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2009年3月28日 (土)

至宝

昨日、日本橋高島屋に行き、「東本願寺の至宝展」を見に行ってきました。
あまり人(お客さん)がいないんじゃないかなと思っていたのですが、会場に入ってみると、たくさんの人がいらっしゃいました。
すごい人気ですた。門徒さんたちなのかな? 親鸞聖人の御遠忌が近いことを知っていて、足を運ばれたのかな?…などなど、ろくに至宝を見ずに、そんなことを考えていました。
 
多くの“至宝”がありました。
個人的には、いわゆる美術的作品よりも(それもすばらしかったのですが)、本山焼失のたびに再建の様子を記録したものに感動しました。
本山は4度大火に遭っているのですが、その度に、驚異的なスピードで再建が成されます。ご門徒の、本山を慕う気持ちの表われです。その慕いが、今のご本山の形として表われています。
 
「本堂や伽藍は、必要ない」とか、「お金をかけてまで作る(再建)する必要があるのか」などという声も聞きますが、そこにあるものから、何かが伝わってくるということがあります。京都の本山に行くと、大きなはたらきのようなものを感じます。
必要が有るか無いか、意味が有るか無いか、など、先にそういうことを前提にすると、なにも出来ません。なにも感じません。
ことばで表わすのは難しいけれど、人々が大切にしてきたものの中には、代々の人々の想いがつまっています。その歴史・伝統・文化こそ、至宝なのだと感じました。
 
御遠忌テーマ
「今、いのちがあなたを生きている」
おしえに出会った人々の想いが、今、私にも通じている。そういう意味もあるんだなと、感じました。
 
時間が無くて、ゆっくり見られませんでしたが、時間を作って見に行ってよかったです。
お時間のある方、ぜひご覧いただきたく思います。東京日本橋高島屋での展示は3月30日までですが。

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コメント

「必要が有るか無いか、意味が有るか無いか、など、先にそういうことを前提にすると、なにも出来ません。なにも感じません。」何か、自分のことをずばり言われています。私は幼いときから今日に至るまで、父から「食えるような勉強をしろ」「絵がうまく描けても歌が上手くてもメシは食えないんだ」「美術や音楽なんかやってるやつはメシが食えなくて困る」「勉強ができても、成績が良くても、メシは食えないんだ」「学校の勉強なんか役に立たないんだ」「英語や物理や微積分なんかできてもメシは食えないんだ」「同じやるなら、泥棒を捕まえるために役に立つ勉強をしろ」ということばかり言われ続けてきました。そのため、美術とか音楽の分野などで好きなことを仕事にしている人々を見るにつけ、羨ましさを通り越して嫉みや妬みさえ感じます。食えるとか食えないということばかり考えていると、私のように、つまらない、面白みの無い人間が出来上がります。そして、嫌々ながらでも耐え忍んで親の言うことを聴いてばかりいると、自分が何に興味や関心があるか分からなくなってしまうのです。現に今現在も、私には趣味と言えるような夢中になれるものが何一つ全くありません。寂しいつまらない人生です。若住職のお書きになられたことは、まさに我が意を得たりというところです。これからの若い人には、親の言うことなどには耳を貸さず、自分の心の声を良く聴いて、自分に嘘をつかない、そして、たとえ一時食えなくても、自分が活き活きと毎日を過ごせるような生き方をしてもらいたいと、心から切に思います。

「至宝展」を家内と見てきました。感想は勝さんと同じです。美術品は円山応挙と棟方志功の襖絵が気に入りましたが、本当の至宝は宗門を支えて来た歴史でしょうね。大伽藍が不可欠であるか否かについては議論も続くでしょうが・・・・・
聖典や近代教学の諸先生の著書も至宝でしょうね。さらに今開かれている聞法会・講座等も僧宝としての至宝でしょうね。私がどこまで帰依出来るのかが問われているようです。

☆がくさんへ
苦しい胸のうち、伝わって来ます。
でも、「つまらない、面白みの無い人間」などと、ご自分を卑下なさらないでください。
白骨の会で、がくさんとお話できることを楽しみにしている仲間がいます。
がくさんを支えてくださっている奥様もいらっしゃいます。
ご自分でおっしゃるような人間ではないですよ。
 
仏教では、「中道」ということを教えられます。
弓の弦は張りすぎてもダメだし、たるみすぎてもダメ。良い加減の張りがあるものです。
極端な考え方は、自分のこころの弦を切ってしまいます(あるいは弱いものにしてしまいます)。
白骨の会は、自分の言いたいことだけを言う場ではなく、他の人の話にも耳を傾ける場です。
自分ひとりでは考えも至らなかったであろうことに、出会える発見があるものです。
その発見が「中道」に結びつけば…。
がくさんの張り詰めたこころの弦が、少しでも良い加減になればいいなと、白骨の会、お待ちしています。

☆やすさんへ
至宝展行かれましたか!! ありがとうございます。でも、奥様の分もチケットをお渡しすればよかった。気が回らず、失礼しました。
 
至宝の考え方で、受け取り方も変わることではありますが、「今開かれている聞法会・講座等」、そして、そこに集う人々…大切な至宝が大谷派には、まだまだありますね!!
やすさんのご指摘…目からウロコです。
三帰依文をいただいて、三宝に帰依する。毎回口にしながら、至宝をどこに見出すのか。まさに、“私”が問われています。

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