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2009年3月 1日 (日)

2009年3月のことば

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井戸のポンプでも、
動かしていれば、そのうち水が出てくる。
面白くなくても、
にっこり笑っていると、だんだんうれしい感情がわいてくる。
          樹木 希林

 
水のあるところに、人は集まる。人が集まれば、会話が生まれ、集団生活が営まれる。
人が集れば、賑やかで楽しい。お互い助け合う。反面、面倒臭いことも起こるし、顔を合わせたくないということもある。
「話せば分かる」とか、「人と人とのつながりを大切に」などと言われますが、「話しても分からない」「話せば話すほどこじれる」のが人と人。つながりを持つことは大変なのです。
      
さて、今月は樹木希林さんのことばを掲示させていただきました。産経新聞のインタビュー記事より引用させていただきました。
樹木希林さんは、ご主人の内田裕也さんとの行き違いから、長年別居されていました。しかし、年をとり、網膜はく離と乳がんを患い、内田裕也さんと真正面から向き合おうと決意されたそうです。仲介者に食事の席を用意してもらい、立ち会ってもらって、ご主人に今まで放っておいたことを謝ろうとされたそうです。話の核心に触れたがらないご主人に、「お願いだから謝らせてよ」と、怒鳴ったそうです。仲介された方に、「けんか腰で謝る人を初めて見た」と言われたそうです。
それからは会う機会も増え、一緒に旅行にも行くようになったそうです。
そのような関係になれたのも、お互いが病気を患い、死を見据えたからだそうです。このまま相手を恨みながら死にたくない。会うたびに、これが最後かもしれないと思いながら、二人の時間を大切にされているそうです。
そうは言っても、嫌な話になることもあります。そういうときは、顔だけは笑うようにしているとのこと。
「嫌な話になったとしても、顔だけは笑うようにしているのよ。井戸のポンプでも、動かしていれば、そのうち水が出てくるでしょう。同じように、面白くなくても、にっこり笑っていると、だんだんうれしい感情がわいてくる」(樹木希林さん)
 
樹木希林さんの義理の息子さんの本木雅弘さん主演の映画「おくりびと」が、米アカデミー賞外国語映画賞を受賞しました。おめでとうございます。
「おくりびと」は、納棺師を描いた映画です。あまり表に出てきませんが、青木新門さんという、納棺夫をされていた方が書かれた『納棺夫日記』が元となっています。
10数年前に、『納棺夫日記』を読まれた本木さんが、その映画化を夢見たそうです。映画が評価され、死と向き合うことの意味を考えるきっかけとなり、納棺師という仕事を知ってもらえるようになりました。
賞を取るということは、そこで描かれていることが評価されたということでもありますが、今まで軽んじてきたことを指摘されたという面もあると思います。死と向き合うことや、人間の持つ差別意識など。
映画によって、納棺師という仕事があることは知ってもらえるようになりましたが、現実は軽蔑される仕事でした。
アカデミー賞受賞により、マスコミは「おくりびと」を取り上げることでしょう。そこで私たちは、「賞を取ったからスゴイ」という見方ではなく、今まで避けていたことへ目を向けるきっかけをもらったのだと思いたいものです。
青木さんは、納棺夫という仕事に就かれたことを、家族に言えませんでした。しかし、家族親族に仕事の内容が知れるようになり、叔父からは「今の仕事を辞めないのならば絶交だ」と言われ、奥さんからは「穢らわしい」と拒否されます。
青木さん自身、すぐに辞めるつもりでいましたが、納棺夫を認めてくれる人の存在に気付き、それ以来、真摯な態度で納棺することに努められました。
そんなある日、叔父が癌で入院しているという連絡が入ります。向こうから絶交を宣言してきたのだからと、見舞いには行かずにいました。ところが、母親から「会いに行ってあげて」と頼まれ、危篤状態なら説教もされないかと思い、お見舞いに出かけます。
お見舞いに来た青木さんに、叔父さんは手を伸ばし、涙を流しながら、言葉にならない声で「ありがとう」を繰り返したそうです。
翌朝、叔父さんは亡くなられました。最期に面会することが出来て、青木さんの心からは憎しみが消え、恥ずかしさだけがこみあげたそうです。
 
井戸のポンプから出る水は、きれいなものばかりとはかぎりません。サビが混ざることもありますし、飲み水には適さないこともあります。それでも、水は、いのちに潤いを与えてくれます。
笑顔の背景には、悲しみがあるものです。悩みがすべてなくなって笑顔になれるかといったら、おそらく無表情になるのではないかと想像します。笑顔が素敵な人の背景には、自身の苦しみを通して、他者の苦しみに寄り添える強さや、今現につらい現実の中に身を置きながらも前向きに生きている美しさがあります。
きれいな水を出すことや、何も背負わない笑顔になることが人生の目的ではありません。
つらい現実、悲しい出来事のおかげで、初めて人と向き合えるようになるということがあります。逆にいうと、そういうことでもなければ、人と向き合えない、悲しい存在なのです。しかし、だから暗いかといったら、そうではありません。そこからだんだんと、うれしい感情がわいてくるのですから。
     
  
 
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西蓮寺門前の掲示板に、月替わりで人形を飾っています。
3月の人形は、二匹の犬の人形です。可愛いでしょ。昨秋、箱根に行ったときにホテルの売店で売っていて、一目惚れして、買ってきました。

