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2009年5月26日 (火)

「苦」のもと

現実が思い通りにならないなと悩む私がいる。しかし、思い通りにならない現実が悩みの種なのではない。思い通りにならないなと、思ってしまう私自身に悩みの種がある。

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コメント

ある事実が目の前に在る。あとは、自分がその事実をどのように捉えるか、受け止めるかということだけですよね。いやなこと辛いこと苦しいことというのは存在しなくて、そのように思う自分がそこに居るだけのこと。全ては自分次第なのかもしれませんね。聖書に「全てを益に」ということばがございます。あらゆることは、考え方一つで、全て自分に有益になるのかもしれませんね。そのように考えて日々過ごしていけば、もしかしたら、不平不満、愚痴や泣き言、そして悪口や文句も、だんだんと口にしなくなるのかもしれませんね。そうしていけば、身の回りに起こること、出逢う方々、そういう全てのあらゆることに「ありがとう」ですよね。もしかしたら、ただ毎日「ありがとう」を言うだけで、とても幸せな気持ちになれるかもしれません。

私の不如意は弥陀の如意。

ということなのでしょうが、そう言う私も思いどおりになった方がよいと夢を見ます。夢を破ってくださるのは「南無阿弥陀仏」だけです。

 人は思い通りになっても満足などできない。自分の思いがそのまま実現し続けたとしたら、せいぜい自分の思いの中にどっぷりと浸かって抜け出せなくなって苦しむのがオチです。
 物事は因果法則によって起こるのであって、たまたま起こった出来事が各個人の思っていることと合うか合わないかというだけです。
 今の現状を納得できるようになれば充実感ぐらいは得られるようになるでしょう。

 《~であってはならない・~でないといけない》という思考パターンをやめて、《~であっても良い、でも~の方が良い》という思考パターンにすればこの手の苦はなくなると思います。

☆がくさん やすさん 真照さんへ
コメントをちょうだいいたしまして、ありがとうございます。
今回の文章は、ひとり電車に乗って、「苦」について考えているときに思ったことを書きました。
 
苦という出来事があるのではなく、苦と思う自分がいるだけ。
それは事実なのだと思うのです。ただ、やっぱり、普通は解せないと思うのです。
がくさんが仰ってくださるように、「考え方ひととつで」、この世の出来事、我が身に起こる出来事は、ガラッと内容が変わるのです。人生が変わるのです。そのことは、伝え続けたい…。
でも、解せないと思われてしまうこともあれば、「気の持ちよう」と受け入れられてしまうこともある。前者の反応は、ある意味当然だと思うのです。後者の反応も、有り得ることです。ただ、「気の持ちよう」というのは、なにかこう…違うんだけどなぁって、思ってしまうのです。気の持ち方で、事象が変わるというのではなく、もっと本質的に引っくり返ることがあると思うのです。自分で分かったつもりになって「変わった」と思うのと、自分自身が破られて「変わる」ということがある。似て非なるものです。
 
そういうことを、ひとり電車の外を眺めながら、考えていました。 

仕事においてですが苦を楽しめると
色々面白いですよ。苦の原因を探り解決する
面白さ、苦労してる自分を楽しむ、
だからがんばった自分にご褒美ややってはいけない暴飲暴食がよりいっそう楽しくなると思いますが?いかがでしょうか?
苦を乗り越えるから人生楽しめると思いますが?
どうにもならないことからは逃げればいいんですよ。

☆大さんへ
お久しぶりです。
 
最近、「苦」のとらえ方について、いろいろと考えています。
私もね、大さんと同様に、
「苦を乗り越えるから人生楽しめると思います」
でも、「乗り越える」といっても、“苦”がなくなるという意味ではなく、その“苦”を抱えながらという意味で。
「楽しめる」といっても、楽しい・可笑しい・愉快といった意味ではなく、「深まる」という意味で。
う~ん、ひねくれてますかね。

(追記)
「どうにもならないことは、どうする必要もないこと」(安田理深)

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