« 迷い 惑い 深みにはまる | トップページ | 2009年2月のことば »

2009年1月26日 (月)

死は公(おおやけ)

1月26日
お世話になっていた住職が亡くなられて一年。
早いものだなぁと思いつつ、この一年でいろいろなことが確実に動いている。
 
懐かしんでばかりいるわけではないけれど、住職とのことを振り返る。
縁のあった誰もが。
縁のあったものどうし、会えば住職との思い出話。
 
死んで人間終わりなら、亡き人を振り返り、その人のことを語ることはないはず。
亡き人のことを思い、話が出る。
人が亡くなり、遺されたものは、人が亡くなるという事実の上に成り立つ人生を歩み出す。
つらいけれど、そこに人の成長がある。
 
住職の葬儀には、1,000人ほどの方が弔問に来られたと、葬儀社さんから聞きました。
弔問にみえた方、それぞれの中で住職を想い、住職が亡くなったという事実を受けて、この一年を生きてきた。
弔問にみえた方に限らない。もっとたくさんの方が、住職との縁があったのだから。
人の死は、それだけ多くの人々に、なにかを与えている。

人の死は、多くの人のためにあるのだなと、この一年、強く感じた。
 
弔問者の数の多少を言っているのではない。
しかし、家の人間が亡くなったことを、隣近所や親戚にさえも知らせない最近の風潮に危惧を抱く。
人の死を遠ざけた人生、人の死に接する機会のない人生において、いのちのかけがえのなさ、人を慕う(おもう)気持ちが果たして生まれるのだろうか。
 
葬儀の形は、時代や状況によって変わるものだと思う。
規模が小さくなる事情も分かる。家族だけで、亡き人との別れの時間を持ちたい気持ちだって、痛いほど分かる。
でも、自分が思っている以上に、亡き人は、その人の人生において、広くて深い人生を生きてきた。それは、悲しいけれど、人の死を通して気づかされる。
でも、亡き人が作ってきた広くて深い人生は、亡き人だけのものではなく、遺されたものにも引き継がれていくもの。
死は、亡くなった人の身だけに起こるものではない。
死は、家族だけで受け入れようと頑張るものでもない。
死は、多くの人の人生に響いていくもの。響きは響きを生み、さらに広がっていく。さらに深まっていく。
死は公のもの。
住職の死を縁として、「死は公」という事実を教えていただきました。

« 迷い 惑い 深みにはまる | トップページ | 2009年2月のことば »

コメント

一見全く関係の無い話題のように思う方もいらっしゃるかと思いますが、先日の「迷惑」のお話と深く関係があるようですね。「できるだけ内々で済ます」という考え方は、他人に迷惑をかけないように生活するという考え方に通じると思います。お葬式を盛大に行う必要は全く無いです。しかし、亡くなった方を偲び、その人生を振り返り、まだ生きている自分は今後どのように生きていくのかということを考える機会としても、お通夜やお葬式は大切なものと考えます。

こんにちは。
ご無沙汰しております。

白山さんには、ゼヒお会いして、イロイロとお話したいと思いつつ、すっかり年が明けてしまいました。。。。。

お話をしたいのも、聞いていただきたいのもイロイロです_(´・ゝ・`)_


お葬式の件は、本当に納得です!!!
私自身、やっぱりお世話になった方には、立派なお葬式をあげて!という思いがあります。
立派な、というのがまたムズカシイことでわありますけれども。。。。。

うちの父は、祖母が亡くなった際に、一番上等の着物を着せて・・・と言ったそうです。
今考えてみると、なかなかそれはそれで思い切った行動だな、と思います。
けれども、そういう最後を周りがつくっていける、そういう気持ちで送っていける、というところに共感します。

私自身が、そういう気持ちになれるかな、と思ってみますと、どうでしょうか。。。。。

お着物と言えば、最近興味があったりで特に考えてしまうかも知れません。
情けないです。

こんな高いのに!
焼いてしまうのに!
もったいない!

そういう浅はかな考えしか出てこないようにも思います。

けれども、父のこの言葉がどこかで、わたしに教えてくれているのかも知れませんね。

そういう意味でも、やはり死の場に立ち会わないと経験できないこと、思い、感じることなどがあると思いました。

じぶんも避けて通れないみちですから、かといって経験がなにかモノを言う、というものでもないんですけどね。


長々とまとまらないことを書いてしまい、失礼いたしました。

で、2月に東京へ行こうかと、ただいまもくろんでいたり。。。。。

白山のお寺の聞法会?!にでもよかったら足を運ばせていただきたいな、とも考えています。

2月のご予定がおきまりでしたら、教えていただけませんか?!


では、また。
よろしくお願いいたしますm(ーゝー)m

☆がくさんへ
コメントありがとうございます
お返事遅くなってすみません。ちょっと秋田へ行っていました。
 
ご葬儀とか結婚式とか成人式とかご法事とか、儀式と言われるものを手間ひまかけて行うのは、その人の人生において何かを刻み込むためなんじゃないかなって思っています。
儀式的なものを、「どうしてしなければいけないの?」と問うてしまったら、「べつにしなくても済むもの」になってしまうと思うのです。そうではなくて、受け継がれてきた想いや、その儀式が大切なんだよという先人の知恵が込められているのだと思います。
儀式の場にめぐりあったとき、「どうしてやらなければいけないの」と思うより、「人生において、今、こういうことをする時期にあるんだな」という考え方もしてほしいと思います。
というか、そういうことを考える場を与えられているのでしょうね。

☆すみこさんへ
お久しぶりです。お元気ですか? ちょっと凹んでるかな。
うんうん、いつでもお寺へいらっしゃい!! お待ちしています。
うちの聞法会、2月は、18日(水)午後1時半からです。ご都合つくようでしたら、ぜひ遊びに来てください。お待ちしています。
 
着物を着せてというお父様の気持ち、優しさと感謝に満ち溢れていますね。
私もね、幼いころからお世話になった方をお見送りするときには、自分の輪袈裟・念珠を棺に入れているんです。ありがとうございましたって。
(あっ、その行為が優しさに満ちているなんて言ってるんじゃないですよ
 
「もったいない!」と思ってしまう、すみこさんの気持ちも分かります。私も、輪袈裟を入れるときにためらったこともあります。「買ったばかりだったな」って。
お金じゃ計れないほどの想いを、たくさんたくさんいただいてきたのにね。いやらしい私です
 
今年は久しぶりにお会いしてお話しましょうか。積もるお話もおありのようですから。
気軽にお出かけくださいませ 

えっ! 秋田へいらしていたのですか! 朗報ですか?

夕べのうちに携帯メールをいただいておりましたが、ご連絡を気付かずにいました。本当によかったです!!

☆やすさんへ
ありがとうございます。
明日からまた秋田へ行って来ます

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 迷い 惑い 深みにはまる | トップページ | 2009年2月のことば »

フォト
2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