが分からない。戦争を経験した人が感じた恐怖・悲しみが分からない」という声も聞こえてきます。
悲しみに寄り添うためには、同じ経験をしていなければいけないのでしょうか? また戦争を経験し、その上で悲しみを知ろうというのでしょうか。それでは遅いのです。そういうことが悲しみに寄り添うということではないのです。
想像してみてください。目の前に悲しみの叫びを上げている人がいることを。自分の利益のために、他を殺していい道理などありません。それは、戦争でなくても、日常生活でも同じことです。ちょっとの想像力、私と共に人がいるという感性、それらの欠如に哀しみを持たずに暮らしている私自身への気付き。これらによって、戦争の経験の有無に関係なく、64年前の出来事を共有できると思うのです。
夏の暑さの中、「非核非戦の碑」の前で手を合わせ、声なき声が聞こえてきました。
 
Dscf2572

2009年8月 1日 (土)

2009年8月のことば

   Dscf2405
   仏智うたがうつみふかし
    この心おもいしるならば
    くゆるこころをむねとして
    仏智の不思議をたのむべし

              親鸞聖人
   
   
今月のことばは、親鸞聖人が書かれた 「仏智疑惑和讃」と呼ばれている和讃です。試訳してみました。
   
仏の智慧を疑うという罪は、とても深いものです。
このような罪深い心を思い知ったならば、
後悔・懺悔のこころを常に大切に持ち続け、
このような私をも救いたいと願ってくださる仏智に身をまかせて生きていけるようになる時が、きっとやってきます。

   

平等を望みながらも、平等とはほど遠いこの世の姿。人は、平等を望みつつも、他人より優位であろうとするのですから、仕方のないことかもしれません。
仏智…阿弥陀仏は、生きとし生けるものすべてをすくいたいと願われました。生きとし生けるものすべてが救いの対象です。あの人は頑張っているからといって、特別扱いをしたりはしません。この人は悪いことをしたからといって、見捨てたりはしません。
阿弥陀仏の願いに、分け隔てはありません。このような平等のすくいを、「仏智」と言います。
 
阿弥陀仏のすくいの光明に照らされているにもかかわらず、そのことをうたがう私がいます。
阿弥陀仏のすくいは、うたがいを持っている者にも向けられています。だからこそ、安心して生きていけるのです。
   
「仏智の不思議をたのむべし」…仏智を頼りとしなさいと命令しているわけではありません。誰に対しても仏智が注がれているからこそ、頼みとして生きていくことができるようになるときが、いつか必ず、誰の身の上にもやってくる。誰にも必ず…その想い(確信)が、「仏智の不思議をたのむべし」と言わしめているのです。
    
身近なことで考えてみましょう。人生において、師と仰げる人に出会えるか否かは、一生を大きく左右します。
師と仰げる人なんていないと言う人もいるかもしれませんね。しかし、既に会っているのです。
親、先生、先輩…。目上の人ばかりが師とは限りません。子、生徒、後輩…。
私を守りたい、助けたいという温もりに包まれて、今、私は生きています。
私を頼りとしてくれている真剣な眼差しを受けて、今、私は生きています。
しかし、そのことに気づいてない私。鬱陶しく感じてしまう私。有り難さを感じられない私。
かけがえのない師に、大切な友に出会えていないと、淋しく感じているかもしれません。でも実は出会いにかこまれているのです。
苦悩の中にいるとき、ふと温かい眼差しを感じることがあります。そのとき、今まで経験したこともないような感動が起こります。熱くて、それでいて優しい、私の意思を越えた、こころの奥底から流れ出る感動です。そのような感動を、親鸞聖人は「不思議」と表現されたのではないでしょうか。
つらくて悲しくて、目の前が真っ暗闇で、先が見えなかったのに、その感動によって 一筋の光明が見える。
温もり・眼差しを感じられるのは、すでに温もり・眼差しの中を生きているから。
一筋の光明を見られるのは、すでに私に向かって光が射しているから。
    
外からの仏智と、内からのこころの動きがかさなって、光が生じます。仏智だけでは、なにも起きません。今まで、多くの人を疑いの目で見ていた。さまざまなことを疑いの対象としていた。そのことを思い知り、悔いるこころが私に芽生えたとき、そこに、すくいの光が見えてくるのです。
今までの苦悩が取り除かれるわけでもなく、今までの生き方が変わるわけでもありません。しかし、なにかが違うのです。師が、友が、仏智が、常に一緒なのです。
うたがいのこころは、無くしたいですか?無くしたほうがいいのでしょうか? 「うたがう」ということは、そこに接点がなければできないことです。接点のないところに、うたがいは芽生えません。接点を持てたからこそ、出会えたからこそ「うたがう」ことが起こるのです。
「うたがう」ことは、悪いことではありません。無くさなければいけないことでもありません。私は、うたがうことしか出来ないのです。信じていると口にしても、そこには、うたがいのこころが含まれています。愛しています・お任せします・頼りにしています。そう思った瞬間、うたがいが生まれているのです。それが私です。
今の私の行いや考えを正すことが、阿弥陀仏に帰依することではありません。
今の私の行いや考えに目覚めたときに初めて、懺悔(さんげ)のこころが生まれます。その懺悔のこころがあって、仏智に身をまかせることができるのです。
   
   
 
西蓮寺門前の掲示板に人形を飾っています。
8月はカメとペンギンです。組み合わせに意味はないのですが、どこか涼しげでしょ。
大久保石材様より頂戴致しました。いつもありがとうございます。
Dscf2407

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