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コメント

駐在さん、僧侶、教師、医師といった職にある方々が「稀れ人」つまり、一段高いところにいる方々と言われる地方があるそうです。一方で、この『納棺夫日記』にもあるように、世の中では蔑まれて見られる場合がある方々もいらっしゃいます。私もこの本は読みましたが、「自分の職業を卑下し、携わっていることに劣等感を抱きながら、金だけにこだわる姿勢からは、職業の社会的地位など望むべくもない」という文には、うなずくばかりでした。「本当はその仕事をするのは嫌だけど、金儲けにつながるから」という動機では、より良い仕事をすることは難しいのかもしれませんね。高校、大学時代と、通算で3年にわたり市役所のゴミ収集の仕事のアルバイトをしたことがあります。お世辞にもきれいな仕事とは言えず、夏は臭いが染み付き、冬はゴム手袋をしても手がかじかみ、雨の日は雨カッパを着てもずぶ濡れになりながら、ときには、収集車に生ゴミを入れる際にゴミ袋が破れ、頭から生ゴミをかぶったこともあります。生ゴミは水分を多く含むため重くなり、収集車に投げ入れるのも一苦労で、うまく投げ入れないと腰を痛めますし、ゴミも散らばります。また、ゴミだけではなく、市道上で行き倒れになった犬や猫、カラスなどの死骸も処理することもその業務の一つです。死骸はゴミ扱いになるのです。私もかつて50体近くの死骸を処理しました。「気持ち悪い」と思う方々が大半だと思いますが、私はなぜか不思議とそうは思わず、むしろ厳粛な気持ちになり、死骸を引き上げる際に必ず手を合わせました。言ってみれば、そうした動物の最期をきちんと見届けることになると考えたからです。死骸を引き上げながら、「なぜここで朽ち果てたのか、どのような経路をたどってここまで辿り着いたのか」ということを思いました。今思えば、とても重要な経験をしてきたと思います。「給料もらうためだけにやってるのよ」という職員の方が大多数を占める一方で、「この街をきれいにする、誇りは高し俺はゴミ屋」という方も中にはいらっしゃいました。自分の仕事に誇りを持って取り組むことができるということは、給料の金額の多寡以上にとても大切なことで、生きがいというのは、きっと、そうして仕事に取り組むことで見つけることができるのかもしれませんね。私もこれから自分自身の中に自信と誇りを持っていけるようになりたいと思います。

☆がくさんへ
貴重なお話をありがとうございます。
職業に貴賤はないけれど、私たちのこころしだいで、貴賤が生まれてしまいますね。
また、自分の仕事に誇りを持つという姿勢も大事ですね。
他人が決め付けてしまう貴賤もあれば、自分で生み出し膨張してしまう貴賤もあります。
自分が生きている場で、できる限りのことをする。縁に生かされているものの努めですね。
お互いに、頑張り過ぎないように頑張りましょう。

昨夜は講座を一緒に聞かせていただき、その後お誘いして遅いお帰りを強いてしまい、済みませんでした。

講座の中で出てきたイッチャンティカは、インドでは納棺夫という方々にも繋がるものなのでしょうが、経典に説かれる場合には無信つまり「まこと・誠実・正直」が生来無い私のことであり、職業には無関係ですね。イッチャンティカ・無信だからこそ信を生じるしかないと、昨夜のF先生の教えを私の中で流用させていただきました。


☆やすさんへ
講座後のお茶、楽しかったです。
法話を聞いて、談合する。まさに真宗の醍醐味!!

「イッチャンティカ」
五逆の罪を犯す者として捉えると、どうしても「私はそこまで酷い人間ではない」というふうに思ってしまいます。無信の私といただければ、「本来救われないはずの私」ということに頭が下がります。
もったいない もったいない

本日はお彼岸のお参りをさせていただき、ありがとうございました。もう花見が出来そうな日和の中でのお参りでした。本堂の外から見えるようになっていたご本尊を拝む時も、爽やかな風が吹いていました。家族の希望により、失礼ながら駐車場から塀の内側を歩いて本堂に到ってしまいました。私は山門の脇から一度外へ出て、すぐに山門から入り直したのですが。あの風情があるお庭を見ると、どうしても歩きたくなるのが人情です。
準坊守様、赤ちゃんにお会い出来ませんでしたが、またのお楽しみにとっておきます。

☆やすさんへ
本日はご家族でのお彼岸のお参り、ありがとうございます。
午前中の雨はすごかったですが、一転、午後は快晴でしたね。
今まで、山門からの出入りを勧めてきたので、改修した参道をご覧頂くには、山門からの出入りよりも直接歩くことになるわけで、混乱を招いてしまいましたが、要は、本堂前での合掌念仏ですので、どうぞ駐車場から参道を通ってお参りください。
美穂が寝てなかったら、お会いいただけたのですが、寝んね中で、失礼しました。一日のほとんどを寝てすごしています。
新しい生活のサイクルがまだ落ち着いておらず、ブログの更新が滞ってしまいましたが、落ち着きましたら、また更新していきたいと思います。
白骨の会、メールします。ぜひお出かけください。そのときには、美穂に会っていただきたく思います。お楽しみに。

本日は「白骨の会」に参加させていただき、ありがとうございました。Mちゃん、可愛いですね。私も孫が欲しくもなり、まだお爺さんになりたくもなしと、葛藤が生じました。と言っても私の子供はまだまだ成熟(?)していないですから、生じてもしょうがない葛藤です。Oさんには是非目標を成就して、法話を聞かせていただきたいものです。皆で応援しましょう。

☆やすさんへ
白骨の会ご参加ありがとうございます。
おかげさまで、Oさんの壮行会もできました。
楽しかったですね。
 
成熟してないのは、私もです(かな?)。
人は、場や地位や環境によって、成長していくのだと思います。ご子息も、環境に身をおいて、成熟されていくこともあると思います。
 
Oさんのご法話、実は私も企んでいました。2年後が楽しみです。応援しましょうね。
 

 

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