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2009年2月17日 (火)

おたがいさま

「結婚披露宴の招待と、ご葬儀の案内は、いただいたら必ず出なければいけないよ。万難を排してでも。あなたに来て欲しいという願いが込められているんだから」
 
大学を出て、寺に戻ってしばらくした頃に、あるご老僧から言われたことばです。
披露宴の案内は、招待する人が、この人には来て欲しいと願っている。その想いには応えなければいけない。
ご葬儀の案内は、ご遺族が“招待”するわけではないけれど、亡き人との関係があったからこそ、ぜひお別れに来て、見届けて欲しいという願いが込められている。
どちらも、なにか用事があったとしても、万難を排して優先しなければいけない。長く生きてきて、そうしなければいけない、そうするべきだという想いがご老僧にあったのでしょう。きっと、後悔したこともあったんだろうなぁと、感じました。
 
そのことばは、日中の会合で言われたのですが、その晩は、ご老僧と私の共通の知人のお通夜がありました。
「先生も今晩のお通夜に行かれるんですね?」と私が尋ねると、
「いや、今日明日の通夜葬儀にはお参りできないんだよ」との返事。
「ダメじゃん!!」 私の3倍以上も生きている先輩に、すかさずダメ出しをしてしまいました。
「だから、今日ここに来る前にお参りしてきたんだよ」とのことでした。
 
今のやり取りは笑い話として、そのことばをいただいてから、披露宴・プライベートでのご葬儀には、必ず駆けつけるようにこころがけています(偶然披露宴が2組重なってしまい、その一組に行けなかったことがあります。今でも申し訳なく思っています。ごめんねH君)。
 
   
 
前振りが長くなりました。
先日、あるご葬儀にお参りさせていただきました。自分も都合をつけましたが、そこで出会った方の中に、自分が立ち上げに関わったプロジェクトを最後まで見届けることなく駆けつけた人がいました。
「いいの?」と、問う私に、
「おたがいさまだよ」という返事
 
「おたがいさま」…あぁそうだなぁ、ご葬儀って、「おたがいさま」なんだなぁって噛み締めました。
披露宴は、案内が届いてから1、2ヵ月の猶予があります。でも、ご葬儀は突然のこと。
よそさまのことでもあるし、自分とこのことでもある。いつお世話し、いつお世話になるか分からない。
最近のご葬儀の縮小化の傾向の一因は、その持ちつ持たれつが嫌なところにもあるのかもしれない。けれど、ご葬儀というのは、亡くなった人のための儀式ではなく、人が亡くなることを通して、人と人とのつながりを再確認するための場でもあるのかもしれない。そういうことを痛感しました。
 
   
 
ご葬儀の場で、「おたがいさまだよ」ということばを聞いて、あぁそうだなぁと、そのことばを噛み締めたのは、数日前に「おたがいさま」ということばを耳にしていたからでもあります。
 
2009年1月13日(火)放送のNHK「プロフェッショナル」
その回は、福井県名田庄村(現:おおい町名田庄地区)の診療所にただ一人の医師として勤務する 中村伸一さんでした。
この村で医師を続けて17年になりますが、赴任当初は、すぐに大都市の大きな病院に戻ることを考えていました。
 
村に赴任して3年目、そろそろ引き時かと考えていたある晩、緊急の連絡があり、村のあるお宅に駆けつけると、そこの奥さんが肩が痛いと訴えていました。
昼間車を長時間運転して、帰ってからお酒を飲んだと聞いて、疲労だろうと判断しました。
ところが、その奥さんの痛みは増し、総合病院に搬送しました。痛みの原因はくも膜下出血でした。
肩の痛みということで、くも膜下出血を見抜けなかったのです。
奥さんを入院させ、中村先生は奥さんのご家族が運転する車で、村に帰ってきました。車中、先生は、奥さんのいのちと、医師としての自分の終わりを覚悟していました。
そこで思いもしない一言がご家族からありました。
「先生も疲れているのに、夜中に呼び出してすまなかったね。こういうことは誰にでもあることだ。おたがいさまだ」
 
責められても仕方がない自分に対し、「誰にでもある。おたがいさまだ」の一言。
幸い、その奥さんは回復されたそうです。
中村先生は、その村と“結婚”することを決心され、以来、村人のために診療を続けておられます。
 
「おたがいさま」って、温かいことばだけど、こういう状況でなかなか言えないなぁと、放送を見て感じました。
頭には焼き付きはしたけれど、実感がないことばとして、「おたがいさま」ということばが頭の片隅に残っていました。
そこで、さきほどのご葬儀の席での「おたがいさまだよ」というセリフ。
あぁ、おたがいさまって、こういうことなんだって、脳にとどまっていたものが体中にいきわたるように、味わいました。 
 
人間関係とは、おたがいさまの関係なのですね。

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コメント

この番組は私も見ました。中村医師はこの出来事をきっかけにして、ケアマネージャーの資格を取ったり、自分の専門ではない診療科のことも勉強して、何でも診ることのできる家庭医を目指すことになったそうです。番組でも放送されていましたが、この中村医師の診療方針は、「その人がその人らしく暮らせるように」ということだそうです。膝の具合が良くない高齢の女性が診察を受けに来られた際に、その方がグラウンドゴルフを生きがいになさっていることを考慮して、グラウンドゴルフをやめることなく生活ができるように診療方針を立てて、診療に当たっていらっしゃいました。「病気を診るのではなく、病人を診る」。医療がますます高度化、専門化、細分化されていくに従い、とかくその症状だけを捉えて診療に当たることが多いようですが、具合が悪いのは機械ではなく人なのです。症状が緩和されたはいいけど、どうもその人らしい生活ではなくなってしまったのでは、どこか本末転倒ではないかという気がします。ガンは制圧したけど、患者さんが亡くなってしまってはいけませんよね。私もこれから「その人がその人らしく暮らせるように」手助けができるように、より一層の精進を重ねてまいりたいと思います。

本日は聞法会に参加させていただき、ありがとうございました。煩悩は難しい問題ですね。否定せず(排除出来るわけもない)、嫌わず、かつ肯定せず、固執せず、溺れず・・・・・。自力の為せるところではありません。煩悩を生じるから如来様を了ることも出来る。

「おたがいさま」は聞法会から帰宅してから読ませていただきました。「それで、きょう葬式のお話が出たのか。」と納得。「おたがいさま」という言葉を発することは、私の場合は躊躇してしまいます。相手の心の負担を軽減することもあるのでしょうが、私の時はあなたがやってください、と要求しているようでもあり・・・・・。微妙な言葉ですネ。

☆がくさんへ
テレビ、ご覧になられましたか。
テレビで取り上げられる方に限らず、お仕事に就く方は、始めは個々にいろいろな想いを持っているとおもうんですよね。ただ、それを継続・発展させるとなると、なかなか難しい。
マンネリ化したり、始めの頃の想いを忘れてしまったり…。
いつまでも、熱い想いを持っていきたいものです。
あっ、でも、自分の想いだけで突っ走ってしまうのではなく、相手(人)がいるということを忘れずに。
グラウンドゴルフが好きな女性に、足のためにももうゴルフはダメですと言ってしまうのではなく、ゴルフを続けさせてあげるためにはどうするかを考える。自分の中で、答をひとつ作ってしまうのではなく、たくさんの選択肢を作る考え方・ものの見方をすることって、大切ですね。

☆やすさんへ
そうですね。「おたがいさま」って、難しいですよね。口に出してしまうと、軽くなってしまうような。
ことばにしても、ご葬儀や結婚式といった人生の節目のイベントごとにしても、想いが通じるか否かって、やはり普段の関係性があってのことだとおもう。それがなけれれば、「おたがいさま」「おかげさま」「ありがとう」という大切なことばさえも、聞き様によっては相手をバカにしたことばになりかねない。
人生節目のイベント(という表現でいいのかな)も、関係性がなければ、やらなくてもいいか、どうしてしなければいけないんだろう、という個人的想いで片付けてしまう。
「この人には、新たな出発を見ていてほしい」「この人には、人生の最期を見届けてほしい」という想いが自然と湧いてくる関係が、ことばの礎には本来必要なのかもしれない。

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